4
「きゃ…」
「レス!」
危うく剣に薙払われかけ、首を竦めたレスファートをイルファが引っぱり寄せる。
「つっ!」
一瞬遅く、レスファートの滑らかな頬を切っ先が擦った。真紅の筋が浮かび上がり、つうっと紅の糸を引く。
「てめえらあっ!」
ガシィッ!
目を剥いたイルファは、怒りに任せて相手を剣でぶん殴った。呻き声一つ立てずに絶命し倒れていく男、その向こうを見やったレスファートがいきなり頓狂な声を上げる。
「ユーノ!」
「レス?!」
「ユーノ!!」
ぱあっと明るい笑みを浮かべて走り出そうとするレスファート、その先を見たイルファの視界に、地響きをたてて押し寄せてくる竜の群れが映った。あれこそは、噂に聞くラズーン守護の野戦部隊と呼ばれる隊、しかもその先頭付近、黒髭の男の隣に、短い焦茶の髪を乱した小柄な少年が馬を駆っている。きっとこちらへ向けた瞳は黒、表情が以前より険しいものの、それは紛れもなく探し求めたユーノの姿だ。
相手も追い詰められたレスファートとイルファの姿を見て取ったのだろう、頷いて速度を上げ、見る見るこちらへ駆け寄ってくる。
「ユーノ! ユーノ!」
レスファートが歓声を上げて無鉄砲に走り寄ろうとするのに、慌てて手近の敵を片付ける。少年の目にはユーノしか入っていないのだ。
(相変わらず凄い腕をしてやがる)
これほどの混戦の中を楽々と切り抜けてくるユーノに、イルファは思わず満足の笑みを漏らす。
(たいした奴だ)
離れている間にまた一層、動きに切れが増したんじゃないか。
「ん?」
だが、その視界の端にアシャの慌てた表情が飛び込んできて、眉を寄せた。コクラノ、ジャルノン、二人の男をあしらいながら、アシャが何かを伝えようとしている。
(何だ?)
レスファート? 確かにそうだ。レスファートを何とかしろと言っているようだ。
(どういう意味だ?)
しきりと合図を送ってくるが、こちらも、駆けつけてくれている味方の軍勢を頼りにかろうじて保っている状態、飛び出そうとするレスファートを庇うので手一杯だ。そうこうしている間に、ユーノは二人の前にやってきていた。
「大丈夫か?!」
ヒストの上から二人を見下ろす。
「ああ! 久しぶりだな、ユーノ」
「久しぶり?」
思わずほっとして笑いかけたイルファに、ユーノは訝るような視線を向けた。イルファの側に居るレスファートには目もくれない。
「どういうことだ?」
不審そうに問い返されて、思わず苦笑いする。
「どういうことって」
悪い冗談だぞ、と言いかけたイルファは、レスファートがびくっと身を強張らせたのに気づいた。少年を振り返ると、今の今まで浮かべていた、この上なく幸せそうな表情を失っていた。顔色は蒼く、いつもよりなお色素を失ったように白々としたアクアマリンの瞳が、馬上のユーノを信じられぬように見つめている。
「ユー……ノ…?」
レスファートは掠れた声を絞り出した。
「うそ…だよ…ね……」
「?」
ユーノは訳がわからぬように、ようやくレスファートへ目を向けた。気が逸れたと思えたのだろうか、背後の野戦部隊が押さえ損ねたモス兵士の一人が飛びかかったのを、瞬間振り向く動作で防ぎ、あっさり相手を敗退させる。そのまま、再びレスファートを振り返ったが、いつものような笑顔は見せない。ただただ不審げな、不安そうなレスファートを見つめる視線の違和感に、イルファもようやく気づいた。
「ユーノ?」
「うそ……で…しょ…?」
レスファートがもう一度、堪え切れぬように問いかけるのに振り向く。
「レス、どうしたんだ?」
「ユー…ノ…」
きゅうっとレスファートの眉が切なげに寄った。瞳が見る見る曇り、白くなった唇が震え出す。
「そ…んな…」
「おい! レス!」
異常な様子に思わず少年の肩を掴む。とたん、ぐらりと揺れた相手の体を危うく支える。レスファートはユーノを食い入るように見つめている。信じたくないことを見ないために、より心の奥深く入っていくような視線だ。きょとんとした顔のユーノと、瞳一杯に涙を溜めているレスファートを、イルファは交互に見比べた。
(何だ?)
聞こえないことばで会話しているようなユーノとレスファートの間に、何が起こったのかわからない。
「『星の剣士』(ニスフェル)!」
戦い続けている野戦部隊から呼ばれて、ユーノは振り返った。ユカルを始めとする野戦部隊が楽な戦いをしているのではないと見て取ったのだろう、
「アシャの側に居てくれ! すぐに加勢に戻る!」
言い捨ててあっさりと身を翻す。あり得ない振舞いにイルファも呆気にとられた。
「おい! ユー…!!」
呼び止めようとして、レスファートの体から力が一気に抜けていくのにはっとする。
「レス?!」
「…い…ない…」
「え?」
「ユーノ……心の…中……ぼく……いな…い」
俯いたレスファートの目から涙が零れ落ちて散る。
「どこ……にも……ぼく……い…ない……」
「レス!! おい!…っ!」
イルファの背筋を寒くするような虚ろな口調で呟き、レスファートはイルファの腕に倒れ込んだ。




