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ラズーン 3   作者: segakiyui
5.『風の乙女』(ベルセド)
40/115

9

(ここへおいで)

 戻れと訴えたいのは山々だが、初めて会った娘のように優しく誘いかけていく。

(ここは安全だから)

 ユーノはためらい、戸惑った顔で首を傾げつつ竦み、次の瞬間、まるで崖から飛ぶような勢いで、一足飛びにアシャの腕の中に飛び込んできた。ほっと小さく息を吐いて、アシャの胸に身を寄せる。

(こんなに、冷えてる)

 小さな体は凍えていた。いつぞやの、なかなか命が戻らなかった夜を思い出して胸苦しくなる。近くで見た横顔には血の跡がある。またどこかを怪我しているのだ、見えている以上に。

(また、俺の知らないところで)

 胸の底に広がった苦さは悔しさと苦しさで濃くなっていく。

(俺に一言も助けを求めないで)

 それほどアシャは、ユーノにとって意味がないものなのか。

 静かにユーノの体に腕を回す。

「!」

 どきりとしたようにユーノが身を起こし、離れようとする。対するアシャはそれを止めない。飛び離れかけた相手に乱れそうな呼吸を堪え、再び静かに腕を開く。

 逃げるな、では戻ってこない。囁くべきことばは一つ。

(ここだ)

「…………」

 ユーノは逃げなかった。自分の体から離れた腕を見つめ、そっと指先で触れてアシャを見上げる。頷いて、もう一度、ユーノを抱く。今度は相手は身動きせず、じっとアシャの胸に体を休ませている。

 見下ろして気づく。右肩から強烈な血の臭いがする。夢の中だから普通に動けていても、かなりの深手なのかもしれない。早く手当をしてやりたい、早く。

(落ち着け)

「…ふ…」

 カプセルを吐き出してしまわないように、静かに息を吐いた。

(まず一段落)

 続いてもう一度、今度は腕に力を込める。ユーノの反応を見ながら、怯えさせないように、少しずつ。

 それはまだるっこしい過程だった。

 ほんの少しずつユーノを抱き締めていきながら、決してユーノの夢を壊さないようにしなくてはならない。ユーノの夢に、それとわからぬほどの微細な干渉を加え続け、現実へ現実へとゆっくり引き戻していくのだ。だが。

 焦りと反対に思わず微笑んでしまった。

(意外にこれは楽しいな)

 ユーノの頬に軽いキス、体を強張らせるのをなだめて、もう一度。

 ユーノの心を世界から隔てている障壁を、感触でもってほんの僅かずつ切り崩していく。

 互いの体を重ねるのに似ている、と不謹慎なことを思う。あれもまた、夢を現実に繋いでいく儀式と言えなくもない。

 額の紅に染まった布に手を触れると、ユーノはぎくりと体を震わせてアシャを見た。安心させるように頷いて、額の布を取り出した新しいものに変える。アシャの体にそっと身を寄せているユーノは逃げない。甘えるように右肩を差し出したので、その傷も手当できた。

 一つ触れ、一つ手当が進むごとに、ユーノの目の奥で何かが動き、やがて傷に触れると痛みに体を強張らせるようになった。

「あ…りがと…」

 ようやく掠れた声が響く。

「…ふ、う…」

 随分長いこと聞かなかった声だ、と胸が呻いた。同時に自分が、体の全てが、これほどユーノの不在に餓えていたと気づいて、胸が甘酸っぱくなった矢先、

「あなた……誰……?」

 心底訝しげな声にひやりとした。

「…、に…?」

 思わず見下ろす黒の瞳は、もう澄み渡って晴れつつある。立ち方もしっかりとし、さきほどまでの危うい頼りなげな気配はない。ユーノがほとんど覚醒しているのは確かだ、なのに。

(今、何て言った?)

「……っ!」

 ふいにラーシェラの気配がざわめくように濃厚になった。どうやらユーノを失うまいとしているらしい。

 一刻の猶予もない。ぐっと酸素発生剤を噛み、ユーノの顎を押し上げる。

「あ、う」

 いきなりの挙動、小さく呻いて眉を寄せたユーノの唇に口を重ね、酸素発生剤の一つを舌で押し入れ含ませた。驚きに目を見張ってもがこうとする相手の体を強く抱く。ラーシェラの実が蔓についたまま、次々と弾け始めた。床に広がっていた塊も、連鎖反応のようにあっという間に黄金の煙に変わっていく。

「ん…っむ」

 ユーノが意識を失ったように腕で崩れた。ラーシェラがユーノの支配から手を引き、実を弾けさせるのに集中しだしたらしい。膝が崩れて座り込もうとするユーノの体を片腕で引き上げ、口を布で覆って縛り、軽々肩へ担ぎ上げる。

(もらっていくぞ)

 ちらりと樹を振り返って響かせた想いは嘲笑だ。

(お前じゃ格不足だ)

「!!!」

 声なき怒号が岩屋を満たす。荒れ狂うように黄金の粉を吹き付け、蔓を揺らめかせたが、アシャは立ち止まることもなく、『風の乙女』(ベルセド)に吹き送られるように脱出していった。


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