2.父親の呪縛
修正加筆版です 2024 1/2
自分に何が起きたのか。分からないままチェスは走った。
雨が強く降っている。今日は嵐だ。
自分が自分でなくなる。
(親父のことも、あの連中のことも『今はいい』だと? あり得ねぇ!!)
考えているのが自分かすら怪しい。チェスは自分を取り戻そうと走った。自分が正常だと証明するために。
正教会は街の中心にある。そこから外れの方まで走る。地面がぬかるむ。そのさらに先、旧市街の廃屋。チェスはずぶ濡れになり、その一角へと入る。暗がりから気配を感じた。そこに誰がいるのか見なくてもわかる。
「お? お前、チェスか?」
「親父」
穴の開いた靴にボロボロのマント、黒ずんだ服。
「よぉ、チェス。うははは、良くここがわかったな」
髭をかきむしりながら愉快そうに笑った。
「てめぇ、なにしたかわかってんのか?」
「ああ? 記憶にねぇな? 何かあったのか?」
「とぼけんな!! てめぇの借金をおれに押し付けただろう!! そのせいで家に借金取りが押し入ってきやがったんだぞ!!」
「お? ……だから何だ? お前、冒険者やってんじゃねぇの? うははは、まさかあいつらに敗けたのか!?」
チェスは沸き上がる殺意に安心した。
自分は間違いなく、チェスだと。
「おれが現役の時はあんな奴ら、腕っぷしで黙らせたぜ? まぁ、お前は才能ねぇから無理か……」
「殺す!!!」
チェスは父親に突進した。
「おっと」
拳は空振りに終わった。勢いあまってスッ転ぶ。
「情けねぇ、おれのガキが『草取り名人』だと? お前はいつもおれの期待を裏切るなぁ。おまけに育ててやった恩を忘れやがって。こりゃしつけが必要だな!!」
チェスの腹に重い衝撃が響く。身体が硬直して胃液を吐き、そのまま膝を着いた。
「天授技能もねぇ、ステータス補正もクソなお前のせいで、おれがどれだけ損してきたかわかってんのか!! この出来損ないが!!!」
いつもと同じ、チェスは蹴られて丸くなる。
意識を失いかけた。
口の中に広がる血の味を感じて薄暗い石の建物の隙間から、澄み切った青空が見えた。さっきまで大雨だったはずなのに。
(……ちっ、またか。とうとうおかしくなっちまったか)
幻覚ではない。脳裏に浮かぶ光景は昨日のことのように鮮明だ。
これは確かな記憶だと確信した。聞こえるのは雨の音ではない。拍手喝采。足の裏に感じる砂の感触と乾いた空気を思い出す。
身体に力が籠る。
人体についてのあらゆる知識が目覚める。
チェスの身体を光が包む。
それは神が授けた魔法の光。天授技能発動の証。
「お前、天授技能無かったはずじゃ」
痛みが引いていく。
「お? まだやるのか?」
父親の拳をチェスが受け止めた。
「お?」
チェスの身体から鋭くて固いものが飛んできた。
(お? 何だ? 歯……おれの?)
それが肘だったと、真上に飛び散った血と歯を見て気が付いた。
喉がつぶれた。ねじ込まれた掌底。
「ごふっ!?」
腹に一発。脚に蹴り。膝を着いたところへ顎に膝。
「この野郎ぉぉ!!!」
拳を振り回すがすでにそこにはいない。軽やかなステップで移動、再び連続の蹴り。
思わず身体を丸めてガードに徹した。
「はぁ、はぁ、はぁ……?」
(どういうことだ? チェスのステータスは知っている。おれより強いはずがねぇ)
チェス(31)
種族 只人
職業 冒険者
レベル 20/20
父親は天授技能が無いことはもちろん、レベル上限が20までであることを把握。自分と比較して勝利を確信していた。
「うらぁぁぁあ!!」
掴みかかろうと体勢を低くしてタックルする。だが膝蹴りを顔面に叩き込まれた。
「ぐぅ!?」
(まただ。体格とステータスで勝るこのおれがどうして攻撃できねぇ?)
魔力を込めて天授技能を使うことを余儀なくされた。
男の持つ天授技能は『筋力増強』。込めた魔力分筋力が発達する。体格が一回り大きくなる。
「ふぅ~、うはは!! これでどうだ!!」
巨腕を振るう。しかしチェスは鮮やかに避け、蹴りでみぞおちを正確に射抜いた。
「ぶほっ!!」
(なんだと!? このガキ、いつの間にこんな技を)
チェス自身も驚いていた。身体自分のものではないように動く。相手がどう動くかわかる。
しかし、チェスは剣士。喧嘩はしたことはあっても、挌闘士だったことはない。そして、自分が今やっている格闘術が数千年前に途絶えた武術体系であることなど知るはずがない。
父親がふらつき、汚い喧嘩の常とう手段に打って出る。目つぶしで砂を掛けた。
その隙に金的を狙い蹴りを放つ。
「うっ!?」
「うらぁぁ!!」
その蹴りはチェスの内股で止められた。
「何!」
チェスは確かに目をつぶっている。しかし、チェスには目をつぶっても相手の動きが読めた。
熟練の盗賊職が訓練で身に付ける聴覚からの予測。無論、チェスがそんな訓練をしたことはない。
カウンターの拳は完全に緩んだ腹筋に突き刺さった。
二人の間には圧倒的な技量の差があった。勝負は決した。男は身体を震わせ膝から崩れ落ちた。
「これで終わりだ」
トドメを指そうとしたとき、身体が止まった。父親との思い出がよみがえりチェスを縛る。肉親への愛情という持ち合わせていなかった感情が在る。そこでチェスは確信する。
(これはおれの感情じゃねぇ。おれはそんなこと思わねぇ。こいつと、こんな思い出は無いはずだ)
思い出の父親の顔を思い浮かべる。それは目の前の小汚い男ではない。はっきりと理解した。
自分の中には今、他人の記憶があることを。
「へっ……情けねぇな。トドメもさせねぇのか、腰抜けが!! 腰抜け!! うひゃははは!!」
「うああああああ!!」
チェスは笑う父親の顔を殴り黙らせた。
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