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重い沈黙が野戦部隊を包んでいた。
完全に囲まれ、じわじわと追い詰められ、ユーノ達は炎を背後に、身につけている長剣、短剣のみで、深い闇の中に濃厚に漂う『運命』の気配と対峙している。
どこか一カ所でその沈黙が破られれば、雪崩のように『運命』が押し寄せてくるだろう。平原竜から切り離された状態で囲まれているのが、とにかく厳しい。
ついさっきまでユーノとコクラノの勝負を見守っていた湧き上がるような熱気も、冷え込む殺気に吸い込まれている。コクラノもまた、やや青ざめた顔を闇に向けている。
それを見たユーノの唇に、ふと時ならぬ笑みが浮かんだ。
(怖いのか)
コクラノへとも、自分へともわからぬ呟きを胸の中で漏らす。
(いや…怖くない)
まるで、それを自らへの問いととったように、心の奥底が応えた。
(ラズーンは目の前だ。ここで死ぬわけにはいかないんだ)
ふっとコクラノがこちらを見つめ、ユーノの薄笑みにむっとしたように眉をしかめた。その横で、シートスがわずかに目を細める。彼の視線がある箇所に注がれているのに、ユーノはゆっくり目だけ動かした。
見覚えのある黄色のマントが薄明かりを浴びてぼんやりと浮かび上がっている。
(モスの遠征隊?)
「!」
ユーノはシートスの視線の意味を悟ってはっとした。
確かに『運命』本体より『運命』支配下の方が突破しやすいだろう。
そして、そのモスの遠征隊の向こうに、平原竜のたまり場がある。
ほとんどが騎馬の『運命』相手に歩兵のままではあまりにも不利だ。モスの遠征隊の部分を切り抜ければ、平原竜に辿り着ける。
(崩すとしたら、あそこしかない)
じわりとコクラノの前方が押した。それに吊られて、波頭が続く滑らかさで『運命』の前線が押し出し、呼応するように半歩退いたユカルが、片手を炎に炙られたのか、びくりと体を強張らせる。同じように後ろへ下がった自分の脚が、焚き火の木を折り、すぐに炎と化す気配にユーノも動きを止めた。
後はない。
風が唸って、はるか高空を翔け猛っていく。
「う…おおお!!」
嬲り殺される恐怖に耐えかねたコクラノが雄叫びを上げ、前方へ突進した。
ちいっ、とシートスが高い舌打ちを漏らす。先に動いた方が不利になるのを知り尽くしている、だが、いくら不出来とはいえ、部下を見捨てるようでは野戦部隊の長は勤まらない。決意を濃い眉に浮かべて剣を抜き放ち、コクラノの後へ続く。
「ユカル!」
「おう!」
同時にユーノも行動を開始していた。コクラノのために散りかけた戦線を一つにまとめるように、モスの兵の中へまっしぐらに切り込む。ユカルが額帯にかけて遅れまいとするように、後を追ってくる。
「はっ!」「うっ!」「わあっ!」「ぎゃっ!」
たちまち魂消るような悲鳴と、生死を一瞬にして分つ気迫を込めた気合いが満ち、見る見る敵味方入り乱れての乱戦となった。コクラノの重い剣が唸ってモス兵の腕を叩き潰す。『運命』の黒剣が、例の、気配を持たぬ不気味さで忍び寄り、犠牲者の首を刎ねる。シートスがあわやの切っ先を避けつつ、近くの『運命』の胴を薙ぎ払う。
絶叫、怒号、剣が噛み合い絡み合う、鼓膜を震わせる金属音、何とか獲物に辿り着けたものがいたのだろう、得意の槍が唸る音、折れて飛び散る剣の鈍い響き、あいとあらゆる戦いの物音が空間を埋め尽くす。
「ぐわあっ!!」
声を限りに叫んで倒れるモス兵士の血が柄にかかってぬめり、ぎゅっと握り直しながら、ユーノは感触に体を震わせた。生暖かく粘りつく鮮血、返り血を浴びながら、モスの遠征隊の中を走り抜けていく自分の姿を想う。自嘲気味に唇が歪むのを感じた。
(きっと)
右から打ちかかって来た相手を柄で殴りながら、返す刃先で前の敵を屠り、同時に斜め左のモス兵士の腹に振り上げた片足を叩き込む。
(こんな娘を愛する人はいない)
口元を引き締め、流れ落ちる汗を振り払い、ユカルの姿を探す。いた。右前方、2人のモス兵士に手こずっている。ユカルが無防備に向けた背中に、新たに別の兵士が斬り掛かろうとするのに地を蹴り、走り抜け様に3人倒し、間一髪、ユカルの背へと滑り込み、振り下ろされた剣を受け止める。
ガキャッ!
「ユーノ!」
「だらしないぞ、ユカル!」
「何言ってんだ!」
ユカルはく、っと唇を結んだ。ようやく1人の兵士を倒す。
「お前のような剣の天才とは違うんだ! こっちはただの物見なんだぞ!」
「じゃあ、どうして天幕の中で震えていなかった?」
にやりと笑いながら、ユーノは剣を押し返し、瞬間にできた相手の隙に乗じて、鳩尾、脛へとそれぞれ痛烈な一撃を見舞って崩れさせた。
「今そうしようと思ってたのさ!」
ユカルが叫び返し、剣を握り直すと同時に刃先を滑らせた。ギャギャギャギャッと嫌な音が響いて、思わず眉をしかめながらも相手の剣を跳ね上げ、刺し貫いて倒す。
「走るぞ!」
「わかってる!」
それぞれに敵を倒して、一瞬周囲にできた間隙を縫って、ユーノとユカルは平原竜の集めてあるたまり場へ走った。平原竜達が走りたがっているのは一目瞭然、放つだけで近年にない大暴走となるだろう。
意図を察した『運命』とモス兵士が追いすがってくる。息の続く限り走ろうと速度を上げる2人に、他の野戦部隊が気づき、素早く援護に移り始める。




