14
するりとユーノの腕が滑り落ちる。アシャの胸に頭をもたせかけて、柔らかな寝息を立て出した相手を、静かに部屋に運び込む。
「……かなり長い間居たな」
あちらもこちらもひんやりしている。けれど、アシャの腕の中に居る間に、少しずつ少しずつ温かみを取り戻してくる体が、ユーノと自分の距離そのものに思えて切なくなる。
ぐっすり眠り込んでいるユーノをベッドに寝かせる。
(疲れた顔して)
ちょんと頬を突くと、ん、と小さく呻いて顔を背けた。だが、よほど眠いのだろう、目を覚まさずにすうすうと気持ち良さそうに寝息を立て続ける。
「……」
ふ、と自分の眉が緩んだのに気づいた。
「……本当にお前ときたら」
(どこまで心配させたら気が済むんだ?)
もうラズーンの中に入っている。アシャの腕の中に抱え込んだようなものなのに、なぜ、なおもこうして、側に居なくなるかも知れないと不安になるのだろう。
(俺よりずっと遠くを見ている気がする)
ラズーンに辿り着いた時、気のせいだろうか、ユーノは手前にあるラズーンよりも、その後方、遥か彼方にある『狩人の山』(オムニド)の頂を見つめていたような気がした。
旅の終点はここなのに、ユーノはまだもっと先へ進んで行ってしまいそうな。
その山々にはミネルバの属していた『泉の狩人』達が居る。
(偶然か?)
ユーノがもし、『銀の王族』の中の特殊な存在であるとしたら、儀式の後に国に戻れるかどうかはわからないと知っている。二百年祭がこれまでのものと違うものになりそうな世界の変貌、それと、かつて大いなる戦いに加わった『泉の狩人』達が関係してきているのは偶然ではないはずだ。
「…行くな」
思わず零れた自分の声の幼さにたじろぐ。それでももう一度繰り返してしまう。
「…どこへも行くな」
(俺の側に)
「ここが終わりだ」
そうではないことはわかっている、けれどもことばは力を持つかもしれない。
「俺の側が…お前の居場所だ…ろ…?」
(ああ…俺は)
ふいに気づいた。
自分が捨てたラズーンを目指したのは、不要だと思っている正統後継者を名乗ったのは、ラズーンの王子ならば、この魂を自分に繋ぎ留められるかも知れないと思ったからだ。ユーノが辿り着こうとしているのがラズーンならば、自分がそこの支配者であればいいと思ったからだ。
(そうすれば、ユーノは俺を求めてくれる…と…?)
思ってもいなかった結論、驚きに目を見張る。
「……ばか…か…俺は…」
けなしながら、思わず自分の髪をぐしゃりと掴んだ。
「そんなやつは…こいつじゃない…じゃないか…」
ベッドの上で無防備に月光に照らされた頬、ああそうだ、ようやくアシャはここまでユーノに近づけた。自分が側に居ても安心して眠ってくれる、その信頼を勝ち得はした、だが。
(俺が欲しいのは)
体を覆うドレスなぞ、きっと探せばもっと見つかる。なのに、あの広間で、四大公の一人にまでユーノのあの姿を見せようとしたのは、きっと叫びたかったからだ、手を出すな、と。
(こいつの所有者は俺だ、と)
「ったく……一体何をやってる…」
自分の美貌でなびかなかった。剣の技を見せつけ、常人の知らぬ知識をほのめかしても魅かれてくれず、間近に守り支えても揺れてくれなかった。だから地位と権力で、ユーノを圧倒したつもりだった、なのに。
生まれた故郷からこれほど遠く離れた場所で、自分の生き様を嘲笑されるかも知れないような世界で、戻る術さえ保障されないこの状況で、アシャと過ごした時間を幸せな旅だったと言い切って笑う。
「…なんで…俺は…そんなことが…嬉しい…?」
視界が霞んだ理由はわかっている。
生まれた意味はなかった。殺される理由しかなかった。存在する必要性はなかった。存在してはならない掟はあった。
誰が今まで、ユーノのように笑ってくれただろう、数々の飾りを越えた場所にやってきて、アシャの生身に触れてもなお、あなたと居るのは幸福だと見上げてくれるなどと。
「もっと…俺はもっと…こいつを……手に入れたい…んだろ…?」
なのに、側でユーノが眠っている、それだけで満たされていくこの気持ちは何だろう。
「……違う…のか…?」
小さく呟く声は、戸惑い怯える響きを宿す。
「……俺が……所有されたい…のか…?」
主よ。
ことばが胸に響く。
俺の、ただ一人の主よ。
「……そう…か…」
髪を手放す。くしゃくしゃに乱れた金色の光の下、滲むように微笑んだ。
「俺は……お前の付き人…だよな…?」
これまでも、これからも。
安堵が広がる、例えようもなく、甘く柔らかな感覚。
「ああ……そうだ」
静かに顔を降ろして、眠るユーノの唇に口づけする。
それは欲情というより遥かに深い願い。
「ユーノ……頼む…」
低く低く懇願する。
空気の振動で起こしてしまわないかと危ぶみながら。
体が震える熱病のように。
「俺を…手放さないでくれ…」
漏れかけた嗚咽をアシャは呑み込んだ。




