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ラズーン 3   作者: segakiyui
5.『風の乙女』(ベルセド)
36/115

5

「それは…!」

 ユカルがぎょっとした声で叫んだ。慌てて自分も平原竜タロを降り、駆け寄ってくる。アシャの手元を覗き込み息を呑むのに頷き返す。

「…」

 指を濡らしたのは血だった。

 それほど前に流されたものではない。

 乾き切っていない……乾き切らぬほど大量に流されたのか?

「アシャ、こっちにも!」

 周囲を素早く確認したユカルが、点々と続く血の跡を指差した。

 辺りの草は激しく踏みにじられている。犠牲者を引きずっていったと見えなくもない。その先に、小規模ながらも底深い「『風の乙女』(ベルセド)の住みか」が口を開けている。

「…どうやらここらしいな」

 低く呟いて裂け目の中を覗き込む。ただでさえ鈍い光は、とてもではないが、その奥まで照らしてくれはしない。

「クェアーッ!!」

 唐突に猛々しい叫びが響いて、アシャとユカルは振り向いた。

 曇天に白々と、クフィラの勇壮な姿が浮かび上がっている。

「サマル!」

 アシャの厳しい声を叱咤と感じたのか、クフィラは渋々と言った様子で舞い降りてきた。差し出した左腕に大人しく乗ったものの、いつものようにアシャの肩へすり寄ろうとはしない。

「これ…『星の剣士』(ニスフェル)のクフィラだ」

「クェッ!」

 これ、と物扱いされたのに苛立つように、サマルカンドはぷいと首を背けた。だが、問い正すようなアシャの冷ややかな目にあうと、首を竦め、上目遣いに機嫌を伺うような様子を見せた。ユーノの側に居なかったのを恥じるように見える。

「…ん? …そうか、連絡があったのか」

 どうして肝心の時に、サマルカンドがいなかったのかはすぐわかった。足首に通信筒がついている。ラズーンの方で呼ばれたのだろう。アシャに近い呼びかけをするもの、おそらくは『太皇スーグ』あたりか。

 メッセージを確かめたアシャは思わず眉を寄せる。

『急ぎ帰還せよ。ラズーン存亡の危機、来たれり』

 顔をしかめたまま、アシャは通信筒をサマルカンドの足首に戻した。

「よし、サマル。俺の馬が野戦部隊シーガリオンに戻ったら、すぐにラズーンへ飛んでくれ」

「クェッ!」

 ふわりと、質量を感じさせない軽さで、クフィラはアシャの左腕から舞い上がった。それを見送ることもなく、アシャは馬の荷を下ろし、丈夫な縄紐を取り出した。「『風の乙女』(ベルセド)の住みか」の端へ固定し、強度を試す。

「あ、アシャ!」

「ん?」

「この中に…降りるんですか?」

「ああ」

「だって……ここから『風の乙女』(ベルセド)が出て来たんじゃないですか?」

「そうだ」

「じゃあ、また出てくることも」

「あり得るな」

 淡々と答えながら、アシャは持ち物を確かめた。

「もし、そんなことになったら、どうするんですか?」

 切り立った崖のような裂け目の壁を伝い降りる最中に、あの風に巻き込まれてしまえば、一瞬意識を失って落下してしまうかもしれない、どこが底ともわからない谷の中へ。

 だが。

「下にユーノが居る」

 その場にそぐわぬ笑みだったのだろう、見返したユカルが顔を引き攣らせる。

「それだけだ」

 そして、それ以外のどんな理由が必要だろう、今ここでアシャが降りていく意味に。

(お前は俺の主)

 ふいに胸に打ち寄せた激しい感情に、思わず目を伏せる。

(お前が居るところこそ、俺の居るべき場所)

 昔語られた恋物語だっただろうか、それとも恋人を口説く詩歌だっただろうか。

 脳裏を過ったのは、ユーノがいない旅の日々だ。レスファートの落ち込みも、イルファのことさらな上機嫌も引っ掛かりはする、だがそれより強く傷む想い、繰り返し繰り返し見やる、天幕カサンのいつもの場所に眠っていない存在を、どれほど自分が望んでいたのか、今しみじみとわかる。

「でも…っ」

 軽く後じさりしかけるユカルに苦笑した。

「怖いのか?」

 アシャは怖くない、むしろ胸が高鳴っている、ようやく再会できるのだ。ようやくもう一度、ユーノの側に自分を置けるのだ。唇が微笑みに綻ぶのがわかった。

(どこまでも、俺はお前を追う)

 いやむしろ、ユーノを追えるのが自分だけだと証明したい、今。

「怖いなら来なくていい」

 そっけなく言い放ったアシャに、ユカルの強張っていた顔が見る見る赤くなった。アシャの笑みを嘲笑ととったのか、苛立った表情で、

「俺も行きます!」

「…」

「隊長に怒られる」

 訝しく振り向いたアシャの目を真っ向から見据えて、険しい顔で唸る。

「あなた一人を行かせる気はない…っ」

 その瞳の激しさにアシャは微かに息を呑む。

(こいつ、ひょっとして)

 同じ激情をアシャは自分の中に飼っている、ユーノを誰にも渡さないという所有欲を。

「…なるほど」

 応じたアシャの声の低さに、ユカルもまた気づいたのだろう、ぎっと歯を食いしばる音が響いた。

 若さと情熱、それに勝る何をアシャはユーノに示せるのか。

(だが、今はそれに構っている場合じゃない)

 ラーシェラもまた手強い敵だ。

「よし、来い」

「はいっ!」

 縄を伝って地の底へ降り始めるアシャに、ためらうことなくユカルが続く。

「クェアアアーッ!」

 無事を祈る、そう言いたげなサマルカンドの声が、鋭く天を衝いていった。


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