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呼びかけに応えるように、ひくりとユーノの指が動くのを、胸のあたりで感じた。頬をすり寄せ、より強く抱き締める。骨も筋肉も存在しないようにどこまでも抱き込んでしまえる体に恐怖が募る、まるで幻を抱いているようで。
(ユーノ!)
爆発してしまえばユーノを壊してしまう。弱すぎては呼び戻せない。アシャの知らぬ世界に遠ざかっていこうとするユーノを、体で心で引き止める。
制御しながらの力の開放、見る見る疲労感が這い昇ってくる。他人に精神力を注ぎ込む、しかも破壊するためではなく、生き返らせるために注ぎ込むなどというとんでもない芸当は初めてだ。
ぴく…っと、今度は垂れた足先が震えたようだ。
(保て)
焦点が少しでもずれてしまえば、アシャの力はユーノを破壊してしまう。汗が流れ落ちる。金のオーラが揺れて波打っているのがわかる、脆く危うく頼りなく。
(まだだ、まだ保て)
きり、と奥歯が鳴った。頭痛がする。吐き気がする。全力を放つ、だが一度に解き放ってはいけない、ユーノの心の器と受け入れ口の許容度を確認しながら、少しずつ少しずつ、気力を取り戻すエネルギーを送り込む。
オーラの気配が薄れてきた。エネルギーが足りない、アシャの保持出来る量では全然足りないとわかってくる。全て注ぎ込んでしまえば、アシャの心が外殻を失って崩れる可能性が高い、それでも。
「…ふ…」
「っ」
ユーノが小さく息を吐いた。たったそれだけのことなのに、胸に広がったのは極めた快感に限りなく近い幸福感、体の中心を貫かれたような喜びに融けそうになる。
(俺は、これほどこの娘が大切なのか)
甘く切ない波に溺れかけながら、胸の底で呟いた。
ユーノの指がそっとアシャの服を握りしめた。小刻みに震えながら、存在を確かめるように力を込めてくるのに、アシャは目を開く。もう一方の手、負傷している右手が、探りながら同じように服を掴んでくるのに気づいた。
「…ユーノ…」
滴る汗を感じるなど、どれほど昔のことだろう。細めた視界にユーノの顔が血色を取り戻してくるのが見える、それが竦むほど嬉しくて、囁きながらその頬に唇を触れる自分が、無意識に微笑んでいるのを感じる。
気力が落ちる、エネルギーが止めどなく流れ出し、アシャの原型はもうすぐ姿を失うのだろう、それでもユーノの中に注ぎ込めるのなら本望だとしか思えない。
「俺は…」
お前の中に消え失せる。なのに、この喜びは何だろう、どこから来るものだろう。今まで経験したことがない、快感としか思えないこの感覚は。
「……ああ…」
漏らした声が甘い。うっとりと目を閉じかけた次の瞬間、肩に力強い波動を感じて瞬きした。振り返る、同じように金色のオーラに包まれ出した『太皇』を見て取り、目を見開く。
「『太皇』…」
「続けなさい、わしが補佐しよう」
白く長い髭と白髪に囲まれた顔に、穏やかで静かな。世の成り立ちと仕組みを知り抜いた者のみが浮かべられる、不思議に暖かい笑みが広がっている。
「『銀の王族』と、ラズーン随一の視察官を失うわけにもいくまい」
「……あり、がとうございます」
掠れた声がどこかがっかりしたように響いただろうか。
それでも、アシャ一人ではユーノを取り戻せないのはわかっている。
再び集中を高めてユーノの体を抱き締め直す。『太皇』の手から伝わってくる力が加わって、さっきより数段楽に力が制御できる。
もっとも『太皇』の補佐だけではなく、ユーノが次第に意識を取り戻し、急速に回復し始めたからの負担の軽減、滑らかに整えられた道筋に容量を上乗せしていくだけで済む。
「あ…ふ…」
微かな呼吸が始まる。自ら腕を引き、足を体に寄せて引き上げる。
まるで胎児から再び産まれ直そうとするように、ユーノは小さく縮こまった。身震いを繰り返し、温かみを求めてアシャの腕の中に潜り込んでくる。
やがて、唐突にユーノは目を開いた。
「ユーノ…?」
囁く声が、どこから聞こえたのかと訝るように、ユーノはゆっくりと首を回した。生まれたての赤ん坊が自分の居場所を探すように、どこか怯えたような目で辺りを見回す。
やがて、濡れた黒い瞳が期待を込めて見つめるアシャに止まった。邪気のない凝視、ふわりと柔らかな笑みが広がる。
「ア…シャ…」
「ああ…」
ぞくり、と背筋を走ったのは興奮か畏怖か。体を駆け上がる震えを必死に殺しながら、アシャは笑み返す。
「わ…た…し…?」
「……もう少し眠っておいで」
アシャは低く囁いた。
「疲れただろう…?」
「……うん…」
僅かに頷いて、ユーノは目を閉じた。それほど待つ間もなく、すやすやと安らかな健やかな寝息を立て始める。
「……どれ」
ユーノの寝顔に見惚れるアシャの背後から、『太皇』が手を伸ばして来た。
「わしが戻してやろう。お前は疲れ切っておる」
「大丈夫です、私が……っ」
ユーノを抱いたまま立ち上がりかけ、アシャはカクンと腰を落とした。
「え」
危うく腕から投げ出しそうになったユーノを慌てて抱き締める。
「だから言ったじゃろう」
『太皇』が笑みを含みながら応じた。何度か力を溜めて立とうとしても、どうしても立つことができないアシャから、軽々とユーノを抱き上げ、水槽の中に戻す。『マスク』は付け直したが、額の膜の輪はつけずにアシャに笑いかけた。
「命をかけて取り戻した功績に免じる。洗礼の続きは伸ばそう。回復したら、この娘の安否を気遣って待っている者達に知らせるがよい」
「は…」
何とか拝跪の礼を取り、立ち去る『太皇』を見送った後、アシャは溜め息をついて体を崩した。ユーノが眠る水槽にもたれる。正直なところ、座っているのも倦怠感が強くて苦しい。けれど、心は軽やかに弾んでいる。
(取り戻した)
堪え難い喜びが胸を膨らませる。充実感と達成感。
(ようやく、守れた)
目を閉じて、息を吐き……アシャはそのまま深い眠りに落ちていった。




