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ラズーン 3   作者: segakiyui
7.国境
56/115

6

「コクラノ、貴様っ!」

 まっすぐに駆け寄っていくシートスの叫びとともにその手から槍が飛び、寸分違わずコクラノの胸を貫いたが、槍は既にコクラノの手を離れている。

「ユカル…っっ」

「『星の剣士』(ニスフェル)!!」

「ユーノ!! 」

 迷う間もためらう間もなかった。アシャの腕を離れ、渾身の力でユカルを突き飛ばしたユーノの右肩を、飛んできた槍が掠める。

「あ、うっ!」

 悲鳴を上げて空に投げ出した体を、ユカルとアシャが伸ばした腕が受け止める、その瞬間、体を駆け抜けた鮮烈な痛みと共に、頭の中に閃光が走った。

(あ、あ、あ!)

 今までの出来事が絵巻物のように一気に巡る。所々に空いていた小さな黒い穴が裂かれるように開き、そこから一気に記憶がなだれ込んでくる。

(私…私は…)

 視界に入り交じる光景、脳裏を駆け抜ける幻、アシャ、野戦部隊シーガリオン、ユカル、『星の剣士』(ニスフェル)………ぐるぐる回りながら右肩の痛みを増していく。

「……ーノ! ユーノ!!」

 どれぐらい我を失っていたのだろう。

 『自分の名』を呼ばれているのに、我に返る。

「う…」

 瞬きして見上げる真上にアシャの顔、そしてその横に、見慣れてはいるが、遥か遠い昔の知り合いのように思える顔……野戦部隊シーガリオン物見ユカルが激しい口調で吐き捨てる。

「畜生っ! コクラノの奴、最後の最後まで見苦しいっ!」

「大丈夫か?」

「ユカル……アシ……!」

 苛立つ二人を宥めようと一人ずつの名前を呼びかけ、ユーノはぎくりとした。

「ユーノ?」

 不審そうにアシャがユーノを覗き込んでくる。

 鮮やかで華やかな、その、美貌。

(思い出した……)

 熱い波が見る見る心に広がっていく。

 思い出したのだ、『すべて』。

(『姉さまの』、アシャ)

 傷ついた自分の体を抱えてくれている人の名前はアシャ・ラズーン。

 ラズーンの第一正統後継者であり、視察官オペの中の視察官オペであり……幾度もその名を呼ぼうとした人であり……結局はいつもいつもその名を呼べなかった人、であり………セレドのレアナの想い人……であり…………。

 右肩から再び激しい波が広がって、心を揺さぶっていく。

 体が重い。熱っぽく燃え上がっていく視界が潤む。

(私は……ユーノだ)

 レアナの妹、セレドの第二皇女、『銀の王族』。

(ユーノ……なんだ…)

 ふ、と目を閉じた。呼吸が荒く乱れていくのがわかる。ついに限界を越えてしまったらしい。

「ユーノ!」

「『星の剣士』(ニスフェル)! しっかりしろ!」

「ユカル、天幕カサンの用意を頼む!」

「わかった!」

 慌てたように、平原竜タロが側から駆け去っていくのをぼんやり感じた。

「ユーノ」

 低い声でアシャが囁き、そっと髪を撫でてきた。思わず体を強張らせるユーノに手を止める。

「傷に障るか?」

「う…ううん…」

 首を振り、ユーノはきつく唇を噛んだ。ことさら肩の痛みに意識を集める。

(アシャ…)

 揺れる心が呻く。そうしなければ、口に出してしまいそうだった、思い出さねばよかったと。

(アシャは………レアナ姉さまの想い人だった……んだ……)

 それでも打ち明けてしまいたい。

 強烈な衝動が心を揺さぶる。

(アシャ……好きなんだ…)

 ことばが胸から唇まで膨れ上がり、目を見開いた。アシャが心配そうに自分を覗き込んでいるのに気づく。

 打ち明ければ、この温かな目を失ってしまうかも知れない。

(でも…こんな風に抱かれたままなんて……苦しすぎる)

 いくら動けないとはいえ、これでは一種の拷問だ。

(でも……でも)

 決心がつかずに目を逸らせ、ふとアシャの腕に一筋紅が走っているのに目を止めた。きりり、と心の奥が一気に硬直する。

(傷を…負わせた?)

「ア、シャ…」

「え? ああ、大丈夫だ。かすり傷だ、お前の肩に比べれば、な」

 軽く片目を閉じて笑うアシャに胸が詰まった。

(打ち明けてどうする)

 ユーノは『運命リマイン』だけではない、カザドにも狙われている。

(アシャが優しいから……守ってくれるからといって……打ち明けて? 引き込むのか? 私の戦いに?)

 そしてまた、こんな風に血を流させるのか?

(嫌だ)

 強い想いが胸に砕けた。

(あなたが傷つくぐらいなら、私が血を流した方がいい。あなたが苦しむぐらいなら、私は……どこかの闇に沈んだ方がいい)

 きつく噛み締めたせいで唇を噛み切ったのか、鉄の味が口の中に広がった。

(ご…めん……アシャ…)

「ユーノ?」

 訝しげなアシャの顔を見上げても、声にならない。

(私のせいで……傷つけた……守れなくて……ごめん……)

 そろそろと俯いてしまったユーノの顎を、唐突に掴んだアシャがそっと押し上げる。

「どうした? 傷が痛むのか? ……ああ……唇…切ってるな…」

 惑うような声、顎に当てられていた指がゆっくりと唇を拭っていく。走った痛みに顔を引き攣らせたユーノを、アシャは奇妙な表情で見つめた。

「ユーノ…」

「……ん」

「……こんな時になんだが…」

 アシャは珍しく口ごもった。瞬きを繰り返す、紫の目が濡れているように艶を帯びる。

「……これ以上、お前を放っとくと……本当にどこかへ行ってしまいかねないから…」

「…?」

 口調は柔らかくて熱っぽい。

 荒く呼吸を繰り返しながら、ユーノはそっと首を傾げた。アシャが何かを伝えようとしている、けれど、何を言いたいのかがわからない。紫の瞳は真剣な色の中に、妙に心を震わせる光を含んでいる。

「ユーノ…いや、ユーナ・セレディス」

 本名を呼ばれて瞬きする。

(何、だろう?)

 もう旅は続けたくないと言うのだろうか。もうユーノの側にいるのはごめんだとでも言うのだろうか。

「お前……その……もし、よければ、だな……その……俺の」

「アシャ! 天幕カサンの用意ができたぞ!」

「っ」

 ユカルの叫びにアシャは複雑な表情でことばを途切れさせた。そのまま少し迷っていたが、やがて自分に言い聞かせるように、低く呟いた。

「手当が先だな」

(何を…言うつもりだったんだ?)

 ユーノは閉じられたアシャの唇をじっと見る。

(俺の、の後は…?)

 胸を過ったのは、優しく甘い空想。

(アシャの……付き人として、ずっと側に、とか…)

「くっ…」

 すぐに自分の愚かさを嗤った。

(いいかげんにしろ、ユーノ)

 自分を詰り、目を閉じる。

(ただ今は、傷に甘えて一時の休息を取るだけだ)

 もう少しだけ、もう少し気力が戻るまで。

 繰り返し自分に言い聞かせて、ユーノはきつく口を噤んだ。


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