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「『氷の双宮』については…」
席を立ったミダス公が、窓に近寄りながら続けた。
「私達も詳しくは知らないのです」
「どうしてです? あなたはラズーンの四大公でしょう?」
ついさっきまで旺盛な食欲を満たしていたイルファは、今はゆったりと椅子の背にもたれながら、ミダス公に問う。
「確かに、私は、ジーフォ公、アギャン公、セシ公と並ぶ、ラズーン四大公の一人です。しかし、だからと言って、ラズーンの全てを知っているわけではない」
ミダス公は窓辺でくるりと振り返った。背後からの光を受けて、プラチナがかった金髪がきらきらと光輪のように輝いている。その光の中心あたりから声が続く。
「ラズーンがどうして、この世界の統合府となったのか、どうして我ら四人が大公の位を与えられ、今日に至っているのか……恥ずかしいことだが、全く知らないのです。私は父祖より与えられた地位を受け継いだのみであるし、おそらく、他の三人も同様でしょう」
「知らない?」
腹が膨れたせいか、やや眠たげな目になっていたイルファは、思わず瞬きした。
「そいつあ、面白い。なら、あなた方は、ラズーンでどんな役目を担っているんです」
仮にも分領地の長に対してあまりにも不躾な物言いだったが、ミダス公は気を悪くした様子もなく、笑みを浮かべて席に戻ってきた。
「そう…私達がしていることは、主として自らの分領地の管理、ですね」
応えながら、ミダス公は、卓に置かれていた複雑な形の木の小槌を、その下の平たい木の板に叩き付ける。コーン、と張りのある音が通って、入ってきた男女が次々と卓の上の皿や残り物を片付けていく。
もう少し腹に余裕があれば食べ切るところだが、さすがのイルファもこれ以上は入らない。残念な気持ちを隠し切れず、名残惜しく見送っていると、まだ必要だろうと思われたのか、木鉢に盛ったラクシュの実と、ほの明るい紅の酒を注いだコップが残された。早速手を伸ばし、一つ二つ、ラクシュの実を口の中に放り込んで噛み砕きながら、イルファは重ねて尋ねる。
「分領地の管理……領主、ということですな?」
「その通りです」
ミダス公はじっと酒の色を確かめるように、コップを見つめた。
「時々、『太皇』よりお召しがあって、『氷の双宮』へ向かいます。普段は外からは開かぬ扉ですが、その時だけは押すと開きます。もっとも、どういう仕掛けなのか、私達四大公、それに視察官以外では、あの扉は開かないのです」
一息ついて、ミダス公は酒を含み、ラクシュの黒い小さな実を摘んだ。
「中に入り、『氷の双宮』の左の宮で『太皇』に謁見を賜り、時には四大公でお互いの掟や領地での出来事について話し合います……それだけです」
最後のことばに微かな疲れが滲んだ。
「全体の施政は? どう管理されているんです?」
大食漢で無遠慮な男ではあるが、伊達にレクスファで王の側にいたわけではない、思ったよりも曖昧な仕組みに、イルファはのんびりと問いかける。
「全体?」
「ああ、ラズーン全体の。そもそも、ラズーンの世の統合府ですよね。世界はどうやって統治されているんですか?」
イルファ達末端の人間が知っているのは、自分達の国々のことだ。ラズーンは世界の様々な出来事についてほとんど干渉しない。時にカザドのような無法な動きをする国がなくもないが、周囲の国を席巻し、呑み込むようなことにはならない。不穏な動きは静かに穏やかに、燃え盛る炎に少しずつ湿った布が投げ込まれていくように、じりじりと勢いを削られて消えていくのが常、時には内乱のような形で決着がつくこともあるが、時にはよく理由がわからないままに火種がなくなることもある。
だからこそ、ラズーンには秘めた懐刀があり、その役職を担う者が世界に散っており、見えない場所から国々の動きを眺め、よほど世界の安定を揺らがせるようなことがあるなら、その懐刀が動き出す…そういうお伽噺じみた噂が立つのだ。
視察官や『運命』のことを知った今となっては、世界の動向を監視するのが視察官であり、その補正と安定に力を尽くすのが『運命』だったという想像はつく。今の世界の動乱が、その『運命』の造反、本来ならばラズーンを継ぐ王子達、アシャやギヌア達の職務の放棄が重なったため、そう考えるのも辻褄があう。
だが、それだけでは説明のつかないこともある。
 




