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そこは衣装部屋だった。
ありとあらゆる色や形のドレスが所狭しと準備されている。
「お、っと」
入り口のすぐ近くに、柔らかそうな布と下着があるのに気づく。慌てて布で体を拭って下着をつけ、少し戸惑った。今まで身に着けていたものよりうんと布地が少ない。かろうじて胸と腰を隠す程度だ。
「これ、が、ラズーンのもの、なのかな…」
居心地悪さにもぞもぞしたが、視界を埋める色彩の魅力には堪え難い。引き寄せられるようにおずおずと部屋に踏み込んでいく。
白いドレス、赤いドレス、緑、黒、目の醒めるような黄色。レース、薄布、幾重もの襞、花びらの形に切り抜かれて重ねられた布、紅の帯、紺の帯、虹色に光る布、夜のように深い青のドレス。花を織りなしたレースに小さな宝石がちりばめられている。絞った袖に宝玉を繋いで巻いたものがある、かと思うと、金糸を織り込んだ簡素なドレス、銀糸で鳥を織り込んだ長い裾を引きずるドレス、なかには、下着姿とほとんど変わらない薄布とリボンのみのドレスさえある。
「……」
ごくり、とユーノは思わず唾を呑んだ。
これほど多様な形や色のドレスなど見たことがない。いつもならレアナに似合う、セアラにはこれ、そう思う感覚さえ追いつかず、ただただ圧倒される。
くるくると周囲を見回して、ふと一枚のドレスに目が止まった。触れると消えるかも知れない、そんな気がして、二度三度、薄布とレースをまさぐって、ようよう手に取ってみる。
それは淡い水色のドレスだった。見事な細かなレースに光沢のある薄布を組み合わせてある。緊張に震えかける指で、そっとそのドレスを身に着ける。
「わ…」
軽くて、とても着やすい。動きやすさも言うことなく、足下のレースも胸元の薄布も、柔らかみの少ない筋肉主体の体を淡く透けさせるような織布も、これ以上は望めないほどの出来映えだ。添えてあった髪飾りを、ためらいながら留めてみる。靴は金色の組み合わせた紐で形作られた華奢なものだ。信じられないぐらいにユーノの足に合う。ゆっくりと回ってみると、ふわりと裾がなびいて広がった。手にまとわりつく飾りの空色のリボンも苦にならない。
「ふ…ふふ」
初めて、くすぐったいような喜びが込み上げてきた。数回くるくると回ってみる。裾はユーノの行く所へ、優しくまとわりつきながら追ってくる。脚に絡むというより、素足を守り、柔らかく包んでくれるようだ。
(少しは、きれいになってる?)
くすりと笑ってドレスの両端を指先で摘み、床に擦れないように少し持ち上げて腰を屈める。レアナが夜会の席でいつもしていた仕草だ。
(それから、いつもこうやって…)
体を起こし、微笑みながら幻の相手にしずしずと右手を差し出す。
「!」
が、突然右肩に強い痛みが走って、ユーノは我に返った。痛みを押さえようと左手を載せ、ぎくりとする。
手が直接、右肩の傷に触れている。
「…っ」
うろたえて、ユーノはドレスの山を見回した。
だが、どれもこれも、ドレスは少女の美しさを十分に引き立てるように作られている。それはとりもなおさず、細いまろやかな肩や華奢な腕、ほっそりとしたうなじ、しなやかな脚や淡くほのかな膨らみへ続く胸元などを剥き出しにし、その上に薄布やレースをあしらってあるということだった。
(傷が……見える…)
もちろん、その傷でしのげたからこそ、今まで生きてこれたのだ。恥じるつもりは毛頭ない、だが。
(どう、しよう…)
ユーノは唇を噛んで、脱衣室を振り返った。一瞬、元の服装に戻ろうかと考える。
けれども、ミダス公の宴に、あの旅の垢に塗れたチュニックとブラウスでは、ユーノばかりか、ミダス大公、ひいてはアシャの顔にも泥を塗ることになる。
かと言って、このドレス、いや、この部屋にあるどのドレスでも、着ていくならば体中の傷を隠せるわけもなく、あれは何だと晒しものにならずにはすむまい。
(いっそ…この姿で出て弁明するか…?)
何と言って? お見苦しいでしょうが、我慢なさって下さい、ラズーンのために受けた傷でもあるのですから、とでも?
(でも……セレドは、どうなる…?)
事もあろうに、第二皇女がこのような姿になるまで、どうして何も気づかなかったのだと、父母に非難が集まってしまうかも知れない。いくら、ユーノが自ら選んだ役目だと言っても通らないかも知れない。
(なら…この姿で出て……黙っていればいい)
ユーノはきつく唇を噛んだ。
(晒しものになっても、仕方ない……後悔なんてしない)
でも、アシャは?
ふ、と眉根が緩んでしまった。
こんな娘を連れて来たと、おかしな目で見られないだろうか。いや、それよりも、アシャに、こんなみっともない姿を見せてしまうことになる。
(おかしな、ものだ)
アシャなんて、ユーノが怪我をするたびにユーノの体を見ているのだ。今更、傷の一つや二つで驚くはずがない。
(でも…)
宴には他の娘も来るだろう。これがアシャとの別れの宴になるかも知れない今夜、せめてもう少し、当たり前の娘のように装えないだろうか。
(…、仕方、ない、だろ…っ)
ことさら強く、滲みかけた気持ちを心の中で叱咤する。
(これ以上は、無理、なんだから…っ。だからせめて、堂々としてるしか…)
「っ」
振り切ってぐっと唇を結んで顔を上げたとたん、ぼろぼろと熱い涙が頬を伝って、慌てて口を押さえた。
(ばかっ! 何を涙なんかっ)
たかが服一枚、たかが一晩のこと、そう思いながらも、次々零れてくる涙を堪え切れずに座り込んだ。
さきほど逃げて行った少女のことが脳裏に浮かぶ。あんな風にまた、驚きと困惑とで怯まれてしまうのだろうか、まあ、あの傷をご覧なさい、と。
(だめだ……止まらない、や)
口をきつく押さえてしゃくり上げるのを止めた。早く行かなくては、それこそアシャに迷惑がかかると気づきながら、心の痛さに声を上げるのを我慢するのが手一杯で、とても行動に移れない。
(何で、今更、こんなことに……こだわって…っ)
軟弱者、一体これまで何をしてきたんだ、こんな所で竦んでるなんて。
(でも、だって)
アシャと最後に会うかも知れない、のに?
(せめて…せめて)
少しだけでも、目を止めてほしい。
(最後なら)
最後だから。
(…アシャ…っ)
コンコン。
「っっ!」
ふいに優しく扉を叩く音がして飛び上がる。急いで涙を拭う。
「ユーノ? 用意はできたか?」
(アシャ!)