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「ったく、どうしてイルファまで捕まってるんだ」
岩陰に身を潜めながら、アシャはぼやいた。とは言え、ことばほどうんざりしているわけではない。むしろ、いろいろと鬱々とした状態が続いているので、これからやろうとしていることに少々期待もしている。
「…」
僅かに岩陰から顔を突き出し、イルファ達の方を窺う。
モスの遠征隊の中でも、名の知られたジャントス・アレグノ率いる勇猛果敢な隊だけに迂闊には動けないが、遅かれ早かれ野戦部隊と当たるのなら、先手を打っておくに越したことはない。
(ん?)
が、アシャはそこに、さっきまでは見なかった男達を見て取った。
岩の陰にでもなっていたのだろう。一人は如何にも横柄そうな平たい顔、もう一人はまずまず整った顔はしているものの、目の奥に妙に不安定なものを浮かべている。
二人ともモス兵士特有の黄色のマントを羽織っているが、それがちらりと翻った瞬間見えたのは、紛れもなく野戦部隊の茶色の長衣と緑の鎧だ。
「ふ…ん」
アシャは目を細めて冷ややかな唸り声を出した。
思い当たる名前があった。シートスがここに居れば激怒して、誇り高き野戦部隊の名誉のために真っ先に屠るであろう二人の男、言わずと知れたコクラノとジャルノンだ。
(あいつらがユーノを襲った人間か)
心のどこかが冷たく固く凍てつくのがわかる。
(俺のユーノを狙ってくれた借りはきちんと返さないとな)
自分が薄く嗤うのを感じた。引き裂いてもいいと差し出された獲物の前で、容赦なく力をふるえる快感を思う。
ジャントスの隊はじわじわと岩塊の点在する場所へ入っていく。イルファが素早くこちらを見た。目が間合いを計っている。イルファ達の前方に、大きな岩塊が二つ、人が一人、かろうじて通り抜けられるだけの幅をあけて転がっているのに、イルファの前後にいた兵士がやや戸惑って隊を乱す。
(今だ!)
「は…っ?!」
ドッ、ゴグッ!
イルファの側に居た男が気配に振り向いた時は既に遅かった。ひらりと動いたアシャの腕が、傍目には緩慢な、その実、死角を一つも持たない信じ難い動きで閃き、数人の兵士が喉や首筋、鳩尾を殴られ昏倒する。
「レス!」「うん!」「うあっ」「こら!!」「ぎゃっ!!」「どうしたっ…」「敵が…っ!」
たちまち辺りに悲鳴と怒号が充満した。
仰け反り倒れる兵士の間を、イルファは首にレスファートをしがみつかせたまま駆け抜けた。同時に、側の兵士の剣を奪ったが、斬り掛かってきた別の兵士に奪い返される。だが、イルファに対して至近距離はまずかった。
「んなろっ!」
ぶんっ、と風を切る音をたてて、イルファは片腕を振り回した。拳をまともに顔面に食らった相手がはね飛んで岩に叩き付けられ、呻いてずり落ちた。先頭から引き返してきたジャントス達は、転がっている岩塊と混乱して走り回っているモス兵士に邪魔されて、おいそれとこちらへ来れない。
「ぎゃあっ」「ぐわっ!」「はっ!」「ええい退け!」「イ、イルファ!」「しがみついてろ、レスっ!」
「イルファっ! 受け取れっ!」
アシャは倒したばかりのモス兵士が、イルファの両刃の剣を持っているのに気づき、それを奪って放り投げた。薄闇の中、鮮やかに柄の赤いリボンが宙に閃く。
「おうっ!!」
ごんっ!
一人をぶん殴って倒し、イルファは片手を差し上げた。飛んで来た剣をがしりと受け止め、鞘から引き抜き、にまりと笑う。
「貴様ら、よくも今まで小馬鹿にしてくれたな。お返しをしてやるぜええっ!」
「うわああああっ」
うおおおお、と派手な叫びと共に、手近の四、五人が一気に吹っ飛ぶ。
「お見事」
息も切らせず次々斬り掛かってくる相手をあしらいながらアシャは褒めた。
「まだまだあっ!」「きゃああああ」
「……ほどほどにしとけよ」
勢いを得たかのように、転がる岩塊もしがみつくレスファートもおかまいなしで、野獣さながらに暴れ回るイルファに、思わず呟く。
隙ありと見たのだろう、突っ込んで来た男が一人居たが、所詮アシャの敵ではない。くるりと身を翻し、柔らかく腕をしならせて舞えば、剣を交えるまでもなく一蹴りで吹き飛ばされていく。イルファの参戦で敵は一気に減った。いささか物足りなくなったアシャが敵を求めて周囲を見回すと、
「ふん」
いた。仲間が激戦に喘ぐ最中に、こそこそとその場を抜け出していく二人の男。
アシャはにっこり笑った。ふわりと浮かせた体を岩塊へ、続いて幾つかの岩塊を蹴り、混乱の戦場を飛翔して軽々と越え、逃げ出そうとしていたコクラノとジャルノンの前に降り立つ。
「ひ」
「どこへ行く気だ?」
冷えた声で問いかける。びくりとジャルノンが体を竦め、慌て気味にアシャとコクラノを見比べ、おもねるように応じた。
「あ…俺…俺達は………その……今まで…そうだ、今まで、ジャントス・アレグノの捕虜になっていたんだ!」
やはりシートスが聞いたら二重に激怒しそうな言い訳を続ける。
「逃げる機会をずっと窺っていた、な、コクラノ!」
納得の頷きも、仲間を助けられたという喜びも見せないアシャに不安になったのだろう、隣のコクラノに同意を求めたが、コクラノは平たい顔を強張らせてアシャを見ている。
「う、嘘じゃない! 俺達は野戦部隊だ!」
答えぬコクラノに、ジャルノンはますますうろたえ、マントを脱ぎ捨て、ことさら下の茶色の長衣と緑の鎧を示した。




