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野戦部隊はじわじわと歩を進め、今やスォーガの中央付近まで戻ってきていた。
ユーノの乗ったヒストは、いつものように、シートスの平原竜と鼻先を並べている。
「ユーノ」
セレドやレクスファなどの南寄りの国々とは違う、冷たくどこか荒々しい風を吸い込みながら、目を細めて前方を見据えていたユーノは、シートスの声に振り向く。呼びかけの意味を問う視線、少し頷いたシートスが、紅の房飾りの剣を上げ、遥かな青白い山並みを示しながらぽつりと告げる。
「あれが統合府ラズーンだ」
「!」
はっと、体の全ての筋肉を緊張させる勢いで、ユーノが山脈を見やった。蒼く霞む麓、尾根の目の眩む白さ、まばらに零れ落ちた水滴のような深緑の森。
「あんなところに…ラズーンが?」
「ラズーンは国の名だ。セレドやスォーガとかわらない」
シートスがユーノの口調の不審感に気づいたのだろう、苦笑まじりに応じた。
「だが、そこに、この世界を統べる『太皇』がおられるのだ」
「『太皇』…」
考え込んだ、どこか強いものを秘めた瞳が、瞬きもせずにラズーンの方向を見つめる。
なぜかその動きから目が離せず、2人のやりとりをひたすら眺めていたユカルは、次の瞬間、ふっと心の中に割り込んで来たどす黒い雲に、自らの役目を思い出した。舌打ちしたい苛立たしさで叫びを上げる。
「オーダ・シーガル! ユカル・クァント!」
「クァント! クァント・シーガル!」
ユカルの側に居た男が、はっとしたようにことばを継ぐ。
「何?」
ユーノがシートスに尋ねている声がした。
「クァント、つまり注意せよ、ということだ。物見が注意を促したということは、とりもなおさず、『運命』或いは『運命』支配下の接近を知らせる」
「『運命』支配下って……そんなにあちこちにいるの?」
「残念ながらな。はいっ! ホゥッ!」
掛け声をかけて平原竜を急がせ始めるシートスに、ユーノのヒストがぴったりとくっついていく。
「モス、グルセト、ベシャム・テ・ラ、クェトロムト、レトリア・ル・レ、ガデロ、プームなどは、完全に『運命』支配下にある。カザドももちろん見逃せないが、ラズーンの周囲が次々『運命』に投降している今、そこまでの遠征はさすがに無理だ」
「そんなに…」
ユーノは乾いた声で呟き、ことばを失ってしまったようだった。
「運命』は人の心の脆さにつけ込んでくる」
シートスが苦い口調で応じる。
「そして、人は、己の心に対しては無防備なことが多いのだ」
2人の会話を聞きながら、ユカルの知覚は、全く別の方向へと向けられていた。言うまでもなく、心に湧き出してくる不吉な予感だ。それは禍々しい悪意を露骨に放射している。
「ユカル!」
「はいっ」
「敵はどこにいる?」
「前方、やや右の集落と思われます、かなり強烈な気配!」
きびきびと答えながら、ユカルは、軽々とヒストを操り、シートスに付き従うユカルを目の覚めるような思いで見た。意気込み過ぎることもない、緊張していないわけではない。ただ、戦うのに必要になる力を着々と蓄えるように静かにヒストを操り続けている。
それは百戦錬磨の勇士の胆力と同じ、凄まじい自制心によって支えられている心の制御力、ユカルも伊達や酔狂で野戦部隊の一員であるわけではない、戦いに臨んでの平静さがどれほど重要なことか、そして、それを保つことがどれほど困難なことであるかをよく知っている。
その平静さを保ち続けるためには、自分の状態に対する酷薄なほどの客観視と、続く緊張に疲れを知らぬ情熱が要る。氷のような精神力と攻撃を十分に燃やし尽くす熱情、相反する二つの要素を等分に備えた者こそ、真の勇士として賞讃を受けるに価するのだ。
だが、それを、完全ではないにせよ、この自分と同い年の少年が備えているのが透けて見える。
(負けたくない)
きゅっとユカルは唇を引き締めた。
(おれだって)
ユーノ、シートスに遅れまいと、平原竜を操りながら、剣を背中から抜き放つ。
「ユカル、クァント!」
「シートス・クァント! オーダ・シーガル! オーダ・レイ!」
間髪入れずシートスが応じ、呼びかけた。