4
「レス!」
バンッ。
宿の扉が激しい勢いで開け放たれた。中から飛び出したレスファートが駆け出し、すぐに、宿の前に繋いであった馬の鐙に足をかけて伸び上がり、鞍に両手を伸ばす。小柄な体では大人用の鞍に掴まるのが精一杯だが、少年は必死にしがみついて、体を鞍の上へずり上げた。
「レス!」
後から飛び出したイルファが、鞍の上で危なっかしく均衡を取りながら手綱を握る少年を見つけ、慌てて走り寄る。
「待てよ!」
「いやだ!」
レスファートはプラチナブロンドを乱して叫び、きっとイルファを睨みつけた。淡い色の瞳が激しい色に燃え上がっている。
「ユーノの所へ行くんだ!」
「アシャが待ってろと言っただろ!」
イルファは、馬が不用意に走り出さぬように、その前で大手を広げて立ち塞がりながら喚いた。
「でも!」
少年は瞳をなおも煌めかせて言い返す。
「ユーノに何かあったに違いないんだ! 感じるんだもん!!」
「だからと言って、お前が行ってどうするんだ!」
埒が明かないと見たイルファは、声を荒げた。
「アシャが行ってるんだ、大丈夫だろ!」
「イルファにはわからない……」
レスファートは小さな手で鞍の端を掴んだ。きつく噛みしめた唇から血の気が引いて真っ白になっている。
「母さまをあきらめろっていわれて……ぼくがどんな気持ちだったか…」
見る見るアクアマリンの瞳が曇る。
「母さまはいないんだって……どんな気持ちで思ったか……」
滲んでくる涙を飲み下そうとする努力も虚しく、光る粒は零れ落ち、レスファートの頬を伝った。
通りがかる人々が何事かと訝しげな目で彼らを見て行く。
「どうして……ぼくは……母さまにおいていかれたんだろうって……いつも……わかんなかった」
「レス……レスファート王子…」
その後を続けられずに、イルファは口を開いたまま、その彼にレスファートは胸を絞るような声で被せる。
「それでも…母さまはあきらめたんだ…………でも」
かっと強く大きく目を見開く。
「ユーノだけは絶対あきらめない!!」
激しく鞍を掴んだ指、腕がぶるぶる震えている。紛れもない、人に自分の意志を満たすことを求める力、王子としての誇りが幼い顔に過るのに、イルファはしかめていた眉を和らげた。こんなところで、その能力を使わなくてもいいだろう、と溜め息をつく。
「わかった……ああ、わかったよ……レス」
肩を竦める。
「宿に伝言を残して、南西の台地へ行こう。その代わり、ユーノの位置を捉え損なうなよ」
「うん!!」
ぱっとレスファートの顔が明るくなった。片手を放し、ごしごし濡れた頬を擦る。と、それでバランスを崩したのか、ぐらりと少年の体が傾き鞍から一気に滑り落ちた。
「きゃ…」
「わ!!」
必死に滑り込んだイルファの腕に、間一髪、どさりと小さな体が転がり込んでくる。
「いたぁ…」
「ふう…」
(やれやれ全く何て惚れ込み方をしてるんだか)
これじゃあ、旅が終わってレクスファに戻ったとしても、ユーノを召し抱えるとか言い出すんじゃないだろうな。
(まあ、それも悪くないか)
あの気っぷ、あの剣の冴え、隣に居れば百万の味方を得たようなもの。乱世をしのぐに必要な人材には違いない。
(そこにアシャが居れば言うことはないんだが)
「ありがとう、イルファ!」
土塗れになっても嬉しそうに笑いかけてくるレスファートに、イルファはおどけて片方の眉を上げてみせた。