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(切ないよな)
すうすうと寝息をたてるユーノに、アシャは小さく溜め息をついた。
(せっかくこいつが側にいる、というのに)
アシャはそろそろと両腕を頭の後ろに敷き込んで指を組み、岩天井を見上げる。今夜はまんじりともできないだろうとは覚悟の上だが、ユーノにこれ以上手を出さないためにはかなりの克己心がいりそうだ。
毛布の下、まるで胎児のように丸くなって眠っている相手を覗き込む。荒れた頬にまだ微かに涙の跡が残っている。
(笑顔を見てない)
アシャは眉を寄せた。
そうだ、ずいぶん長い間、ユーノの笑顔を見ていない。特に、ガズラの『忘却の湖』での闘い以来、ユーノには寛いでいる暇がほとんどなかった。戦っているか、緊張しているか、疲れ切って眠っているか、だ。
(記憶喪失、か)
或いはそれは、運命の神とやらの配慮なのかも知れない。17歳の少女の身には、あまりにも辛すぎる運命を、一時なりと忘れさせようと言う。
(いや…そうじゃない)
もし、運命の神がそれほど慈悲深いのなら、そもそもユーノにこんな運命を負わせたりはしなかっただろう。ユーノは、世の幸せを一生約束された『銀の王族』だ。もし望むのなら、人生はもっと明るく楽しいものとなっていたはずだし、
セレド皇族の第二皇女として、何不自由ない日々を送ることができただろう。家族を守りたがたいために一人戦って傷つくこともなく、あの温暖なセレドの地でのびのびと生きていけたに違いない。ドレスを身に付け、髪に花を飾り、愛しい人の名を呼びながら微笑する……。
『アシャ!』
「!」
ぼんやり夢想していたアシャは、空想の中のユーノが自分の名を呼んだのにぎくりとして我に返り、苦笑した。
(俺も結構しつこいな)
再び視線をユーノに落とす。
男の子のように短い髪は疲れた表情を浮かべる頬に乱れている。細い首筋は痛々しく包帯を巻き付けた肩へと続き、華奢な体には白くくっきりとした傷痕が走っている。
(ドレスの代わりに包帯、花を飾るのではなく剣を髪に当てる少女…)
「『銀の王族』か…」
眉を険しく寄せた。
ラズーンで『銀の王族』を待っているのは、決して楽しいものではない。『氷の双宮』に迎えられた彼らを待ち受けるのは、情け容赦ないラズーンの洗礼であり、時には洗礼を受けたことでこの世に戻ってこれない者もある、心への審問だ。
「ん…ユカル…」
ユーノが小さく呟き、思わず顔がひきつるのを感じた。
ユーノがユカルを呼んだのはこれで二度目だ。
唇が少し開いている。微かに寄せた眉が不安そうで、アシャはそっと指先を頬に触れさせた。と、その指を追うようにユーノの顔が動き、ふわりと柔らかい唇がアシャの指に触れた。
(おい、そいつは…っ)
ぎょっとして目を見開き強張ったアシャは、やがて顔を歪めた。
指先にじん、と甘い痺れが走る。そのまま相手の唇に、自分の指を含ませてしまいたくなる、凶暴な欲望とともに。
「……」
静かにユーノの唇から指を離す。その手をユーノの横に突き、じっと相手を覗き込んだ。
ユーノは目覚めそうにない。指が離れたからといって、追ってくる様子もない。これほど無防備な状態で、アシャの側に居るのは、もう最初で最後かもしれない。
目を伏せ、顔を近づける。ためらいがちに唇を重ねようとして、寸前はっと身を起こした。
何かの気配……大勢の人間が移動していく気配だ。
「……」
目を細め、アシャは静かに外を伺った。
(ほう)
洞穴の外を軍勢が密やかに移動していく。時折閃く黄色いマントでモス兵とわかる。かなりの数、野戦部隊といい勝負だ。概要を見て取ったアシャは、軍の半ばほどにひったてられていく人影を認めた。近くの村の住人だろうか。それにしては服装が妙だ。人影は2つ、大柄なのと、まるで子どものように小柄なのと。
(まさか)
緊張を高めて人影を目で追う。小柄な方が躓いたらしく、前にのめる。背後にいたモス兵士がぐい、と剣で突くのに、小柄な人影は抗議の声を上げた。
「痛いよ!」
(レス!)
「子ども相手に何をするんだ!」
「うるさい、さっさと歩け!」
低く凄みのきいた声が命じた。同時に何かの示威行動があったらしい。大柄な男も黙り込む。
(イルファの奴もいるのか)
舌打ちし、アシャはすぐに自らの気配を殺した。傍らのユーノを見下ろす。せっかく安らいで気持ち良さそうに眠っているのを起こしたくはなかったが、この場合はそうするしかなかった。
「『星の剣士』(ニスフェル)…」
モスの軍勢が遠ざかり、気配が感じられなくなると、アシャは低い声でユーノに呼びかけた。ん、と身動きしてユーノが目を開ける。寝覚めの良さは天性のもの、すぐにはっきりした意志を満たしてアシャの目をとらえる。
「何?」
「野戦部隊に戻るんだ。来た時と違う道を辿れ。平原竜は左手でも操れるか?」
「うん、何とか」
頷いてユーノは、物問いたげにアシャを見つめ返した。
「モスの遠征隊が野戦部隊の方へ向かっている。一足先にシートスに知らせてくれ」
「わかった。アシャは?」
「俺はちょっと用がある」
答えて、なおも続きを待つ相手の顔に苦笑する。
「仲間がモスに捕まったようだ。先に動いて何とかする。人質がいては、シートスも動きにくいからな」
「あなた一人で!」
まさか、と言いたげにユーノは体を起こした。痛そうに顔をしかめたが、心配そうな色を隠さないまま、
「無理だよ! その短剣一振りだろ」
「そう思うなら、早めにシートスに伝えてくれ」
にやりと笑ってアシャは体を起こした。よほどふてぶてしく見えたのだろう、ユーノは呆気にとられた顔でこちらを見ている。この人は馬鹿なのか、それとも本当に凄いのか、と瞳が迷っている。
くすりとアシャは笑った。ささやかな悪戯を思いつく。
「じゃあ」
ごく自然な動きで、自分を見返すユーノの頬に唇を触れた。呆然としたまま抵抗もしないユーノが、唇が離れたとたんに我に返る。何か言いたげに口を開いたが、薄赤くなりながら何とか平常心を保とうとするように頷いた。
「…気をつけて」
「そちらもな」
頷いて洞穴を出る。闇の中を遠征隊に向かって走りながら、アシャは甘ったるく緩みかける唇を何度か引き締めた。
(ユーノは拒まなかった)
全く望みがないわけでもないらしい。
正直なもので心身が生き返ったような気になってきた。




