10
ミダス公邸の広間に向かいながら、イルファは未だにぶつくさ言い続けている。
「しっかしなあ………確かにそうしてりゃ、女だが…」
男とも女ともつかぬ、中性的な格好をしたアシャに比べて、鎧を象った胴着に真紅のマント、銀の鎖を肩から垂らしているイルファを、呆れた顔をしてレスファートが見上げる。
「だから言ったでしょ。ユーノは誰よりもきれいな女の人なんだって」
そういうレスファートは濃紺の腰布の上から薄く透けた水色の布と輝きのある白い布の上着、額に銀のサークルをつけている。頭を振る度にさらさら音を立てて流れるプラチナブロンドは回廊の灯に眩いほどで、これほど美しい少年も多々あるまい。
「女…ねえ…」
イルファが複雑な顔で、ユーノを見る。少し肩を竦めて見せると、相手はごしごしと頭を掻いた。
「俺にはどう見ても、アシャの方が女に見える」
「イルファっ!」
「おい」
レスファートが眉を逆立てて怒り、アシャは苦虫を噛み潰したような顔になった。
(ま、確かにね)
苦笑を返すユーノに、アシャはますます不愉快そうだ。
そのアシャは、まるで導師が着るような濃い紺色の衣装を無造作に纏い、ところどころを金の組み帯と紐で留めていた。装飾品と言っても片耳の耳飾り程度、それでも十分にアシャの美しさは人目を惹いた。いつも上げていた前髪を垂らし、その奥から金細工に囲まれた宝石のような紫の目がこちらを見返している。
そうしていると、アシャの端整な優しい面立ちが、別の翳りを帯びて見えた。賢者のような少年のような、女のような男のような、年齢性別も不明になるあやふやな不安定さの中にちりばめられた美。それがアシャを見る者の目を釘付けにする。その不安定な美しさを越え、正体を見定めようと焦る。だが心を構えたとたん、捉えかけていた因子は微妙に変化していって、相対する者は再び置き去られてしまう。
「っ!」
アシャが先に立つのについて、広間の入り口を入ったとたん、どよめきが起こって我に返った。
(ここでもアシャは人を圧倒するのか)
苦笑しかけたユーノだったが、その後一気に広がった、いつもとは違う沈黙にきょとんとする。
(何だ?)
広間に集まった人々が奇妙な表情で一点を見つめている。その意味を探ろうとして、視線を注がれているのが自分だと気づき、なお戸惑った。隣でふ、とアシャが微かに笑う。
(アシャ?)
そろそろと相手を見上げる。
「どうしたんだろう…」
そっと囁いた声さえ響き渡りそうで、声をより潜めた。
「何か…私、おかしい?」
凝視されているのは『銀の王族』だからだろうか。それとも、知らずに無作法な振舞いをしたからだろうかと不安になる。
「いや…別に」
アシャは妙な笑みを返してきた。
「似合ってるぞ」
「でも…だって」
特に娘達、女達の視線が妙に険しい気がする。だが、それを口に出すのは自意識過剰な気もして口ごもる。
「…そりゃ、静まり返りもするだろうな」
だがアシャには理由が充分わかっていたらしい。しらっとした顔で流す。
「…どういうことだよ」
「気にするな」
「気にするなって…」
(特に無作法というわけじゃないのかな)
取り合ってくれないので、仕方なしに進み出したアシャに付き従う。そのユーノを明らかに追いかけて来る視線は、かなりちりちりと痛いが、理由が全くわからない。こんな目で見られたことなど覚えがない。
「や…これはこれは…」
なぜかミダス公まで茫然としていたらしい。ようよう口を開いたかと思うと、正面の玉座から降りてアシャの前に膝を折った。
「どうぞ、あちらへ」
「いや」
アシャは軽く首を振った。
「今夜はあなたの宴の客だ。ミダス公、そのままに」
「しかし」
「どうぞ」
「…では」
ミダス公は渋々と玉座に戻ったが、腰掛けずに側に立った。その前で、今度はアシャが片膝を折って頭を下げるのに、いささかうろたえた様子でことばを継ぐ。
「よ、ようこそ、アシャ・ラズーン。『氷の双宮』に戻られるまで、ゆっくりと寛がれますように」
近くの似たような、ただもう少し華奢で小振りな椅子に座っていた少女を振り返る。少女は頷いて立ち上がり、緊張した顔で深緑のドレスの裾をさばいて段を降り、アシャの前で深く礼をとった。
「よくお帰りになりました、アシャ兄さま」
それから、ユーノ達三人に向き直って頬を染め、
「よくいらっしゃいました。私がリディノ・ミダス。情け深き『太皇』の下、ミダス大公の娘と呼ばれております」
(やっぱり)
同じように礼を返しながら、ユーノは頷く。
(この人が、リディノ・ミダス)
「ありがとうございます。私はセレドの第二皇女、ユーナ・セレディスです。ラズーンの神の導きにより、ここまで参りました」
くすくすと周囲の娘が笑いを漏らした。きっとした表情になったリディノが振り向き、娘達を制する。大公の娘の威厳は健在らしく、娘達が顔をひきつらせて押し黙る。
改めてユーノに振り向いたリディノは、恥じらうような色に頬を染め、目を潤ませている。
「無作法をお許し下さい。地方を治める者のこと、他国の皇族への接し方を知らないのです。……ただ、ラズーンでは『ユーナ』というのは男名にあたります。見識の浅さをお詫びいたします」
「ああ……そう、ですね」
ユーノの胸の内に、甘いとも切ないとも言えない優しさが込み上げてきた。
もう遥か遠い日のことのように思える、セレドにアシャがやってきた日。あの日も、宴の席でこんな風にアシャが名前のことで失笑を買った……。
「アシャから聞いています」
懐かしさに笑みを浮かべた。
「リディノ姫、私は国ではユーノと呼ばれることが多かったし、それが気に入っています。だから、どうぞこちらでもユーノとお呼び下さい」
「あら、それなら」
リディノはにっこりとあどけない笑みを見せた。
「私もリディで呼ばれることが好き。どうぞ、そうお呼び下さい……皆様も」
「はい、リディ姫」
レスファートがきちんと王侯貴族の礼をして応じた。まあ、と軽く驚いて、嬉しそうにリディノがレスファートに向き直る。
「僕はレクスファの第一王子、レスファートです。よろしく」
「はい、よろしくお願いいたします、王子様」
「あ、俺はイルファ、レクスファの剣士です」
女と見ればたちまち愛想がよくなるイルファが大声を出した。
「レスファート王子の付き人として旅をして来ました」
どこがだ、という顔になったユーノ達を無視して、イルファは豪快に笑う。
「大変な旅でしたが、無事にお連れ出来て安堵しました」
「お疲れでしたね、どうぞゆっくり滞在なさって下さい」
微笑みを返してリディノは頷き、自分の座に戻りかけたが、問うような目になって立ち止まった。
「あの」
「はい…何か?」
向けられた視線はユーノ、訝しく尋ね返すと、相手は困ったような顔になってためらう。
「失礼ながら…」
「はい」
「あなたは……アシャ兄さまの『言い交わされた方』なのでしょうか?」
「は?!」
いくらユーノが不調法でも、そのことばの意味ぐらいはわかる。ましてや、この衣装を着た瞬間に感じた感覚が、次に続いたことばをはっきり裏付ける。
「だって…」
リディノは一瞬幼い口調になった。
「それは…ラズーンの婚礼衣装ですので…」
「…っ、ア…シャ…っ!」
堪えようとしたが歯止めは利かなかった。一気に熱くなる顔をアシャに振り向けるが、当の本人は涼しい顔でユーノを見返し、微笑んで答える。
「まあ、そういうことだ