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「ん?」
回廊の角を曲がって歩いてきたアシャは、突き出したテラスの手すりに腰掛け、足をぶらぶらさせている少年を見つけた。
「レス?」
「アシャ」
呼びかけに顔を上げたが、すぐにぷいっと不愉快そうな顔で外を向いてしまう。
「……機嫌が悪そうだな」
笑いかけるアシャに、きらりとアクアマリンの瞳を光らせて頷いた。
「うん。ぼく、キゲン悪いの」
「どうした? イルファは?」
「まだ寝てる」
「ったく……あいつは食うか寝るかしか知らないな」
「それ、何?」
レスファートはアシャの片手の立風琴に興味が湧いたようだ。
「ああ。立風琴だ」
「りゅ…し?」
「そう、『風の竪琴』とも呼ばれているよ」
「アシャ、弾けるの?」
「少しはな。ユーノにでも聴かせようと思ったんだが、どこにいったかわからなくってな」
「……」
「レス?」
ユーノの名前を出したとたん、レスファートは再び不機嫌そうな顔になった。
「ぼく、あの人、きらい」
「あの人って?」
「リディノ…って人」
アシャは瞬きした。
「どうして」
「だって…」
レスファートは膨れたまま答えた。
「全然ユーノを返してくれないんだもん」
「え?」
「朝からずっとユーノと一緒に話してるのに、ぼく、まぜてくれないんだ」
「なんだ…」
(そうか、リディノと一緒に居るのか)
「お前、仲間はずれにされて怒ってるのか?」
「だって!」
少年は顔を紅潮させて反論した。
「ユーノ、独り占めにしてるんだもん! ぼくだって、ユーノの側にいたいもん!」
「ユーノを独り占めにされてると腹が立つのか?」
「立つの!」
「じゃあ、もし俺が独り占めにしたら、どうなる?」
アシャはテラスにもたれて笑いかけた。
「アシャが?」
きょとんとした顔でレスファートは問いかけた。
「どうして?」
「どうしてって……まあ、その、理由はどうでもいいから」
アシャは微妙に口ごもる。脳裏に過ったのは、心を閉ざしたレスファートが、アシャとユーノの間に割り入った光景だ。
「どうだ?」
「うーん…」
レスファートは少し首を傾げた。日差しにプラチナブロンドを透けさせて考え込み、小さなこぶしを頬に当てる。アクアマリンの目が一瞬どこか大人びた色をたたえ、こちらを向いた。
「腹立つ」
「腹が立つか」
「うん……でも」
ほ、とレスファートは小さく溜め息をついた。
「…アシャならいいや」
「え?」
レスファートの声が、子どもの声にふさわしくない深さを響かせて翳るのに、アシャは相手の横顔を見つめた。
「なぜ?」
「……よくわかんないけど……アシャなら、いいんだ」
少年は考え込みながら続けた。
「他の人だとね、ユーノの胸が苦しくなるの……きゅうってしまって、すごく痛いんだ」
「……」
「だけど、アシャといると……痛くなんない。…ううん、痛くなっても、痛くない」
「痛くなっても痛くない? どういうことだ?」
「わかんないよ」
レスファートはかぶりを振った。
「なんか、ごちゃごちゃしててわかんない。でも、ユーノが苦しくならなくってすむんだもん」
にこり、と少年は笑ってみせた。
「だから、腹立つけど、アシャならいい」
少し迷って付け加える。
「…だけど、ぼくを置いてっちゃ、やだ」
「レス」「わ」
くすりとアシャは笑った。片腕でレスファートを抱え上げる。
「お前は健気だな」
「ケナゲ?」
「ああ」
「わかんない」
ぴとりと首にしがみつくレスファートに微笑む。
「そのうち、わかるさ」
「おーい!」
回廊の向こうから、聞き慣れたどら声が響き渡った。それを追うように、トーンと木の板を打ち合わせたような音が聞こえる。
「何?」
「昼の合図だろ。ほら、イルファが来た」
「どこに行ってたんだ!!」
ドタドタとイルファは回廊を走り寄ってきた。
「もう俺は飯を食い終わったぞ!」
「イルファ、ずるい!」
「何がずるい」
のうのうとした顔でイルファは目を剥く。
「起きたら腹が減ってた。で、飯を食った。どこがおかしい?」
「確かにおかしくはないな」
アシャが苦笑いする。
「でも、ずるいもん! ぼくもお腹すいたもん、なんで呼んでくれないの」
「呼んだけどいなかった」
「絶対呼んでないっ」
「呼んだぞ、レスー、アシャーって」
「どこで」
「飯を食いながらだなあ」
「ひどいーっ」
レスファートが抗議し始めたが、イルファは堪えた様子もなし、仕方なしに最後は盛大に、イルファなんか大嫌いだーっ、とののしって、少年は唇を尖らせた。




