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ラズーン 3   作者: segakiyui
8.ミダスの姫君
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「ったく!」

 ユーノは広間の一角で苛立ちながらアシャを睨みつける。

「道理で娘達が殺気立ってたわけだ」

「そう怒るな」

 くつくつとアシャは喉の奥で楽しげに笑う。

「悪気はなかったんだ」

「あってたまるか!」

 顔を背けて眉をひそめる。

(こっちの気持ちも知らないで)

 広間は今、踊る男女で一杯になっている。楽師の奏でる立風琴リュシが幾重にも重なって音律を紡いでいる。

 イルファはその威風堂々とした体格を見込まれたのか、男達に挑まれて酒の呑み比べの真っ最中、レスファートもいつものように女達に囲まれて菓子をもらっている。

「踊ってこないの?」

「一人と踊ると後が怖い」

「…わかるような気がするよ、身をもって」

 ユーノは溜め息まじりに答えた。正直、さっきから周囲の女達の視線が痛くてならない。

(そんなのじゃないのに)

 素っ気ないアシャに焦れたのだろう、ついに一人の美女が誘いをかけてきた。

「旅のお疲れは存じておりますわ。でも、そのお疲れを、いささかでも癒せればと願う私達の気持ちも受け取って頂けませんの?」

「どうする?」

 こそりと尋ねるユーノに、アシャは溜め息を返す。

「行って来る。ミダス公の親族だ」

「ふうん」

 気怠そうに壁から離れたアシャを美女が誇らしげに迎え、一気にその周囲に女達が集まった。

(あの中で、まだ見劣りがしないというのが凄いよな)

 ちらりとユーノを見やって来る美女の視線の意味は重々わかるが、その美女と並んでもアシャの方が華やかに見えるあたり、罪作りな男だとつくづく思う。

 アシャを迎えた女達が、唇の端に浮かべた笑みと一緒にこちらを眺めるのがうっとうしくなって、ユーノもまた体を起こしてテラスへ逃れる。

 テラスが突き出した庭園には濃い樹木の影が落ちている。月が昇って辺りを冷たく照らしているのだ。

 木々の触れ合う音、ジェブだろうか、覚えのある葉鳴り、鼻腔を清めるような樹の香り。

(やっぱり、夜会は苦手だ)

 清冽な夜気を吸い込みながら目を閉じる。

 人の思惑を操れると思っている男女、駆け引きを楽しむやりとり、着飾り宝石を煌めかせる人々の掌で躍る酒や菓子、そして誰が上か誰が下かと比較し続けている視線。

(駆け抜けてしまいたい)

 心の中にいつも広がる、この果てのない草原の光景を。どこへ辿り着くあてもなく、途中で倒れるかも知れない命も構わない、ただただ己の速度をひたすら上げて走り去ってしまいたい。

 きっとユーノがセレドで夜会に出ずにレノを駆っていたのは、自分の容姿のことだけではなく、もっと猛々しく鮮やかなこの感覚に自分を任せていたかったということもあるんだろう、と初めて気づく。

 そして、それはラズーンへ旅立とうと思った瞬間にも胸の底にあった、とも。

(どこまでも、どこまでも)

 走り去る金色の影、群れからただ一頭離れた月獣ハーンのように、自分の角を振り立てて。

(そうか……逃げていたばかりじゃ、なかったんだ)

 自分の生き様を周囲の基準でばかり考えていたから、自分の容姿を引け目に思って逃げ回っていると感じていた。

 けれど本当は、ユーノは誰かと妍を競うよりも、まだ知らない広大な世界を駆け抜けていくことを願っていたに過ぎないのかも知れない。

(それこそ)

 そのためにどんな傷を負うことになっても、まっすぐに彼方の世界を進みたい、と。

「…なんだ……そうか」

 微かに笑った。

(誰のためでもない、というのは正しかったんだ)

 ユーノはユーノのために、ユーノが本当にしたいことのために戦い続けてきたのかもしれない。

(私の願いを叶える、ために)

 今まで感じたことのない開放感に胸が澄んでいく気がした。

(まっすぐに……いこう)

 この命の果てるまで、最後の息を引き取る瞬間まで、思うままに駆け抜けよう。

「ふ…う」

 深呼吸をして目を見開いた。

 目を閉じる前よりも一層鮮やかに見える夜景に見惚れる。

「ユーノ」

「っ」

 ふいに声がかけられ、はっとして振り返った。ゆっくり近づいてくるリディノに緊張を解く。

「お疲れですか?」

「いえ…こういう場は苦手で」

 柔らかく微笑む相手に笑み返す。

「この衣装だって無理に着せられたんですよ。あの傷を見せたままというのも、あまりに見栄えが悪いと」

「あ」

 リディノは体を固くした。頬を赤らめて、おずおずと、

「さきほどは…申し訳ありません……私」

「ああ」

 ユーノは笑った。

「いいんです。誰だってびっくりしますよ」

 自分でも信じられないほど軽く答えられた。

「でも」

「気にしてませんから」

「よかった…」

 ほ、と溜め息をついたリディノは、ふいに別のことに気づいたようにユーノを見た。

「もう一つ、聞いても構いませんか」

「ええ、どうぞ」

「あの……その衣装……アシャ兄さまが着せたのじゃありませんわね?」

「は?」

「あの…だから…」

 リディノはもじもじしながら俯いた。耳の辺りまで桜色に染めて小さな声を絞り出す。

「その衣装を男の方が着せるということは……その……着せるのを手伝う、ということ、は……夫と妻…だから…できることであって…」

「あ」

(アシャの奴!)

 顔に血が昇る。一人で着れるの着れないの、脱ぐの脱がないのと、妙に拘っていた理由がよくわかって、一層むっとした。

「そんなことはありません」

 ことさら強く否定する。

(あのくそ野郎、私が知らないのをいいことに何を考えて)

 人をおもちゃにしやがって。

「私とアシャには何の関係もありません」

 不安そうなリディノを安心させようと思わず強く言い放つ。

「本当? ああ…」

「っ」

 ふわりといきなり抱きつかれてぎょっとした。

「よかった! アシャ兄さまが旅に出ていらっしゃる間、それだけが心配だったの」

「へ?」

 奇妙な物言いに過熱していた頭が一気に醒める。

(今、なんて)

「私、小さい頃から、アシャ兄さまだけがずっとずっと好きだったの!」

 無邪気にユーノを見上げて笑み綻ぶリディノの安堵に、ことばを失った。

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