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「あ…」
ふいに眩い光が頭の奥に過った。のろのろと額に手を当てる。
何だろう、何か、頭に全く違うものがあるような感じを受ける。
この場所に対する、ラズーンに対する、唐突な理解。
「ここは……泉…なんだね……?」
今にも枯れそうな小さな小さな泉。
世界にあり、自らのうちにあり、そして、全ての命にある、もの。
「生命の生み出される統合府……でも……私はどうしてこんなことを…?」
「洗礼を半分受けたんだ」
アシャがベッドに腰を降ろしながら応じた。
「死ぬかと思ったぞ」
薄い笑み、けれどユーノを見つめる瞳がひどく熱っぽい。思わずたじろいで目を伏せる。
「ご…めん」
軽く頭を下げた髪に、ごく自然にアシャが指を伸ばして触れて来た。今までもよくあったことなのに、なぜか直接肌に触れられたような切なさに、僅かに身を引く。とくとく、と急に高鳴った胸に戸惑い、慌てて言い聞かせる。
(レアナ姉さまのアシャだぞ)
何をいまさら揺らいでいる。
涙を流しているからか、と気づいて、急いでごしごしと両目を擦って涙を拭った。
(ちっちゃな子どもに見えてるのかも知れない)
強いて顔を上げ、間近にあったアシャの顔を真正面から見返し、精一杯にっこり笑った。
「心配してくれて、ありがとう」
「……後の半分は、全快してからだ」
何かを言いたげに、まだユーノの髪に触れていたアシャはまっすぐな視線に一瞬怯み、ゆっくり瞬きし、やがて小さく吐息をついた。諦めたような気配で手を下ろし、だが、次の瞬間、一気に間合いを詰めてユーノに迫る。
「アシャ…っ」
とっさに固めた体を、アシャは空気のように軽々と抱き上げた。滑らせた手に腰の剣は触れない。その手も包むように抱き込まれて体が一気に熱を上げる。
「ちょっ」
「さ、帰ろう」
ユーノのうろたえを意にも介さず、アシャは悠々と歩き始める。
「レス達が心配している」
「大丈夫だよ、歩けるっ」
「だめだ」
抗議は一言で封じられた。言い返そうとしたことばは、静かに見下ろすアシャの威圧感に圧倒される。貫くような紫の瞳、殺されるというよりは、奪われる、という感覚。泉の中央に飛び込まれるような衝撃に目を閉じる。
(卑怯者)
罵倒は口にできなかった。
(そんな目で見るな)
「……もう少し、ここにいろ」
響いた声が微かに震えたように聞こえて目を開いたが、相手はまっすぐ前を見ているだけだった。
「レス!」
「いくのっ!」
「ヒストでは無理だって!」
「ヒストが行きたがってるんだもん! はなして、イルファ、イル…」
「レス?」
どうやってヒストに跨がったのか、ヒストがなぜ少年を受け入れたのか、とにかく既に馬上で今にも手綱をとり、走り出さんばかりだったレスファートが、凍りついたように動きを止めるのに、イルファは相手の視線を追って振り返った。
「お」
「ユーノだ…」
ぽつりとレスファートが呟き、差し伸べられていたイルファの腕をするすると伝って馬から下りた。イルファも呆然と背後を振り返ったまま、レスファートが降りるのに無意識に手を貸してやり、ゆっくり近づいてくる馬を見つめる。
「ユーノ…か?」
「やあ、レス」
「おまえ…………おい、アシャ」
「うまくいったのさ」
にっと笑うアシャの顔が子どものように無邪気で嬉しそうだ。馬を止めて降りる、続いて、まだ右肩が充分使えないのだろう、危なっかしくバランスを取るユーノを支えて降ろしてやる。
やがて地面に降り立ったユーノは、少しおどけた調子で片手を広げてみせた。
「レス? 私を忘れたの?」
「ユーノ……ユーノ………ユーノ!ユーノ!ユーノ!!」
何度呼んでも呼び足りないように、レスファートはユーノの名前を連呼して飛びついていった。僅かによろめいて、それでも屈み込んで抱きとめ、ふと、ユーノが少年の片手が血だらけなのに気づく。
「これどうしたの、レス?」
「いっ…いたいのぉ!」
レスファートがくしゃりと顔を歪めると、わああっと声を上げて泣き出した。ぴったりとユーノの首に片手を巻き付けて離れないまま、傷ついた方の掌を開いて見せる。
「あーあ、何で切ったんだ?」
「っく…っ、痛いよ…ぉ、ユーノぉ…」
「うんうん、よしよし」
「あーあーあーあー」
イルファは顎の先をかきながら呆れてみせた。
「ユーノがいると、とたんに甘え出して…」
「どうしたんだ?」
きょとんとしているアシャの問いかけに肩を竦め、
「後で話す。そっちの話も訊かなくちゃならんからな」
「わかってる……ユーノ! レス!」
一瞬瞳を翳らせたアシャが、くっついたままの二人を振り返る。
「あ、うん」
「ユーノぉ」
「うん、一緒に行こうな」
レスファートを服にしがみつかせたまま、ユーノがミダス公の屋敷に向かって歩き出す。
「ユーノ! …アシャ兄さま!」
歓喜の声を上げて、リディノが駆け寄ってきつつあった。




