鋳掛け屋、仕立て屋、兵士……①
夢を見ていた。
俺はその夢の中で、まだ一人で金属の森を彷徨っていた。四方を動物に囲まれ、武装は尽き、失血によって意識は朦朧としていた。
金属ブナの原生林の奥の暗がりから、一人の人間がぬっと現われた。顔が黒く塗りつぶされた、表情の無い男だった。なんぴとも本当の彼を理解することが出来ない、4重の仮面を被った襲撃の首謀者だ。その男が次のように言うのだ。
『お前に生きる資格は無い。ここで潔く死ね』
それを聞いて俺は、声ならぬ声で叫んだ。
「“生きる資格”なんて持ってる奴を、俺は見たことは無い!! 誰から貰うんだ!! 役所に行けば貰えるとでも言うのか!! そんな物があるのなら、お前はそれを誰から受け取った?……答えろ、お前は誰に雇われている!?」
男は言った。
『誰も私を雇いはしない。私も、誰にも雇われはしない。私は私に責任を持つのだ。だからお前も、お前に責任を持て。今までに殺した5人の命……その罪を贖え』
暗がりから更に数人が出てきた。その誰もが、過去の街で俺をかくまったために、襲撃者たちに拷問にかけられ死んだ人たちだった。一番右端には、前の街の彼女がいた。
彼女は言った。
『リリー、私たち怒ってないわ。アナタも分かっているでしょう。私たちは私たちの選択で、アナタを助け、共に過ごしたのよ。だから願いは一つ。もう一度一緒に暮らしましょう。一緒に市場に行って、一緒に古い映画を見て、たまに政治や哲学なんか語り合ったりして、皆で一緒に暮らしましょう』
俺は反論した。
「そしてまたADX-5に襲われ、俺はお前たちの家を爆破し、見捨て、生贄にし、生き延びるのか? 冗談じゃない!! もうそんなのは嫌だ!! 俺は生きて、生きて――」
顔の無い男が言った。
『どうやらお前はまだ自分が分かっていないようだな。よろしい。今ここで、お前という存在の醜さを教えてやろう。自分が生きる為には誰を犠牲にしても構わない、肉を纏った欲望の化身の正体をな!!』
金属動物たちが一斉に咆哮を上げた。その内の一匹が俺を目がけて疾走した。牙を向け迫ってきた。他の動物も続いた。飢えたオオカミ、飢えたクマ、巨大バチ。死のオーケストラ。
俺は逃げた。斜面を駆け下りた。こんなところに居てはいけないと思った。
次の街、次の街だ!! 友達と、独りで、恋人と、大勢で、笑って暮らせる次の街だ!! 誰にも襲われることのない、次の街にはきっと――!!
追手はすぐに消えた。
山道を進んだ先に、うつ伏せの死体が転がっていた。数羽のカラスやハイエナが群がっていた。それは血みどろになった彼女だった。髪が引き抜かれ、頭皮が丸出しになっていた。
「おい……おい!!」
彼女は頭だけでぐるりと空を仰ぐと、眼球の脱落した赤黒い顔で言った。
『アンタは生きる。生きて、そして――』
……。
「お客さん!! お客さんってば!!」
その声は遠くから呼びかけているようだった。意識がはっきりしてくると、隣に膝を折って俺を揺すっている、女の声だとわかった。
俺は目を覚ました。はっという声が出るような目覚めだった。
「……仲居さんか。おはよう」
「おはようございます。よかった、目を覚まさないのかと思いましたよ」
「良かったな、俺が目を覚まして。俺も目が覚めて良かった」
「悪い夢でも御覧になってたんですか?」
「……まあ、いい夢だけ見れるものなら、人間ずっと眠ったままだ」
死んだ人間は案外いい夢を見ているかも――、寝ぼけた頭で俺は思った。
「ちょっとどいて下さいな。お布団たためませんから」
俺は周りを見た。思い出してきた。
ここは、宿屋<照柿>の二階の部屋。六畳――本当に畳が六枚敷いてあるという意味――。エアコン無し、テレビ無し。紐の垂れた暗いオレンジの電球に、窓ガラスの外は相変わらず宵闇。だが大都市の明りと喧騒は、室内に流入する。
昨日ボロボロの身体で探した、埼国で最も安い宿屋の一つだ。
「今何時?」
「8時36分です。朝の。要は8時30分にお客さんを起こしにきて、5分以上救命士の真似事をしていたってこと」
「……人工呼吸も?」
「はいはい。お客さんが死ぬまでディープ・キスしたかったわ」
「俺だってアンタに殺して欲しかった」
仲居さんは美人だった。
俺は視界の中に異物を捉えた。部屋の隅に、腕を生やした三角形の気味悪い動物が佇んでいた。それはスヤスヤと寝息を立てているように見えた。しかし、不思議な改造をされた彼の身体に呼吸の意味があるのかは、分からなかった。
「おい、起きろ。ジェイソン。起きないと布団と一緒にたたまれちまうぞ」
ジェイソンは起きた。
『やあ、おはようリリー。そういえば君から名前を貰ったんだったね。ジェイソンが僕のことだと理解するのに、0.1秒もかかってしまったよ』
彼は緑の光点をパチパチと瞬かせた。
「アホぬかせ。その胴体の商品名の上から油性ペンで『じぇいそん』って書いてやろうか」
『やめてよ。カッコ悪くなる』
仲居さんが布団をたたみ終えた。彼女は言った。
「まあ、珍しい。その“監督官アンドロイドの運用に関する中央管制部の計画資料の一部”は、ご自分をカッコいいと思っているタイプなの?」
俺は「ああ、そうだよ」と返事をした。しかし、その質問の意味を理解して、気楽な気分は一気に弾け飛んだ。
俺は昨日門をくぐるとき、このジェイソンを門衛に見せ、彼女が言ったような説明をした。門衛は当然、この街を五年前から不法占拠している水上家の人間だった。俺は長旅のあまりの疲労で判断を誤り、水上家に嘘をついた。武闘派マフィア勢力の水上家にだ。
そして今、彼女は当たり前のように俺の発言を知っていた。<照柿>にも、水上の息はかかっていたのだ。
俺は仲居さんに尋ねた。
「……誰かからコイツのことを聞いたのかい?」
「ええ、まあ。“聞かされる”ことになってますから」
「そうかい……。ひょっとしたら、本当にアンタに殺されといた方が良かったのか? 」
「そのジェイソンちゃんが、水上家にとって何の役にも立たない代物なら、そういうことになるでしょうね。要は水上の人間は、嘘つきをディープ・キスで殺す程優しくはないってこと」
彼女は朝ご飯を持ってくると言って廊下に出て、階段の下に降りて行った。
部屋が少しだけ静かになった。外の喧騒は窓ガラス越しに続いていた。しばらくの間、俺もジェイソンも何も喋らなかった。
やがて俺はジェイソンに尋ねた。
「持ってるか?“ 監督官アンドロイドの運用に関する中央管制部の計画資料の一部”を」
ジェイソンは答えた。
『さあ?……僕のHDDを今探してみたけど、そんなタグが付けられた情報は無かったよ』
俺は天井を見上げた。旧世代の電球の周りには、雨漏りの染みが幾つか広がっていた。その染みの一つが、まるで俺を殺す水上家の処刑人の笑顔のように見えた。ニッタリとした残忍な笑顔に。
「こんな安宿の朝食が、最後の晩餐になろうとは」
朝飯のくせに晩餐とは、普通なら中々笑える冗談だった。しかし、今まで修羅場をくぐってきた俺でさえも、流石に閉ざされた城下町の中を逃げ切ろうとは思わなかった。
俺は窓ガラスを少し開け、外を眺めてみた。
通りは人やアンドロイドで溢れていた。色々な店のネオン看板が光っていた。それら中には新政府語や旧日本語の他に、華式エスペラントやロシア世界の文字も混じっていた。埼国には色々な人間が流れてくるのだ。
「飯食ったら、ちょっと街を見て回ろうか。その、“奴さんたち”が俺を連れて行くまでさ」
ジェイソンは言った。
『そうだね。僕もこの街は非常に興味深いよ』
彼は電力消費の激しい歩き方でこちらに来ると、窓枠によじ登って外を眺めた。光点が高速で点滅していた。
彼の胴体には、上の企業のロゴが刻まれていた。F91-Wを作った企業のロゴが。