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(どういうことだ?)
アシャは作り上げた小部屋の中で眉をしかめた。
男達は少なく見積もっても十数人はいる。『宙道の声』で確かになお気配を増幅させてはいるが、それでも予想以上の数だ。
不審そうなユーノの顔に、重苦しく首を振った。
考えられる可能性はただ一つ、ギヌアの以外にも『運命』に組して、宙道を安定させ開いていることに力を貸している視察官がいるということだ。
(ついに、視察官までラズーンを見捨てようとしているのか)
緊張した顔のレスファートがぎゅっとユーノの袖を掴んで体をすり寄せている。
男達は粛々と宙道を歩いていく。まっすぐ前方を見つめながら、暗黒の死の遣いのようにためらいもなく進んでいく。その行列がゆっくりとアシャの前を、イルファの前を、レスファートとユーノの前を通り過ぎていく。
四人の呼吸がますます密やかに静かに闇に呑まれていく。
もう少し。
もう少しで行き過ぎる。
「……」
このまま見事に隠れおおせるか、そう誰もが思った次の瞬間、
「臭いがする」
太い声がギヌアの口から漏れた。人の心を寒々とさせる冷えた笑みを浮かべ、
「獲物の臭いが」
先頭を歩く男が唐突にぴくりと立ち止まった。
「どうした?」
「このあたりに気配が」
アシャの作った小部屋の中で四人は緊張した。
「そうだろう」
ギヌアが満足そうに唇の両端を吊り上げる。
「確かにこれは、あやつの気配だ」
手綱を操り、するすると男達の間を擦り抜けて馬を進め、そして再び何かを探るように戻ってくる。その周囲を固めた黒尽くめの男達の顔にも、操られるようにうっすらとした奇妙な笑みが浮かび上がった。まるでギヌアの微笑が次々に伝わり移っていくような笑みだ。それは、何人もそこにいるのだが、実体なのはギヌア一人ではないのか、そんな錯覚を起こさせた。
ギヌアは楽しむように何度か馬を行き来させ、突然止まった。
「見つけたぞ、アシャ!」
大音声が呼ばわり、いきなり宙道と小部屋を隔てる壁が薄くなり溶け去った。
真正面に、きらきらとした正視に堪え難い真紅の瞳があった。宙道の暗がりの中で、吹き上がる風にばらばらと散るように乱れる淡い色の髪が、憎悪の炎に見える。
笑み綻んだギヌアの高笑いが宙道に響く。
「うぬっ!」
ぎりっとアシャの歯が鳴って激しい気合いが漏れ、男達がわらわらと駆け寄って剣を付き込もうとした寸前、溶けた壁が再び立ち上がり塞がる。
「はははははあっ!」
嘲るような笑い声が宙道にまたもや響き渡り、レスファートがびくりと体を竦めた。
「甘い、甘いぞ、アシャ。そうやっていつまで逃げ切れるものか!」
ギヌアの嘲笑は続いた。
「おまえがいくら第一正統後継者だからと言って、宙道で四人も抱えては身動き取れまい!」
「ちっ、言いたい放題言いやがって」
忌々しそうなイルファの舌打ちに、ユーノは唇を噛んだ。
(確かにそうだ)
そっとアシャを盗み見ると、相手の目は依然鋭さを失っていないものの、その奥に、それと知らねばわからぬほどの疲労の影がにじみ始めているのが見て取れた。
ユーノ達には考えもつかない精神の攻防戦が行われているのだろう。
ず、とまた目の前の壁が形を失って崩れ落ちる。
「きゃ!」
突き出された黒剣がレスファートの片足を掠めた。少年が悲鳴を上げて後じさりする。
「く!」「レス!」
アシャがとっさに剣で黒剣を払いながら、すぐに壁を修復する。ユーノが引き寄せたレスファートは唇を噛みながらも、全幅の信頼を置いた目で彼女を見上げた。
「痛い?」
ユーノは瞬間相手を抱き締めた後、すぐに服の裾を剣で裂き、レスファートの傷に巻きつけた。
「へっちゃらだよ、これぐらい!」
本当は痛くて泣き出しそうなのを必死に我慢した声で、レスファートが応じた。頬が上気している。プラチナブロンドが乱れるのをうるさそうに振り払って、少年は気丈にアシャを見た。
「アシャは?」
「大丈夫だ」
アシャがに、と笑って答える。だが、次第に厳しくなる目は紫水晶の深みのある色ではなく、手負いの獣のそれに似た冷酷非情なものに変わりつつあった。
(『氷のアシャ』)
ふいにユーノの頭にそのことばが浮かんできた。いつか小耳に挟んだことのある、アシャのもう一つの呼び名だ。あの時は、いくら女連中にそっけないと言っても言い過ぎだろうと思っていたが、その呼び名を抵抗なしに受け入れられるほど、今のアシャは殺気立っている。触れれば切れそうな気配だ。
「出て来い、アシャ! そろそろ限界だろう!」
「っ!」
ギヌアの声とともに、またずるりと壁の全面近くが溶け落ちた。待ちかねていたように男達が声もなく剣を構えてのしかかってくる。
「ふ!」「は!」「でええい!」
同時に三筋の光が宙道を切り裂いた。
一筋はユーノの細身の剣、二人の兵の急所を確実に切っている。次の金の一筋は言わずと知れたアシャの剣、突っ込んできた相手の眉間を一閃、絶叫して仰け反る兵の脾腹にとどめを刺す。残る二人は、イルファの重い、例の赤いリボンつきの両刃で胴をなぎ倒され、呻く間もなく絶命する。
「ちいっ!」
鋭いアシャの舌打ちが響く。今度は壁がなかなか戻せないのだ。