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(ラズーンの神々よ!)
ユーノは唇を噛み、どこへ続くともわからぬ宙道の中を、ヒストの背中に身を伏せて、一路、スォーガにあるという出口を求めて速度を上げる。
追手は徒歩が多かった。追いすがってくるとすれば、あの『運命』の王、ギヌア・ラズーンのみだろう。
耳の奥で心臓の鼓動が鳴り続けている。恐怖と不安、全力疾走にべっとりと汗で濡れたヒストの体から、獣の臭いを伴った湯気が立ちのぼっている。
(頼むよ、ヒスト)
心の中でユーノはずっと呟いている。
早く、早く。
一刻でも早く。
遠く、遠く。
たとえ一歩でも、アシャ達から離れて遠くへ。
明るさの差異のない宙道の中をただひたすらにヒストを急がせていると、走っているのか止まっているのか、次第に感覚が麻痺してくる。
喘ぐような自分の呼吸とヒストの荒々しい鼻息、汗で濡れた自分の体とヒストの体温、それらが溶け合い、溶かし合って、いつしかユーノはどこかぼんやりととした透明な境地に漂い始める。
駆けて駆けて駆けて。
全ての運命を置き去りにして、ただ未来へと駆け抜けて。
「っ!」
ふいに、左前方に光が見えた。ヒストが眩さに驚きたじろぎ、棒立ちになる。
「、落ち着けっ」
かろうじてしがみつき、ユーノは一瞬息を呑んでから低く吐いた。激しく首を振って暴れかけたヒストがびくっとしたように前足を降ろし、再びぶるるるっ、と首を振って蹄を鳴らす。乱れた息を弾ませながら、なおも戸惑うようだったが、ユーノの指示にゆっくりとそちらの方へ進み始めた。
「ようし、ほう」
次第に速度を上げて近づき、やがて再び速度を落として、白く丸く開いた洞窟からの出口のような境で立ち止まる。
「ふ…ぅっ…」
外に広がった光景に、思わず詰めていた息を吐いた。
空は曇天の灰色の布を垂れ下がらせ、今にも雨が降ってきそうだ。地面には赤茶けた草が一面にそよぎ、湿った風が水の匂いを運んで来ている。耳を澄ませば、どおおおっ……という重い音が遠くから聞こえてくる。滝か、巨大な川でもあるのだろうか。遠く彼方には青水色の山々がぼんやりと霞んで見えている。
「………行こう」
促すと、馬は宙道の入り口をそろそろと出た。興味深そうに草を踏みしめ、近くの岩棚に咲いている、鈍い紅の花の匂いを嗅ぐ。
「ここがスォーガかな」
ユーノは周囲を見回し、それから背後も振り返ってみた。出口はどこかと捜したが、こちらからではもう見えないのか、どこにも穴さえ開いている様子がない。途中まで確かに引き寄せていたように思っていた追手の気配も消えている。
そう気づくと、ふいに堪え難い眠気が体を襲ってくるのを感じた。
「ちょっと休んでいこうか、アシャ…」
思わず呼びかけ、ユーノは固まった。
答えはない。
風がゆるゆると吹くだけだ。
「アシャ、か」
ユーノは苦笑した。
アシャはいない。レスファートも、イルファもいない。
ユーノの回りには、もう、誰もいない。
ぞくりと寒気が背筋を這い上がった。
(一人…なんだな)
「情けないぞ、しっかりしろ、ユーノ」
声に出して自分を叱った。
「もう、一人で生きていけなくなったのか?」
(もう、あの仲間といることに慣れてしまったのか?)
そうなんだ、寂しいよ。
そう心のどこかが答えたが、ユーノは強いてそれを無視した。
「よし、ヒスト!」
声をかけ、馬を進める。
岩棚の向こうに回り込むと、そこは小さく囲まれた平地になっていた。岩を背にすれば、すぐに襲われることはないだろう。
ユーノは溜め息をつき、剣を引き寄せ、ヒストの上で体を倒した。
(久しぶりだな、こうやって眠るの)
目を閉じると、ひしひしと寒い感覚が迫ってくる。
生まれて初めて感じる、深い孤独感だった。
(いまさら、何を? ……いつも一人だったじゃないか……いつも、ずっと……そうだ、ずっと)
自分はずいぶん弱くなった。
浅い眠りに入る直前、ユーノはそう心の中で呟いていた。