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「コクラノ、貴様っ!」
まっすぐに駆け寄っていくシートスの叫びとともにその手から槍が飛び、寸分違わずコクラノの胸を貫いたが、槍は既にコクラノの手を離れている。
「ユカル…っっ」
「『星の剣士』(ニスフェル)!!」
「ユーノ!! 」
迷う間もためらう間もなかった。アシャの腕を離れ、渾身の力でユカルを突き飛ばしたユーノの右肩を、飛んできた槍が掠める。
「あ、うっ!」
悲鳴を上げて空に投げ出した体を、ユカルとアシャが伸ばした腕が受け止める、その瞬間、体を駆け抜けた鮮烈な痛みと共に、頭の中に閃光が走った。
(あ、あ、あ!)
今までの出来事が絵巻物のように一気に巡る。所々に空いていた小さな黒い穴が裂かれるように開き、そこから一気に記憶がなだれ込んでくる。
(私…私は…)
視界に入り交じる光景、脳裏を駆け抜ける幻、アシャ、野戦部隊、ユカル、『星の剣士』(ニスフェル)………ぐるぐる回りながら右肩の痛みを増していく。
「……ーノ! ユーノ!!」
どれぐらい我を失っていたのだろう。
『自分の名』を呼ばれているのに、我に返る。
「う…」
瞬きして見上げる真上にアシャの顔、そしてその横に、見慣れてはいるが、遥か遠い昔の知り合いのように思える顔……野戦部隊の物見が激しい口調で吐き捨てる。
「畜生っ! コクラノの奴、最後の最後まで見苦しいっ!」
「大丈夫か?」
「ユカル……アシ……!」
苛立つ二人を宥めようと一人ずつの名前を呼びかけ、ユーノはぎくりとした。
「ユーノ?」
不審そうにアシャがユーノを覗き込んでくる。
鮮やかで華やかな、その、美貌。
(思い出した……)
熱い波が見る見る心に広がっていく。
思い出したのだ、『すべて』。
(『姉さまの』、アシャ)
傷ついた自分の体を抱えてくれている人の名前はアシャ・ラズーン。
ラズーンの第一正統後継者であり、視察官の中の視察官であり……幾度もその名を呼ぼうとした人であり……結局はいつもいつもその名を呼べなかった人、であり………セレドのレアナの想い人……であり…………。
右肩から再び激しい波が広がって、心を揺さぶっていく。
体が重い。熱っぽく燃え上がっていく視界が潤む。
(私は……ユーノだ)
レアナの妹、セレドの第二皇女、『銀の王族』。
(ユーノ……なんだ…)
ふ、と目を閉じた。呼吸が荒く乱れていくのがわかる。ついに限界を越えてしまったらしい。
「ユーノ!」
「『星の剣士』(ニスフェル)! しっかりしろ!」
「ユカル、天幕の用意を頼む!」
「わかった!」
慌てたように、平原竜が側から駆け去っていくのをぼんやり感じた。
「ユーノ」
低い声でアシャが囁き、そっと髪を撫でてきた。思わず体を強張らせるユーノに手を止める。
「傷に障るか?」
「う…ううん…」
首を振り、ユーノはきつく唇を噛んだ。ことさら肩の痛みに意識を集める。
(アシャ…)
揺れる心が呻く。そうしなければ、口に出してしまいそうだった、思い出さねばよかったと。
(アシャは………レアナ姉さまの想い人だった……んだ……)
それでも打ち明けてしまいたい。
強烈な衝動が心を揺さぶる。
(アシャ……好きなんだ…)
ことばが胸から唇まで膨れ上がり、目を見開いた。アシャが心配そうに自分を覗き込んでいるのに気づく。
打ち明ければ、この温かな目を失ってしまうかも知れない。
(でも…こんな風に抱かれたままなんて……苦しすぎる)
いくら動けないとはいえ、これでは一種の拷問だ。
(でも……でも)
決心がつかずに目を逸らせ、ふとアシャの腕に一筋紅が走っているのに目を止めた。きりり、と心の奥が一気に硬直する。
(傷を…負わせた?)
「ア、シャ…」
「え? ああ、大丈夫だ。かすり傷だ、お前の肩に比べれば、な」
軽く片目を閉じて笑うアシャに胸が詰まった。
(打ち明けてどうする)
ユーノは『運命』だけではない、カザドにも狙われている。
(アシャが優しいから……守ってくれるからといって……打ち明けて? 引き込むのか? 私の戦いに?)
そしてまた、こんな風に血を流させるのか?
(嫌だ)
強い想いが胸に砕けた。
(あなたが傷つくぐらいなら、私が血を流した方がいい。あなたが苦しむぐらいなら、私は……どこかの闇に沈んだ方がいい)
きつく噛み締めたせいで唇を噛み切ったのか、鉄の味が口の中に広がった。
(ご…めん……アシャ…)
「ユーノ?」
訝しげなアシャの顔を見上げても、声にならない。
(私のせいで……傷つけた……守れなくて……ごめん……)
そろそろと俯いてしまったユーノの顎を、唐突に掴んだアシャがそっと押し上げる。
「どうした? 傷が痛むのか? ……ああ……唇…切ってるな…」
惑うような声、顎に当てられていた指がゆっくりと唇を拭っていく。走った痛みに顔を引き攣らせたユーノを、アシャは奇妙な表情で見つめた。
「ユーノ…」
「……ん」
「……こんな時になんだが…」
アシャは珍しく口ごもった。瞬きを繰り返す、紫の目が濡れているように艶を帯びる。
「……これ以上、お前を放っとくと……本当にどこかへ行ってしまいかねないから…」
「…?」
口調は柔らかくて熱っぽい。
荒く呼吸を繰り返しながら、ユーノはそっと首を傾げた。アシャが何かを伝えようとしている、けれど、何を言いたいのかがわからない。紫の瞳は真剣な色の中に、妙に心を震わせる光を含んでいる。
「ユーノ…いや、ユーナ・セレディス」
本名を呼ばれて瞬きする。
(何、だろう?)
もう旅は続けたくないと言うのだろうか。もうユーノの側にいるのはごめんだとでも言うのだろうか。
「お前……その……もし、よければ、だな……その……俺の」
「アシャ! 天幕の用意ができたぞ!」
「っ」
ユカルの叫びにアシャは複雑な表情でことばを途切れさせた。そのまま少し迷っていたが、やがて自分に言い聞かせるように、低く呟いた。
「手当が先だな」
(何を…言うつもりだったんだ?)
ユーノは閉じられたアシャの唇をじっと見る。
(俺の、の後は…?)
胸を過ったのは、優しく甘い空想。
(アシャの……付き人として、ずっと側に、とか…)
「くっ…」
すぐに自分の愚かさを嗤った。
(いいかげんにしろ、ユーノ)
自分を詰り、目を閉じる。
(ただ今は、傷に甘えて一時の休息を取るだけだ)
もう少しだけ、もう少し気力が戻るまで。
繰り返し自分に言い聞かせて、ユーノはきつく口を噤んだ。




