3
「ふ、」
目覚めると、同じように冷ややかで重苦しい風が首もとに吹きつけていた。
当たりの気配が澱んでいる。視察官なら間違えようがない、『運命』の気配だ。
「目が覚めた、アシャ?」
「ユーノ?」
相手が薄暗がりでも猛々しい輝きを放つ細身の剣を抜き放っているのに、はっとして立ち上がる。
「追手か?」
「おそらくは。この気配だと、二、三十人はいる」
「何…?」
ユーノの声は緊張している。その声の厳しさと、夢の囁きの甘さとの落差に胸が痛む。だが、気配は確かにユーノが指摘した通りの圧迫感で宙道の中に満ちている。
(確かに、これはかなりの人数の気配だが)
眉をしかめた。
アシャでさえ、宙道に連れ込めるのは自分を入れて数人が限界だ。
(いくらギヌアとはいえ、これだけの人数を?)
「アシャ?」
ユーノが不審そうに振り返る。
「あれ……ねえ、ユーノ」
レスファートが戸惑った顔でユーノを見上げた。
お互いの顔が何とかわかるぐらいの暗さの中で、レスファートの瞳が小さな明かりのようにきらきらと輝いている。
「宙道って、そんなにたくさんの人が一度に入れるの?」
ユーノがはっとした顔でアシャを見る。アシャも頷いた。
「普通なら、そんなことはありえない」
「じゃ、これ…」
「けどよ、アシャ」
イルファがひたひたと押し寄せてくる追手の気配を、眼力だけで追い返そうとでもするように、宙道の彼方を見つめた。
「この気配は、紛れもなく、多人数の追手だぞ?」
「ああ」
アシャもまた、イルファの睨み据えている方向を見やる。
気配は死のように、のろのろと、けれども確実にその間合いを詰めてきつつある。それはまるで、回りを満たす闇よりねっとりと濃く流れていきながら、その流れの後には何も生かしておかないという『黒の流れ(デーヤ)』のように、残酷な定めを含んだ物質がじりじり宙道の空間を埋めていくような不気味さだ。
「ユーノ…」
レスファートがユーノの背後に隠れながら、チュニックの裾をしっかりと握る。
「何か感じる?」
「うん…でも」
レスファートは首を傾げた。
「なにか変な感じ……いろいろ……あっちこっちに、はねかえってる、みたい」
「跳ね返ってる?」
アシャは不思議そうに繰り返した。むっとしたらしいレスファートが怒ったように、
「ほんとだよ。…こだま? こっちの声が、あっちの山にあたってはねかえる? そんな感じ。それが何度も何度もあたってる」
「……そうか」
はっとする。
「イルファ、ユーノ、剣を片付けろ」
「え?」
「何だ? 勝ち目がないからって、降参するのはごめんだぞ」
イルファが不満そうに唇を尖らせる。
「ひょっとすると、『宙道の声』かもしれない」
「『宙道の声』?」
「宙道の中で、気配をわざと反響させ増幅させて、多人数に見せかけるはったり戦法だ。視察官なら一度や二度は使っている」
にやりと笑ってみせる。
「それなら、とりあえず身を潜めてやり過ごせば、相手の状況も掴めるし、無駄な争いをすることもない」
「簡単なの?」
ユーノの問いに頷く。
それほど簡単な方法ではなかったが、今はそれを事細かく説明している時間はない。手近の壁に向かって掌を向けて意識を集中し、ねじ曲げて小さな空間を作る。
「部屋ができた」
レスファートが驚いて声を上げた。
「そこに入ってくれ」
アシャが意識を強めて固定する間に、三人はそちらへ進んだ。最後にアシャが入り、今度は宙道側に掌をかざして集中する。
「ああ…」
レスファートが小さく声を上げた。
目の前の空間が、見る見るうっすらとした煙のようなものに遮られていく。その煙はゆっくりと厚みを増し、やがて回りに酷似した壁のようなものになった。少し違うのは、僅かに透けて向こう側が見えるような気がする、ということぐらいか。しかし、それも、確かにこの辺りに何かがあると思わなければ見つけられないぐらいの差に過ぎない。
「静かに」
アシャが制して間もなく、追手の気配が近づいてきた。
どっぷりとした宙道の闇の中を、ぎらぎら光る鎧を身に着けた黒尽くめの衣服の男達が、恐れた様子もなく進んでくるのが、壁を透かして見えた。誰もが筋骨逞しく顔立ち不敵なものが目立つ荒々しい戦士風の者達だが、動きには妙にぼんやりした鈍さがある。
「ぐずぐずするな」
その動きに苛立ったのか、全く違うくっきりとした容赦のない声が命じた。
声の主は、男達の最後尾、黒馬に跨がった、やはり黒尽くめの一人の男だ。色というものを絞り抜いたような白髪、色白で整った顔立ちだが、血のように輝く真紅の瞳は禍々しい光に満ちている。
ギヌア・ラズーン。
かつては、統合府ラズーンの第二正統後継者として民人の仰ぎ見る存在であった男は、今や暗き破滅の手『運命』の王となって、紋章を胸に光らせながら進んで来る。瞳に紅蓮の炎を燃やし、宙道の彼方を射抜くように見つめている。




