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「アシャ」
「…」
「なるべく早く、ラズーンへ入っちまったほうがよかあねえか?」
火の側に陣取ったままのイルファがぼそりと呟く。
「レスはそう保たないぜ」
「…そうだな」
アシャはおざなりに答えを返しながら、炎の中を見つめる。
眩く光を発している木が幻想的な美しさだ。だが、火のつきはあまりよくなかった。大気が重苦しく湿ってきている。嵐の前触れかも知れない。
「お前がユーノを探しているのはわかってる」
イルファは率直に切り込んできた。
「俺だって、あれほどの剣士が殺られてるとは思いたくねえ。ユーノを失ったまま、ラズーンに入っても、どうしようもねえ、その理屈もわかる」
ことさらぶっきらぼうに続けた。
「だが、俺達までここで一緒に野垂れ死に、というのもいただけねえ」
「わかっている」
汗と埃で湿った前髪をゆっくりと手櫛でかきあげた。
「こんなことをしていることが、いい結果を生み出すはずがないってことも」
スォーガの端で、アシャ達はもう4日以上、無駄に足踏みして野営を繰り返している。
「それでなくとも、このあたりは『運命』が跳梁する暗黒地帯だ」
宙道の入り口近くに留まっていれば、ひょっとして戻ってきたユーノ、もしくは彷徨っているユーノを見つけることができるのではないか、アシャはまだ、その儚い望みを抱えていた。
「わかっている」
無意識に空を見上げた。サマルカンドの白く雄大な姿を探す。だが、その願いを挫くように、上空には捩じくれた鉛色の雲がのたうつばかりだ。
(わかっている)
ユーノはもうここにはいない。
アシャの知らないどこかに消えてしまったのだ。
(いい加減に、自分の失敗を認めろ)
そもそも、セレドに自分が入り込んだことが間違っていたのかもしれない。もっとまともな視察官が辿り着いていれば、ギヌアに執着されることも『運命』にここまで注目されることもなく、ラズーンまで進めたかもしれない。
(俺が、居なければ、よかったのか)
こんな気持ちになったことなど、なかった。
目を伏せる。一瞬歯を食いしばり、それでも曇天に向かって告げる。
「明日からは、再びラズーンに向かう」
その夜半。
「ユーノ…」
小さな呟きにアシャは目を覚ました。
ユーノを見捨ててラズーンへ向かう、その煩悶が知らずに自分の口から零れ落ちたのかと思ってどきりとする。だが、
「ユーノぉ…」
ひっく、と小さくしゃくり上げる声に気づいた。
「やだよ…行かないでよ……ぼくをおいてかないで…よ…」
「レス?」
「ユーノ……ユーノぉ…」
覗き込んで、寝言だと知った。だが、閉じた瞼から次々と涙が溢れ出し、少年の頬を濡らしている。えっ…えっ…と押し殺した鳴き声が響き、眉を潜めた。
夢に泣き続けているレスファートの体を優しく引き寄せてやる。と、少年はそのアシャの手を手繰り、懐に潜り込んでくるようにすり寄ってきた。アシャの胸にしがみつき、しばらく泣き続ける。
「レス…」
よしよし、と背中を撫でてやっていると、やがて力が抜け、
「おいて…かないで…」
小さな囁きに続いて微かな寝息が聴こえた。
「……おいてかないで、か…」
涙で汚れた頬を拭ってやり、自分も身を横たえながら、アシャは唇を噛む。小さな子ども特有の体温の高さが、夜気に冷えたアシャの体を温めていく。
(こんなぬくもりに背中を向けて)
天幕を通し、遥かな空へ、ユーノが駆ける、その上に広がる空を思って見上げる。
(お前はどこへ行こうというんだ、ユーノ)
外はますます嵐の様相を呈し、風が荒々しい唸りを上げている。
その中で、ユーノを含む野戦部隊が、今まさに新たな戦いに突入していこうとしているとは、思いもつかないアシャだった。