13
「……ところで、何をしていた、こんなところで」
まるで、胸の内を吐き出せと言うようにアシャが問うてきて、苦笑する。
「今までのことを…思い出してた」
話すつもりはなかったのに、つい、口からことばが零れた。
「いろんなことがあったなあ、って」
風が吹き寄せる。前髪が乱れて伏せた目を隠してくれるから、話しやすくなった。
「……よく生きて辿り着けたなあって」
「本当だぞ」
アシャが熱を込めて同意した。
「ガズラやキャサラン辺境区のようなことが、これからも続くなら、俺がもたん」
「うん…」
本当に無茶ばかりやってきた。
「いろいろ、迷惑かけたよね」
風は樹々の梢も揺らせる。庭のどこかにジェブの樹があるのだろう、いつかの夜のような音律を紡いでいく。
「長くて……」
(私はアシャにお礼も伝えていない)
「……幸せな旅だった」
それを伝えるのがもう胸苦しくて、辛くなった。
「幸せ?」
アシャが訝しそうに問い返す。
「死にかけてばっかりだったじゃないか」
「うん…」
(それでも、アシャ)
答えられない続きを、胸の奥でそっと呟く。
(たとえ途中で死ぬことになっても、その瞬間まで、あなたの側に居られるだろう?)
それを幸せと呼ばずに、何と呼ぶのだろう。
滲みかけた涙を一瞬で振り切った。
「でも、何か、信じられないや」
「何が」
「こうして今、ラズーンに居るってこと。あれほど遠かった地に辿りついてるってことが……目を覚ましたら、セレドの自分の部屋だったりしてね」
「おいおい、冗談じゃないぞ」
「わかってる」
くすくす笑って目を開く。
「これは現実だ」
無意識に声がきつくなった。
『氷の双宮』『太皇』『銀の王族』。
ラズーンに含まれている謎の数々が、今解かれようとしている。
だが、心のどこかに、それに飛び込む前に、一時でいい、休息が欲しいという思いがある。もうほんの少し、眠っていたい。なのに、心が張りつめて眠れない。
(何がある? 何が『氷の双宮』で待っている?)
その問いかけに対する答えは、いつもわからないままだった。おそらくは、この世界の成り立ちの意味まで含んでいるだろう、ラズーンの大いなる謎。
自分の未来を知りたいというだけではなく、剣士として、彼方を望む旅人としての心が駆り立てられる。
「ユーノ」
「ん?」
「もう、寝ておけ」
アシャがテラスから身を起こして手を伸ばし、そっとユーノの髪に触れた。
「旅の疲れを残しているのはよくない」
(ああ、そうだ)
ここに一人、その謎に精通し、しかもちゃんと答えてくれそうな相手がいたじゃないか。
(旅の途中なら無理でも、今なら)
「アシャ」
「うん?」
「『氷の双宮』で何があるの?」
「……」
答えないアシャに、ゆっくり頭を巡らせた。相手が、これまで見たことのない厳しい目になっているのに気づく。
「謁見、と言っても信じないだろうな」
皮肉な笑みを押し上げて、アシャはこちらを見つめ返した。
「ちょっと無理」
「…洗礼、と一般には呼ばれている儀式がある。…それが済めば、元の国へ帰れるのが常だ」
「洗礼?」
「……」
「言いたくないんだね」
ユーノは薄く笑った。
「私が臆病風に吹かれることなんてないの、知ってるくせに」
アシャは瞳を翳らせた。一気に表情の読めなくなった目を『氷の双宮』の方へ投げ、淡々と続ける。
「いずれわかるさ」
軽く前髪を払ってユーノを振り向き、
「そんなことより、早く寝て、旅の疲れをとることだ」
あからさまに話を逸らせた。苦笑いを返しつつ、けれどその先は梃子でも話してくれそうにないと察して、ユーノは肩を竦める。
「うん…でも興奮してるのかな、目が冴えちゃって、なんか眠くならないんだ」
軽く片目を閉じて続ける。
「もう少しここにいる…わっ」
「だめだ」
反応する隙がなかった。瞬時に距離を詰められ、ふわりと抱き上げられて思わず固まる。
「見ろ、こんなに冷えきってるくせに」
「お、おろしてよ、アシャっ」
「だめだ。お前が寝るのを見届けてから部屋に帰る」
「変に思われるって!」
「ほー、ここで騒いで変に思われたいのか」
「う」
冷ややかに反論されて思わず口ごもる。
(でも本当に眠くならないんだけ……あれ?)
ふあ、とあくびを漏らして目を擦った。今の今まで、眠気の切れ端も感じなかったのに、急に眠くなってくる。
「ほら、眠そうじゃないか」
優しく甘い声が耳元で囁かれる。
(どうして、なんだろ…)
問いかけた頭に、とろとろと温かな霧が忍び寄る。包み込んで思考力を奪っていく。
(あ…ったかい……から…)
アシャの体に温められるから。規則正しい心臓の音が、安心だと告げるから。
(…だい…じょぶ……だ…)
ここでは全てを任せて眠りについても大丈夫、そう確信できるから。
その答えに辿り着くまでに、ユーノは深く寝入っていた。




