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ラズーン 3   作者: segakiyui
9.刺客
79/115

5

「遅いな…」

「うん…」

 レスファートが頷くのに、席についていたアシャは入り口の方を振り返った。

 ユーノはまだ姿を現さない。

「あら、それは立風琴リュシ?」

 リディノがアシャの席の横をみやって尋ねる。一瞬しまった、と顔を引き攣らせたが、アシャは仕方なしに頷いた。

「ええ…まあ」

「珍しいわね、アシャ兄さまが立風琴リュシを持っているなんて」

「ユーノに聴かせるんだって」

「む…」

 レスファートが無邪気に答えるのに、アシャは思わず額に手を当てた。え、と訳がわからぬような顔でアシャを見たリディノが、気を取り直したようにねだる。

「ねえ、ユーノが来るまで、一曲弾いて?」

 先に食べてて、というユーノのことばを伝えた上で、もう少し待ってみましょうと提案したのもリディノだったので、場繋ぎの意味も込めたのだろう。

「ぼくも聴きたい」

「私も、久しぶりにお聴きしたいですな」

 レスファートに重ねて、ミダス公が穏やかに促した。

「確か、ラズーン一の詩人が双手を挙げて迎え、膝を屈して教えを乞うたと聞いておりますぞ」

 周囲の視線に、アシャは歯切れ悪く応じた。

「それが、その、調弦もまだですから」

「時間はまだありそうよ」

 リディノが入り口を見やって振り返る。

「お願い、アシャ兄さま」

 その潤んだような瞳にアシャは昔から弱かった。自分が理不尽な力を振り回しているような妙な罪悪感を感じる。

 仕方なしに立風琴リュシを抱え、音を合わせ始めた。

 一弦、二弦……。

「何を歌いましょう?」

「何でもよいが…」

「私、あれが好き」

 リディノが小首を傾げて小さく口ずさんだ。銀鈴を震わせるような声だ。

「ああ……『花苑にて』」

「そう、その三つ目の」

「『瞳の哀しさ…』か?」

「ええ」

 アシャは溜め息をついた。

 よりにもよって、ユーノに聴かせようと思った詩を選ぶことはないだろうに、と心の中でぼやく。が、だめだと言えば、どうしてかと問われるだろう。リディノが自分にまだ執着しているとわかった今では、余計な混乱を招くようなアシャの想いを伏せておきたい。

 軽く一本の弦を弾き、歌い出す。

「瞳の哀しさに

 心を魅かれる

 魂の色に

 心を魅かれる

 それを罪だと誰が言おう?

 

 花苑にて

 涙こらえる幼き少女よ

 私の想いに気づいて……!」

「いたっ!!」

 ビンッ!

「どうしたの?!」

「どうした?!」

 異口同音に、リディノとイルファの問いが、アシャとレスファートに投げられた。

「う…ん」

 レスファートが右肩を押さえて目をぱちぱちさせている。

「何か今、すごく痛かった…」

「アシャ兄さまは?」

「いや…」

 アシャは呆気にとられて、立風琴リュシを見つめた。その中の、最も切れにくいはずの中央の弦がいきなり切れてしまったのだ。

「弦が…」

「第三弦が? おかしいわね……めったに切れないのに…」

「レスは?」

 さすがに心配そうにイルファが尋ねるのに、レスファートは弱々しく笑ってみせた。

「だいじょうぶ。もう痛くないよ」

「モスの奴らに捻られたのが残ってたんじゃないのか?」

「ちがうよ!」

 レスファートは唇を尖らせた。

「ぼく、そんなヤワじゃないもん。あの時だって、ぼくが『そう』だったんじゃなくて、ユーノが…」

 言いかけて、その恐ろしい符号に気づいたように瞳を大きく見開いた。

「ユー…ノ…が…」

「遅すぎる」

 アシャは顔をしかめて席を立った。立風琴リュシを置き、剣を握る。自分が酒食にふさわしくない猛々しい気配を放っていることは承知していたが、溢れる殺気が止められない。鋭くリディノを一瞥する。

「ユーノは?」

「あ、あの…」

 静かな声音が孕む怒気に、リディノが顔を青ざめさせた。

「花苑の東の端に…」

「東だな」

「待って、アシャ!」

「おい!」

 飛び出すアシャに続いて、異変を感じたレスファートとイルファが追う。


 何があったかは一目瞭然だった。

 踏み散らされた花々、荒らされた地面、切り裂かれたマントの切れ端。

(一人…いや、二人か)

 すばやく周囲を見渡し、状況を見て取る。

「おい…アシャ…」

 イルファが険しい声で唸った。

「こいつあ、どういうことだ? ラズーンの中で狙われるってのは……もう『運命リマイン』の手が」

「ああ」

 苦々しい思いで同意する。

 こうなっては、ラズーン内部の裏切り、それも視察官オペクラスの離反を考えざるをえないだろう。宙道シノイの時に抱いた疑いが、アシャの心の中で大きな闇となって広がっていく。

「アシャ…」

 震え声で囁いたレスファートが、アシャに身を寄せ、ぎゅっと服を掴んでくる。その視線は、目の前のラフレスの花に注がれている。

 ラフレスは、毒々しい紅をその身に浴びていた。『月光花』と異名のある蒼白い花が鮮血に濡れているのが、姿のないユーノの運命を暗示しているように思える。

 身を屈め、そのラフレスを折り取る。

 すぐ近くに、これ見よがしに、刀身の半分以上が汚れた長剣が地面に突き立てられていた。ねっとりとした赤で染まっているばかりか、吐き気がするようなぐずぐずした塊までこびりついている。

 おそらく、この剣はユーノの華奢な体を貫き通した、そういうことだ。

 そして、その大怪我をしているはずのユーノの姿は、花苑のどこにもない。

 レスファートの口元からカタカタと小さな音が響く。恐怖のあまり歯の根が合わないのだろう、必死に服にしがみついて、何とか倒れるのをこらえているようだ。剣を握った片手で体を支えてやると、小さな泣き声が漏れた。

「ゆ…の…ぉ」

「上等だ」

 自分でも信じられぬほど冷えた声音になっていた。

 こんな風に、まるで哄笑を残していくような演出をしたがるのが誰か、アシャは熟知している。標的はユーノではない、アシャなのだ。ユーノは、またもや、アシャへの嫉妬に巻き込まれたのだ。

 ぎり、っと奥歯が鳴った。顔から一切の感情が消えたのがわかった。

「どうした…?」

「アシャ…ひっ」

 飛び出したアシャ達を案じてやってきたらしいミダス公とリディノが、少し離れたところで惨状に気づいて立ち竦む。振り向くと、リディノの薄緑の目が吸い付けられるように血塗れの長剣に止まり、無理矢理広げられるように大きく開かれる。

「あ…」

 両手を口に当てる。瞳からぽろぽろと涙が零れた。

「私が……私…が…ユーノを一人にした…から…」

「あなたのせいじゃない」

 アシャはそっけなく応じた。

 もはやリディノの存在も、周囲の全てが遠ざかり、消え去っていく。

 白い何もない空間に一つの声だけが響く。

(俺が、いなかった)

 ぐしゃりとアシャの手の中でラフレスが握り潰された。


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