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ラズーン 3   作者: segakiyui
10.『氷の双宮』
90/115

8

(ユーノ…)

 アシャはじっと、水槽の中に漂っているユーノを見つめた。

 水色の栄養液のせいか、肌が透けるほど蒼白く見える。昏々と眠り続けているユーノの右肩には、細胞の再生が行われていることを示す微かな泡がまとわりついている。

 だが、その速さは嫌になるほど緩慢で、3日目だというのにまだ半分も蘇生していない。通常の傷ならばとっくに塞がっていていいはずなのに。

(逝ってしまう気か)

 まろやかな膨らみの胸が、緩やかに上下するのを見ながら、胸の中で問いかける。呼吸に合わせて僅かに浮き沈みする体は全裸、両手を少し広げ、短い髪が水草のように顔にまとわりつき、アシャの知らなかった傷をも癒している姿はまるで水死した者のように生気がない。

(もう、二度と目を開けない気…か?)

 抱き寄せられないのが苦しい。水槽の蓋にすがりつくような自分のみっともなさも意識の外だ。拳を握りしめて叩き割りたくなる、ユーノを隔てる透明な壁を。

(戻ってくれ)

 この装置はそれほど長期のためのものではない。回復力を増強するように調整はされているが、基本になるのは本人の持つ生命力、水中に沈んでいる体への負荷と回復度のバランスを考えてはじき出された期間は5日、後2日と少ししかない。

(戻ってきてくれ……ユーノ)

 脳裏に鮮血の記憶が重なっていく。レクスファでの、ガズラでの、キャサランでの、そしてこともあろうにラズーン、ミダス領地での。アシャの腕の中で、止め切れずに流れ落ちていく血の生温かさを、これほどの恐怖で見守ったことなどない。

 戻って欲しいと切に願う。だが戻った体が何に供されるか、アシャは考えまいとしている。

(何のための代償だ)

 唇を噛む。眉を寄せる。聞くまでもない。ラズーンを守るために、ユーノの中に植え付けられた力は、あっさりと死ぬことを選ばなかった、そういうことだ。

(何のための)

 世界を守るため……だが、その世界は、ユーノにこれほどの苦痛を耐えさせるほど価値があるものなのか? 

「アシャ」

「…」

 呼びかけられて体を起こし、振り返る。

「またここにおったのか」

「『太皇スーグ』…」

 老人が近づいてくるのに、アシャは暗く笑った。

「クェアッ!」

 相手の肩からふわりとサマルカンドが飛び上がり、沈んでいるアシャの肩に乗り移る。そのまま、気遣うように水槽の中のユーノを覗き込み、クェッ、と小さく怯えたような声をたてた。

「お前にもわかるか?」

 滑らかな羽を撫でてやる。

「今の回復率は?」

「…2割弱です」

 アシャは『太皇スーグ』を振り向いた。

「2日前と状況は変わっていません」

 わかってしまう自分が情けないと思ったのは初めてだった。

 『太皇スーグ』は頷き、ゆっくりと白の長衣の裾をさばいて近づいてくると、同じようにユーノを覗き込んだ。

「幼い娘だな」

「はい…回復力も」

 あまり望めない。ことばを口に出せずに噛み殺す。回復力は少しずつ増してはいる。調整も怠っていない。だが、それを支えてくれる体力がどこまで持ってくれるだろう。疲弊しきっているユーノの体は救急処置が第一選択、栄養を注入しかけたとたんに体液バランスを崩しかけたせいで、十分に補給できていない。今ユーノは自分の体を食い尽くしながら、傷を治しているようなものだ。

「『銀の王族』じゃな」

「…はい」

 重い『太皇スーグ』の声に、続くことばを察して、体が震えた。

「この娘を失うわけにはいかないのじゃ」

「は、い」

(俺も同じだ)

 叫びそうになるのをアシャは堪える。

(あなたより、いや、他の誰より、俺もユーノを失うわけにはいかない)

「たとえ、この命が終わろうとも」

「っ」

 思わず相手を睨み据えてしまった。

「このままでは、この娘は死んでいくのみじゃよ」

「わかっています」

「ラズーンの『太皇スーグ』として、この娘をむざむざ死なせるわけにはいかん」

 わかっておろう、と『太皇スーグ』は語る。『銀の王族』を回収してくるはずの視察官オペが次々と『運命リマイン』の襲撃を受けていることを。

「必要数が欠ける恐れさえあるのじゃ」

「しかし、『太皇スーグ』」

「この娘は」

 アシャの反論を、『太皇スーグ』は一言で封じた。じっとアシャを見つめてくる瞳は暗い灰色、穏やかに、だが反論することを許さない強さでことばを継ぐ。

「この娘は『銀の王族』として、この世に生を受けた。ならば、その務めを果たしてから死ぬのが、摂理というものではないのか?」

「しかし…」

 『太皇スーグ』のことばは正論だ。この世界は非常にあやふやな力で成り立っている。しかも、『運命リマイン』が覇権を望む今、ラズーンの力をこれ以上削るわけにはいかないのもわかる。

「ユーノは今、体力を使い果たしています。こんな状態で『洗礼』を受ければ、それこそ命の保証がありません」

 幼い愚かな言い訳だとわかっていた。

「この娘が『銀の王族』の務めを果たさぬまま死ねば、どのようなことが世界を待ち構えているか、ラズーンの名を持つそなたならわかっておろう」

 『太皇スーグ』は静かに続けた。


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