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ラズーン 3   作者: segakiyui
8.ミダスの姫君

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67/115

7

「ユーノ…?」

 久々に飾り付けた銀の髪飾りをいささかうっとうしく思いながら、アシャは扉をそっと押し開けた。そろそろ用意も出来上がっているだろう、ミダス公の屋敷にはリディノのこともあり、華やかな衣装が揃っている。ユーノの艶姿を一番に見るのは自分、そこは譲れないと思いつつ、せっかちに押し掛けた自分に呆れ果てるが、それはそれ、答えがないのをいいことに入り込む。

「なんだ、いるんじゃ…」

「や…」

 早々に広間へ出向いてしまったかという心配は杞憂だったが、声をかけた相手が掠れた声で応じたばかりか、部屋の隅で座り込んでいるのにぎょっとする。

「ユーノ? どうした?」

 傷の回復が中途半端だった。疲れも取れていなかったのを無理強いした。イルファに性別について不躾にからかわれた。彼女が落ち込む原因を幾つも一気に思いつき、慌てて近寄る。膝をつき、覗き込み、愕然とする。

「…泣いていたのか?」

「…」

 ユーノは無言でかぶりを振る。その髪から、髪飾りが滑り落ちたとたん、かっと相手が真っ赤になり、なお戸惑う。

 ユーノが選んだのは水色の瀟酒な感じのドレスだ。意外ではあったが、細身の手足を淡く包む気配は十分に魅惑的、正直なところ、さっさと抱き締めてやりたいぐらいだ。

(何が一体)

 ドレスを身に付け、髪飾りもつけ、とにかく装いはしているのだ、髪を直してやろうと手を伸ばしたとたん、びくりと大きく震えた相手が右肩を押さえて身を引いた。

「傷むのか!」

(しまった)

 湯の温度をもっと確かめておいてやるべきだったか。一人ではなく、手伝いをつけるべきだったか。槍は体の深くを傷つけている、もっと配慮をするべきだったか。

「ユーノ!」

「っ」

 肩を覆った左手を掴み、外させようとする。だが、そうさせまいとユーノが身もがいて抵抗する。

(また、こいつは)

「ほら、ユーノ、駄目だ、痛いなら見せろ」

「いや、だ」

「ユーノ!」

 激しく首を振られて、アシャの腕を信じられていないようでむっとする。

「俺に見せろ!」

「あっ…」

 声を荒げて無理矢理手を引きはがす。右肩を急いで覗き込み、顔を近寄せて肌の状態を観察する。ひどい槍傷だったが、それでも皮膚の上皮化はうまくいっている。繰り返した傷は治りが悪いはずだが、これほどの短時間で循環障害も起こさず、可動域にも支障を残さず回復できたのは奇跡的だ。柔らかそうな肌に刻まれた星形の傷の艶やかさには妙に妖しい気配があって、ふとそこに吸いついて所有を刻みたくなる。

「大丈夫だ」

 自分の感覚の危うさに、アシャは急いで顔を上げた。

「別に悪化もしていな…」

 言いかけた声が中空で途切れた。

 辛そうに首を背けているユーノの頬に、光るものが伝わっていく。

(なみ、だ…)

 旅の途中、どれほど苦しい状況であっても、こんな風にあからさまに泣かれたことなど、ほとんどないのに。

「ユーノ、どうし……っっ!」

 理由を問いかけた瞬間、視界に入ったものに寒気が走った。

 水色のドレスに包まれることもなく晒された、回復したばかりの生々しい星形の傷痕。無意識に走らせた視線に、体のあちこちに走る白や薄紅に引き攣った醜い傷がまともに飛び込んでくる。

(ドレス!)

 心臓を切れ味の悪い石の剣で貫かれれば、こんな今にも吐きそうな激痛を感じるだろうか。ミダス公の宴、アシャが出席するとなれば、近隣諸氏も押し寄せる盛大なものとなるだろう。その視線の最中に、この傷を晒して出席しろと、そんな要求を突きつけたのか、アシャは。

 必死に周囲を見回すが、ユーノの傷を覆えるようなものはない。

(くそ、俺としたことが!)

 平原竜タロに数回踏みつぶされてもいいような配慮のなさではないか。

「…ユーノ…」

 囁いて抱き締めようとしたアシャの腕に力がかかる。

「ごめん」

 依怙地な口調で言い放って、残った片手で涙を擦り取り、ユーノはこちらを見つめ返してきた。潤んでいた黒い瞳が、一瞬ひどく切なそうな色を浮かべたが、すぐに消え去る。にっ、とどこか少年じみた笑みが唇に広がった。

「何でもないよ、アシャ」

 ことさら淡々とことばを継いで、ユーノは立ち上がった。

「ちょっとね、ラズーンへようやく着いたんだと思ったら、ほっとして涙が出ちゃった」

「……」

「参ったね、ボクも子どもだよね。で、どう? こうすると、少しは女に見えるかい?」

 アシャの腕を擦り抜け、少し離れておどけて腰を屈めてみせる。

 細い首筋に空色のリボンがまとわりついている。華奢な骨格を覆う皮膚に、まるでそれさえも一つの飾りであるかのような、鈍い光沢を持った傷痕がいくつも交差し、入り乱れている。薄布がかかり、レースが触れて、脆い陰影に彩られた様々な傷痕は、意匠を凝らした刺青に似て、猛々しく目を魅きつけ、息を呑ませる。こちらを見据える黒の瞳の輝き、剣を手にしていないのに、跪かねば今にも首を掻き切られそうな、圧倒的な支配力。

「髪飾りが落ちちゃったろ」

 不服そうに呟いて唇を尖らせる、その生き生きとした淡い色。床の上の、白レース銀の花芯に金の蔓に絡まれた水色の花を拾い上げる仕草のしなやかさ。

「アシャが乱暴なことするからさ」

 両腕を上げる、目を伏せる、髪にもう一度付け直そうとする、その頼りなげな指先はどうだ。

「…つけようか」

 ふらふらと立ち上がる。

「うん…」

 同意を得てほっとする。近づいて、髪飾りを受け取り、ユーノの髪から香る甘いライクの匂いを嗅ぐ。

(危ない)

 確かにこの姿はユーノにとって苦痛だろう、だがそれだけではない、この危うい美しさに無関心でいてくれる男がどれほどいるか。

(このままでは出せない)

 品定めに訪れたつもりの客達の視線を釘付けにしても、きっとユーノは気づかないばかりか、距離を縮めようとする馬鹿どもに礼儀を持って笑い返したりしてしまうだろう。それを自分の好む通りに曲解する輩なぞ、ここには山ほど居る。

「…よし」

「え?」

「ちょっと待ってろ」

「あ、うん……え…?」

 頷いて振り仰ごうとするユーノの髪に軽く唇を触れたのは、目当てのものを持ち帰るまでのささやかな呪詛だ。

(誰もこいつに触れてくれるな)

 それを体現するようなドレスを、アシャは急ぎ足に調達に出かけた。


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