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スォーガには、世界創世を語る伝説がある。
それは必ず、こう語り始められる。
昔、戦いがあった、と。
昔、戦いがあった。
それはおおいなる戦であった。
東には雪と氷をしもべとする神が、西には熱と炎を味方と頼む神がいて、二人はことあるごとに対立した。
戦いのきっかけは悠久の空間と時間の中ではほんの些細なこと、太陽がなぜいつも東の神の背後から昇るのかといったことだった。
神々の時にしても長き時間を、二人の神は憎み合い、睨み合い、戦い続けた。その戦いは、時にはお互いの弱点を探り合う冷えた戦いであり、時には双方の持ち得る力を叩きつけ合う熱した戦いであった。
だが、お互いの力が伯仲していたため、戦いにはなかなか決着がつかず、それ故、二人の神の戦いは始まったときのような単純さを失い、複雑な幾万の襞を持つようになった。
ある日、ついに戦いは行き詰まり、終局を迎えた。本当は、二人の神は互いに争いを止めるべく歩み寄ろうとしていたのだが、その折の礼の示し方が僅かに食い違っており、それが二人を決裂させたのだ。
最後の戦いは熾烈を極めた。
二人の神は雷を投げ合い、炎を撒き散らし、天を穿ち、地を裂いた。空にある星を降らせ、地底の大河を干上がらせた。人々は嘆き悲しみ、流される血潮を、倒れ伏す仲間を愛しんだが、神々はその祈りを聞き届けなかった。
そして、破滅はやってきた。
世の終わりを告げる凶星が禍々しく輝きを増したとき、星々は、神々の上に光と死を携えて降り注いだ。
永遠にその生命を長らえるはずであった二人の神は、死して伏した。
後には無惨な戦場のみが残された。
美しかった大地は荒れ果て、水は乾いた。地勢は一変した。山上に海は満ち、海底は山となった。あらゆる生き物が本来の形を失い、命を失った。
やがて、荒廃し切った世界に再び星が流れた。
それは、彼方より流れ来た星であったらしい。
その光は、かつて二人の神が操ったどの光よりも、清浄なものであった。
星は、この世に、その創造と守護の任を命じ、ラズーンの神を送られた。
新しい世界の始まりであった。
「………」
ユーノはじっくり時間をかけて磨き上げた槍を横に置き、剣の手入れに取りかかった。
(星の剣士か……)
その呼び名に潜む畏敬と希望を、ひしひしと感じる。スォーガに伝わる創世の伝えを聞かされた後では余計に、自分に与えられた呼び名が気恥ずかしくなる。
『星』はスォーガでは決断と実行の象徴だ。世界の命運を担う、祈りの形だ。
野戦部隊の中で、ただ一人、白い星の馬を操るためにそう呼ばれているのだろう、始めはそう思っていた。けれど、近頃では、星の剣士、そう呼びかけられるたび、或いは野戦部隊に遭遇した旅人が、夜空に輝く星のような聡明さ、眩く人を導く剣の冴え、そう讃えるのを聞くたび、それほど単純な話ではないと思うようになった。
揺れ動く世界を、誰もが不安に思っている。それは野戦部隊といえど、無関係ではない。
きっと、自分達とは異質な何かに願いを託す、その無意識が、よそ者のユーノに『星の剣士』と呼びかけさせているのだ。
(でも、私一人じゃ、何もできない)
アシャ達と旅をしていた時は、もっと自分の力を誇っていた。最後は自分が背負えばいい、そう思っていた。
だが今は、ユーノ一人ではどうにもできない大きな集団と戦う時、仲間と連携し、互いに背中を守り合うことの意味がよくわかる。
(私は……本当にあなたを守れていただろうか)
思い出すアシャの顔に問いかける。
(あなたが背中を預けて安心できる、仲間だっただろうか)
そうではなかった。
いつも一人で暴走し、一人で死地に飛び込み、なのに、アシャは必ず助けにきてくれた。
ユーノはアシャの言うとおり、上っ面と気負いばかり先走った、本当に幼い傲慢な剣士だった。
(情けない)
失って当然だ、と胸に走る痛みにユーノは思う。
動乱の世界を渡っていく仲間としても不十分だったのに、愛してほしいとまで願ってしまった、アシャの優しさにつけ込んで。レアナの妹、セレドの皇女、ラズーンにとって必要な『銀の王族』、おそらくはその範疇を越えてまで、アシャは体を張ってユーノを支え守り救ってくれたのに。
何度も叱られた、一人で行くな、と。
ラズーンの正統後継者、視察官、セレド皇族の付き人、どの役割を考えても、ユーノの無茶を諌めるのは当然だったのに。
「……ほんと…」
私って、ばかだ。
(心配ばっかりさせて、迷惑ばかりかけた)
はあ、と溜め息をついたとたん、
「星の剣士!」
「んっ」
呼ばれて振り返った。
茶色の長衣の裾をなびかせながら、ユカルがやってくるのに微笑む。
「剣の手入れか?」
「ああ」
近くに腰を降ろそうとするユカルに、剣を鞘に納める。
「今日あたり、ガデロの兵達が来そうなんだろ?」
「ああ。もっとも、ガデロよりモスの方が気になるがな」
ユカルは渋い顔になった。
「ジャントス・アレグノか?」
くすりと笑ったユーノに、ユカルはますます渋面を作る。
「そうだ。あの時、討ち果たしときゃよかった」
「仕方ないよ」
ユーノは肩を竦めてみせる。
「ぶつかる時はぶつかるさ」
「そうだな」
ユカルは溜め息をついて、ユーノの指が槍を撫でるのを見守る。やがて、
「星の剣士」
ためらいがちに呼びかけてきた。
「ん?」
「アシャに…会わないな」
「……そうだね」
スォーガにしては穏やかな風が吹き過ぎていく。ユーノの前髪を額帯にもつれ込ませるように吹きつけ、そのままするりと耳元を掠めていく。
「野戦部隊がもっと自由に動けりゃ、見つけやすいんだが」
「…」
ユーノは応えず、槍の穂先に映った曇り空と、それを背景にした自分の姿を見つめた。乱れる焦げ茶色の髪、その奥で隙のない漆黒の目が殺気に輝いている。
くすり、と寂しく笑った。
「ん?」
「いや……」
不審そうに覗き込んでくるユカルを見返す。
「やっぱりボクは生まれ間違ったんだな、と思ってさ」
「何が?」
ユカルはきょとんとする。
「お前ほど腕が立てば、男として十分誇らしいだろう?」
「…そうだな」
僅かに目を伏せ、滲みそうになった傷みをユカルの視線から隠す。
「きっと、ボクに一番似合うのは剣、なんだろうな」
「槍も似合ってる。それに、その格好も」
ユカルはにやにやと笑ってユーノを上から下まで眺める。
硬めで跳ねた肩までの髪、額を覆う前髪の下には濃緑の額帯。他の野戦部隊同様、ただ細め小さめの長衣、上半身に緑の鎧、背中に剣を負っている。鎧の繋ぎ目に飾り結びされた数本の革ひもは、額帯を与えられた一人前の野戦部隊のみが受けられる手柄の徴だ。
「まあ、ちょっとばかし、細くてちっこいがな」
ユカルがからかった。
「今じゃ、野戦部隊は烈光放つ小さな星こそ脅威だと言われてる」
勇猛果敢なシートス・ツェイトス、その背を狙えるのは星の剣士に骨身を削られてからだ、とも。
「野戦部隊か…」
呟いてユーノは吐息を重ねた。
「このまま、ここに居るのもいいな」
「そうだよ、ユーノ」
ユカルが顔を輝かせた。
「ラズーンでの用が済んだら、また野戦部隊に戻ってこいよ。お前なら、隊長だって除隊後復帰を認めず、なんて言わないさ」




