森は無慈悲な夜の女王①
地下世界は永遠の夜だが、それだけではない。永遠の乾季であり、永遠のスラムであり、そして永遠の監獄だ。
このスクラップ連峰はそんな永遠の監獄の、独房の隅に吹き溜まった塵の塊のようなものだった。
実際の独房と違うのは、これが看守――つまりは“上”の連中――によって投棄された金属のゴミ山だということ。いくら酷い看守でも、人の入った独房をゴミ箱代わりにするはずはない。
そして何より、規模が桁違いだった。
膝に悪い、硬質な金属の山肌は上方に向かって広がり、さらに前方を見渡すと、尖った峰が神話の蛇のようにどこまでも続いているのだ。その全てが投棄された鉄やアルミ、よく分からないメタルやプラスチックだった。
「ここを超えれば……旧埼国地下市。俺はそこに行って何をする? また襲われる」
俺は荒くなってきた息に交えて、溜息をついた。
独り言を言っていると、いつも死にたくなってきた。だから俺は、独り言はいつも最初の一言で止めた。
黙々と進み、ただ進まねばならなかった。
何のために? 生きるためだ。生きて、襲撃の無い街に辿り着き、そこで安心して生活したい。仕事をして、自ら生活の糧を得、余暇にすることといえば――自らの生い立ちを知りたい。それを知ることが、襲撃の理由と、襲撃の首謀者を知ることにつながるはずだから。
俺はただひたすらに、一つ、また一つと山を越えた。
スクラップ連峰には独自の生態系があった。
一つは在来種。投棄された金属ゴミから自然発生した機械生命体で、I科はイヌ、N科はネコというように漠然と分類されていた。
もう一つは外来種。色々な旅の連中が、地下街で改造した動物を放していた。そういう奴らは人間を恨んでいることもあり……
「nhpo;.[@.]:hg..@p:.;oihauirha!!!」
「ちィ!! 来やがった!!」
俺は行商から買ったナイフを急いで抜いた。頭上をK科――金属カラスだ――が風を唸らせながら掠めていき、振り回した俺のナイフは空を切った。
金属木の森によく出現する種類だった。小型の翼竜ほどの大きさがあり、嘴が命中すれば、どんなに当たり所が良くても失血死。
しかし俺は今の一瞬、あの鳥が不吉な装備を持っているのを見た。ひょっとしたら外来種かも知れない。でも、確かな判別はつかない。
奴は獰猛だ。一度狙った獲物は中々諦めない。今度は上から直滑降で来るかも知れない。
俺は歩きながら待った。手にはナイフを握りしめていた。拳銃を前の街で捨ててきたことが悔やまれた。
「gnhei;[/]:;@[;]/gilnanhavmg!!!」
鈍色の森の上空に、カラスの鳴き声が響いた。真上だ。
嘴が命中すれば、失血死――そう、そして、奴は嘴を命中させる以外に攻撃手段を持たない。
俺は3秒待った。次の瞬間に、思いっ切り後ろに飛んだ。勢い余って山道を数メートル転げ落ちた。
俺は前に向き直った。
カラスは逆さになって嘴を金属の道に突きさしたまま、バタバタと暴れていた。
「gailg:」.iia!! Mb[@.[\:lnoe!!」
「悪いが……体に穴は十分足りてるんだ。脳天に三つ目の鼻穴は要らないよ」
俺は関節の連なるカラスの首を掴むと、ナイフを勢いよく突き立てた。
カラスはクエッという情けない声を上げ、機械神経が完全に切断されると、死んだ。
転げ落ちたせいで体が痛んだ。それを我慢しながら、俺は遺骸を子細に点検した。
頭、首の刺し跡、胴。翼に、脚。最後に尻尾。
「……やっぱり」
尻尾から、埋め込まれた部品の内容を示す、手の平大のタグが出ていた。
識別装置だ。機械が人間の顔を識別するときに使う。
俺はこのタグを見たことがあった。ずっと前の街で、半人半アンドロイドの監督官がつけていたのだ。
結論……状況は良くない。
このカラスを外来種に仕立てたのが誰かは分からない。ひょっとしたら襲撃者かも知れないし、そうでないかも知れない。
しかし、識別装置を付けた動物が俺を襲ったという事実は――実際にそれが使用されていたか分からないという気休めを許すことなく――、俺に何一つ愉快な思いをさせることもなかった。
このカラスは、俺を殺害するようプログラムされていたかも知れないのだから。
「……あと200kmってところか」
俺は、これも親切な行商から買ったバックパック――言い値で買いそうな浮浪者に定価で売ってくれることを、親切と呼ばず何と呼ぶ?――に使えそうな部品をしまい、山道を急ぐことにした。
食料は残り僅か。
体力も残り僅か。
希望も僅か。
豊富にあるのは恐怖と絶望と、食えもしない金属植物だけ。
これが厳しい厳しいスクラップ連峰だった。