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「歌…?」
「トシェンだ。あいつは歌がうまいよ」
「ふうん」
「おおかた、また、頼まれた恋歌でも教えてるんだろ」
「教える?」
「そ」
ユカルが悪戯っぽく片目をつぶる。
「野戦部隊の暮らしは、年がら年中、戦ばっかりだ。それでも俺達だって人の子だからな。たまには本気で恋もするさ。ところが、いくら気持ちが募っても、それを伝える術なんて持ってやしない」
ひょいと自分の姿を見回すように両手を上げてみせる。
「だから、せめてああして、トシェンに恋歌でも教えてもらって、目当ての娘に歌ってみようってのさ」
「へえ…」
「…いと…美しい……乙女よ…」
背の高いトシェンの側に立った、いかにも野戦部隊の典型のような武骨な男がおどおどと音律を繰り返す。
「その優しい腕もって…」
「その……優しき…か…かいな……もち…もって…」
「幼子を抱くか…」
「おさ…おさなご……を……いだ…くか…」
使い慣れないことばとなると、音律ばかりかてきめん歌詞も危うくなる。懸命さは伝わるが娘の心を蕩かすにはほど遠い。
「あーあ、見てられねえな」
ユカルがふてくされた口調で言って、トシェンに背を向けた。くすりと笑みをこぼしたユーノは少し目を閉じ、豊かな響きの歌に耳を傾けた。
「その甘き唇もて我を癒すか…」
習っていた男の方は気が挫かれてしまったらしい。その後を繰り返す声はなかった。
「我は傷つけり
そなたのことばにて
この胸は血を流し
この目は涙に濡れる……
ああ
哀れみたまえよ
そなたを恋うるにはあまりに惨めな我と言えども
この心はすでにそなたの側にあり
あああ
哀れみたまえよ
哀れみて
いくばくかの時を
我のために笑みたまえよ…」
(あわれみたまえよ…か)
ユーノは目を開けた。
その祈りも幾度、彼女の心の中で繰り返されたことだろう。
アシャの笑みを受けるたび、アシャの目が注がれるたびに、その時が永遠に続けばいいと願い、すぐにその場から消えてしまいたいとも思った。
(笑わないでね、アシャ……想うことは自由だと……誰かが言っていたんだ……)
もちろんそれは、私よりもうんと可愛い娘だったに違いないけど。
胸の中でさえ続けられない訴えを耳の奥で聞く。
ふと、どんな想いをしてもいいからアシャの側に居たい、と思った。
こんな遠くに離れていないで。互いの所在さえ知らないような場所ではなくて。
眉を潜めて苦笑する。
(ああ…私らしくない……ばかなことを考えている)
「いい声だろ」
「そうだね…」
「どうした、星の剣士?」
「…いや」
不審そうなユカルの声ににっと笑って、ユーノは槍を取り上げた。
「さ、仕上げをしておくか」
「頼むぜ、星の剣士。野戦部隊を代表する剣士なんだから」
「ああ」
振り仰いで任せといて、と微笑むと、相手が一瞬奇妙な顔になった。戸惑うようなたじろぐような、それでいてまじまじとこちらを覗き込むような。
「ユカル…?」
奇妙な沈黙。
「星の剣士!」
唐突に呼ばれてユーノは視線を外す。
「何だ」
「隊長がちょっと来いってさ」
「わかった! じゃ、ユカル」
「あ、ああ」
剣を背に負い立ち上がり、ユカルの側から離れようとして、相手が依然、どこかぼんやりとした顔で自分を見上げているのに気づく。
「ユカル?」
「……」
妙にぼうっと、いや、うっとり、とも言っていいような甘やかな表情にユーノは瞬きした。
(ユカルも誰かを好きなのかな)
「行くぞ?」
「えっ、あっ、うん」
はっとしたユカルが見る見る赤くなっていくのに二重に戸惑う。
「どうしたんだ?」
「あ、いや、そのっ」
ぶるぶるぶるっ、とユカルはふいに激しく顔を振った。顔ばかりではない、立ち上がったかと思うと、ぐいぐい拳を握った両手を押し下げるように体を動かし、何考えてんだ俺、とか、ちがうちがう、とか呟き続ける。
「男なんだぞ、男だ」
挙げ句にユーノに背中を向けて言い聞かせるように唸るのに、ユーノはますます首を捻る。
(男?)
ひょっとして、ユカルの好きな相手というのは男性なんだろうか。
(ありえなくもない…)
脳裏を掠めたのはイルファだ。ただ、イルファの場合は、アシャを女性と考えてしまって、という経過もあるが。
(でも野戦部隊にそういう対象になりそうな人はいないよなあ…)
周囲のがっしりぎっちりの筋肉群を見回して、いやそういう場合もあるのかと思い直し、いやいやそれはどうだろうとぐるぐる考え出した頭を、ユーノは慌てて横に振った。たとえそうであっても、ユーノには力になることなんてできそうにない。
(自分の気持ちさえ持て余しているんだもんなあ…)
「話があるなら、また後で聞くよ」
「えっ、話っ? いやっ、あのっ、後でっ、後でなっ!」
ばっと振り向いたユカルがばたばたと大きく両手を振るのにくすりと笑って背中を向けた。




