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「ユカル」
「うん?」
呼ばれてユカルは目を上げた。
額に濃い緑の額帯をつけたユーノが、こちらを見つめていた。
「これでいいのかな」
「ああ。とても似合ってるよ。おれは…」
ふうっとユカルは溜め息をついた。落ち込むまいと思っても、さすがに同い年で額帯を受けた者がいるのといないのとでは、かなり気分が違う。ユーノが誇らしいのに、何となく妬ましい、妙な気持ちを味わいながら、ユカルはことばを継いだ。
「まだ、だめらしいや」
「ふうん」
ユーノは同情するような目になったが、ふいにいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「さっき、シートスが来てね」
「ふん…」
興味なさそうに頷くユカルをじっと見つめる。
「これを渡しておいてくれないかって」
「ふん?」
少し興味をひかれて、ユーノが差し出した掌を見たユカルは目を丸くする。
「え?」
信じられない、とユーノを見返した。相手はにっこりと、どこか少女じみた可憐な笑みを返してくる。
「おれに?」
「うん」
「これを?」
「うん」
おそるおそる手を伸ばし、ユーノの差し出したものを受け取る。
それは濃い緑も眩く見えるほど細かい、手の込んだ造りの額帯だった。
「今日の褒美だってさ」
「ユーノ……っ、この…っ!」
だまされた。思わず叫んで、怒った振りでユーノに飛びかかる。
「あははは…」
明るい笑い声が、飛びすさって逃げたユーノの唇から漏れた。ユカルの手を軽々擦り抜けて、何か続けようとする。
だが、その声はふいに天幕の外から響いた大音声にかき消された。
「セレドのユーノ! ユーノはどこにいる!!」
その声に混じって、叫んだ人間を落ち着かせようとする数人の宥め声が聴こえたが、声の主は納得しなかったらしい。ますます苛立たしげな声を張り上げて、
「コクラノ様が探しているんだぞ! わずか7日で額帯を手に入れた感想と手管を知りたくてな!!」
酔ってるんだ、とか、まあ落ち着けよ、とかいったことばが、やや荒々しく紡がれた。だが、コクラノに対しては逆効果だった。
「俺は信じぬ! あんな子どもが実力で額帯を手に入れたとはお笑い種だわ! え、ユーノ! シートスに一夜の伽でもしたのか!!」
「あいつ!」
あまりの傍若無人さに耐えかねて、ユーノより先に、ユカルが天幕の入り口を払い、飛び出した。
「お!」
「コクラノ!」
炎の紅を背景に、丸っこい体をそびえさせているコクラノに噛み付かんばかりに叫ぶ。
「ことばを取り消せ! 我らがシートスを侮辱する気か!」
「何が、我らがシートス、だ!」
ひっく、とコクラノはしゃくりあげ、べったり汚れた口元を手の甲で拭った。ぎらつく目は血走っている。片手に持った酒の袋を地面に叩き付け、踏みにじった。
「あんな小僧に額帯をくれてやるとはな!」
「それなら、おれもしているぞ!」
負けじとユカルも怒鳴り返した。コクラノはちらりとユカルの額帯を見たが、鈍い動作で肩を竦めて見せ、のろのろと続けた。
「ユカル、お前は仲間だ、言わば、身内だ。だが、あのユーノはよそ者! どうして俺より先にあいつに額帯が渡されねばならん!」
「額帯は魂に贈られるものだ! お前のような奴に、野戦部隊の額帯が許されるものか!」
「お前はいい! ユーノをだせ! ユーノを!!」
わめくコクラノの顔は真っ赤になっている。ユーノが出た瞬間に、持てる技の全てを叩き込んできそうな勢いだ。
(仕方ない、こうなったら)
ユカルは顔をしかめ、正面切ってやりあう覚悟を決めた、その瞬間。
「待てよ、ユカル」
静かな声が背後から響いた。
コクラノの罵声は十分聞こえていた。ユカルが苛立ち、今にも爆発しそうになっている声も。
(まずい)
唇を引き締めて、ユーノは天幕から出る。
「おう! 待っていたぞ、ユーノ! どうだ、俺の伽もしないか?!」
「ボクはそんなことはしない」
冷ややかに言い放つ。自分を貶められるのは仕方ないが、嫉妬のあまり、自らの長まで踏みにじろうとする罵倒は、ユカルだけではなく、せっかく彼女を保護してくれている野戦部隊の皆にも迷惑をかける。
押さえ損ねた感情が瞳から零れたのだろう、コクラノがますます顔を赤くした。
「ほう! それでは、その実力とやらを見せてもらおうか!」
コクラノは、喉の奥で不気味な笑い方をした。側に居た男が、慌ててコクラノに耳打ちする。コクラノの名誉を慮ってのことだったが、その気持ちは通じなかったようだ。
「わかっているわかっている!」
さも五月蝿そうに手を払った。
「確かに、ラシュモもカースも負けている、だが、俺はまだ負けていない!」
するりとコクラノは剣を引き抜いた。重そうな、昼間の血が未だこびりついているところをみると、碌な手入れもしていないのだろう。その剣は相手を斬り殺すというより、叩き潰し、殴り殺すためにつくられたようにも見えた。
「よせよ、コクラノ!」
ユカルが相手にされなかったのに、嘲笑するように言い返す。
「勝てるわけないぜ、あのジャントス・アレグノと互角に戦った腕だぞ」
「俺だって助っ人一人頼めば、ジャントスなんぞ相手にもせんわ」
ユカルへの当てこすりを含んでいるのが明らかな口調、ぐ、とユカルが歯を食いしばる。
(どうする)
ユーノは思い迷った。
おそらく、この男一人、ユーノの手に余るほどの勇士ではあるまい。それに、相手は今酔っぱらっている。
真っ当な勝負ではないという気持ちと、今は絡まれているが、それでもいざとなれば背中を預けなければならない仲間を傷つけたくないという気持ちの間で、心が頼りなく揺れる。
ふと目を転じると、コクラノの少し後ろに、シートスの、ある意味では冷ややかな黄色の目があった。
してみると、さっきからの状況は見守られていた、ということらしい。
(シートスは止めに入らない。やれ、ということか?)
ユーノはシートスの目を覗き込んだ。そこには特に誰をも避難する色はない。
(こういうことはたびたびある、そう言いたげだな)
戦う集団で実力を問われるのは公私ともに当然のこと、降りかかる災厄を自ら払ってみせてこそ、ということか。
ユーノは喚き続ける相手に向かい、ことさらゆっくりと剣を引き抜いた。剣が抜き身になるにつれ、周囲が静まり返る。
「やっとやる気になったか」
にやりとコクラノは笑って剣を構えた。緊迫した空気が満ちる。時折、炎の中で燃えた木々が崩れる音だけが妙にはっきりと響く。
ごくりと唾を呑み、不安そうに空を見上げたユカルが、どす黒い灰色の空に眉をしかめる。かなりひどい天気になるかもしれないと思ったのだろう、なお眉を寄せた次の一瞬、全身を弾けさせるようなような勢いで周囲を見回す。
「ユカル・クァント!」
叫びがユカルの口を衝いた。振り向くユーノの前で、悔しげに顔を歪めたユカルが、
「オーダ・シーガル!」
天空を穿つような警告、ぎょっとした男達が周囲に目を配るまでもなく、気づけば野戦部隊はすっかり『運命』支配下の者に包囲されていた。