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ラズーン 3   作者: segakiyui
4.『星の剣士』(ニスフェル)
26/115

3

「このあたりの宿でいいよな」

 イルファが馬を止めるのに、アシャは頷いて腕の中のレスファートを覗き込んだ。

 アクアマリンの瞳は光を失ったのかと思えるほど、虚ろなままだ。スォーガの街にようやく入ったというのに、これまでのように異国の見知らぬ風景にはしゃぐこともなく、食べ物は水で何とか流し込んでいるだけという状態が続いている。

 アシャはふわりと馬から飛び降り、両手をレスファートに差し伸べた。

「レス」

 硬い表情でその手に掴まり、馬から降りると、それ以上誰の接触も拒むように、レスファートはすっとアシャの側から離れた。

「…」

 イルファは溜め息まじりに首を振り、のしのしと近くの宿屋に入り込んでいった。しばらくして出て来て、レスファートを気遣いながらも快活に笑う。

「あいてるそうだ。ベッド2つ、1部屋。レスはお前か俺か、どちらかと一緒に眠ればいいだろ?」

「そうだな」

 アシャは重く頷く。

 近頃ではレスファートを1人で眠らせるのが危なっかしくなっている。眠っている時でも、ふいにふらふらとユーノの心象を追って立ち上がり、どこへとも知れずに姿を消していきそうになる。

 レスファートの心の隅に確かにユーノの気配はひっかかり続けており、思いが募ったあまりの妄想ではないようだったが、動乱のこの時期にあっては、レスファートのような愛らしい子どもであるなら、よからぬことを企む輩もいるだろう。

(くそ)

 レスファートを導きながら、アシャもぶるりと頭を振った。

 奇妙な感覚は実はアシャの方にもあって、一瞬気が緩んだ時に、自分が人ごみの中にユーノの姿を探してぼんやりしているのに気づき、ぎょっとすることがある。

 いつの間にか、これほど強く、心の中の見えないところまで深く、ユーノの存在が根を張っている。いつの間にか、自分の生きる基盤の中に、ユーノが刻みつけられている。

 気力が削がれる。体力が落ちている。感覚が鈍っている。

(この俺が)

 ユーノがいない、ただそれだけで、これほど生きていくのが苦しい、まだ体さえ繋いでいないのに。生きている意味がない、そう呟く心を必死に見まいとしている自分を、レスファートが否応なしに突きつけてくる。

(一体何なんだ)

 こんな気持ちは味わったことがない。

(ユーノと出会ってからは、こんなことばかりだ)

 今まで全く知らなかった自分ばかりに出会う。

「夕飯がもう食えるそうだ」

「それは、ありがたいな」

 イルファの声に我に返った。

「レス、おいで」

「…ぼく」

 馬を馬屋に入れ、楽しそうに宿屋に入ろうとするイルファに続こうとして、レスファートを促すと、相手は柔らかく頭を振った。表情をなくした顔に疲労を色濃く滲ませてアシャを見上げる。瞳はまるでガラス玉だ。アシャを全く見ていない。どれほど止めろと言い聞かせても、心の中で微かに感じ取れるユーノの心象を追い続けている。止めさせるためには、眠らせるか、ユーノを見つけるしかない、だが。

(眠れない、見つけられない)

 ぐ、とアシャは歯を食いしばった。

(俺だって)

 どちらも果たせないのは同じだ、この幼い無力な少年と。

(ラズーンのアシャだって)

 ユーノを得られない無力さにおいては。

「ぼく……いらない…」

「レス」

 アシャは声を荒げた。

「食べずに旅は続けられない。ユーノを探すのだって、体力がいるんだ」

 自分に言い聞かせているようなだものだ、と苦く思う。

「うん…」

 レスファートは物憂い様子で頷く。渋々と言った様子でやってくる。

 イルファは既に準備された食卓について2人を待っていた。ちょうど皆、食事時間なのだろう、食堂には泊まり合わせた者同士、賑やかに相席している。

「さあ、レス。今日はこれだけ」

 どん、と肉、野菜、穀物を炒めたものなどを盛り合わせた皿を、レスファートの前に置いたアシャに、少年は露骨に嫌な顔になった。

「お水…」

「水ならいくらでもやる。だから、これを平らげろ」

「うん…」

 こくりと人形のように頷いて、レスファートは皿に盛られた食べ物を黙々と口に運んでいく。おそらく味などわかっていないのだろう。

「俺達も食おう」

「ああ」

 アシャの促しに、気がかりそうな目をレスファートに向けていたイルファも、止めていた手を動かし始める。さすがのイルファも、レスファートのしょんぼりしている様子が堪えるらしく、いつもの健啖ぶりは見られない。食事に関して比較的変化がないのはアシャで、眠れなくとも緊張し続けていても、必要な栄養は確保し続けている。

視察官オペの習性というところか)

 醒めた笑みが思わず浮かんだ。

 旅を生活とする視察官オペには、自制力と統御能力が必須条件だ。自分を極限まで客観化できるほど優れた視察官オペと評価され、なかでもアシャは指折りの視察官オペと呼ばれている。

(だが、その俺にしても)

 今はその客観視できる能力の高さが恨めしい。

 いつもの自分からどれほど外れていっているのか、克明に認識してしまう。国を破滅させ、世界を揺るがせるような状況においても安定しているはずの自分の心身が、たった1人の少女、ユーノ・セレディスの不在という、ただそれだけのことで、信じられないほど調整能力も統御能力も失っていきつつあるのが自覚できる。

 このままではきっと、遅かれ早かれ、アシャも自分を制御できなくなる。

(……ああ、そうだ)

 ユーノを失った痛手にこれほど平静でいようとする、それが十分におかしいのだ、と唐突に気づいた。その必死の努力、それはもう、アシャの非常にまずい部分が発動し始めてる、ということではないのか。

(『太皇スーグ』…)

 胸の中で呟いた名前に、噛み締めた食べ物の味を意識した。側にいるレスファートとイルファの存在を認識した。自分の中に広がりつつある虚無を、もう一度きちんとしたエネルギーの形に編成し直すように、集中する。

(崩壊するな。破滅するな。今ここで自らを放棄するな)

 まだ全てが終わったわけじゃない。

「……だろう?」

 ふいに、近くのテーブルでの会話がアシャの耳に入ってきた。


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