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(あなた、誰……か)
アシャは重い憂いを浮かべて、草の上に腰を降ろしている。憂えた表情がどれほど整った顔立ちに悩ましさを与えているか、それがどれほど女性の心を魅きつけるか、そんなことはよくわかっていることだが、今の彼には全て瑣末時、興味も湧かない。髪留めから一筋二筋ほつれ落ちた髪をうっとうしくかきあげる。光が跳ねて瞳の奥に眩い煌めきが差し込む、僅かに目を細めて溜め息をつく。
(誰に抱かれてるつもりだったんだろうな)
あの瞬間は、さすがにアシャ自身だろうと思い込んでいたのだが。
(俺じゃ、なかった)
では誰だ。
「…ふう」
決まっている。
ユーノがあれほどの想いを寄せている相手だ。
思わずもう一度深々と、胸の奥からのもやもやを溜め息に吐き出す。
「…それはないだろう……」
「…アシャ」
近づいてきた気配に振り返ると、日焼けした精悍な肌に黒々と髭をたくわえたシートスが向かってきていた。
「様子は?」
「元気は元気ですが……どうもやはり、裂け目に落ちた時にどこかで頭を打ったんでしょうな、一時的な記憶喪失……それに…」
シートスは困ったように肩を竦めてみせた。
「自分を男だと思い込んでいるようです」
「……」
アシャはもう一度溜め息を重ねた。
何せ、目を覚ましたユーノが最初にアシャに投げつけたことばが、『放せ、変態!』。訳がわからずに戸惑うアシャに、続いて『男を襲ってどうする気だったんだ』と言い放った。
それからは、アシャに近づこうとしないし、近づけようともしない。見かねたシートスがとりあえずアシャについて改めての紹介をした後でも、ぷいとそっぽを向いてアシャの顔を見なかった。
「私もユカルもひやひやものですよ。今は右手が使えないからまだいいものの、ちょっと目を離すと、他の男連中に混じって着替えかねませんからな……何とかならないんですか?」
「俺が近づけないんだ」
アシャはうんざりしながら応じた。
「何ともしようがない」
「自分の名を『星の剣士』(ニスフェル)、野戦部隊の一員だと信じ切っているし…」
「それがまた問題なんだ」
このまま、ユーノに因果を含め、レスファート達の所へ連れ戻して、旅を続けることは不可能ではない。アシャのことばでは聞かなくとも、野戦部隊隊長シートスからの命とあれば、野戦部隊の一員である『星の剣士』(ニスフェル)としては、聞かないわけにはいかないだろう。
だが、レスファートはレクスファの王子、人の心像に精通している一人だ。自分で能力の高さを意識しているかどうかはわからないが、ユーノの心像が以前と全く違うばかりか、自分の存在がそこにひとかけらもないとわかったら、どれほどの衝撃を受けるかは容易に想像がついた。
(せっかく元気になったレスファートが、また逆戻りするのは見たくないな)
姿形が愛らしいだけに、自分の拠り所を失って殻に閉じこもっていく光景は痛々しすぎる。
(どうする? いっそ、ユーノを野戦部隊に委ねるか)
むしろその方がレスファートにとっても、そしておそらくはアシャがこれ以上ユーノに拒まれないためにもいい方法だろうが……。
「ユカル!」
ふいに朗々とした声が響いた。何かの急用か、ユカルの天幕にユーノがいそいそと走っていく。
見つめているアシャの視線に気づいたように、ふっとユーノがこちらを振り向いた。だが、すぐに険しい表情で顔を背け、災厄から逃れようとするようにユカルの天幕に飛び込む。
それはまるで、アシャの存在そのものが不快でしかないと語るようだ。
(何だ、それは)
どれほどの想いで探し回ったと思っている。
どれほど眠れない夜を過ごしたと思っている。
見つけ出した瞬間の喜びを一気に突き落とされる傷み、しかもそれは今もどちらかというと警戒を深められ続けているとしか見えない。
(俺は)
「…前途多難ですな」
「……ああ」
(俺は)
シートスのことばにアシャは唇を噛みしめ、俯く。
(俺が、何をしたって言うんだ)
子どもっぽい愚痴に胸がじくじくする。
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