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「っ」
ジノの指が突然六音を弾いた。
びくりと体を強張らせる聴き手を半眼にした目で一瞥して、ジノの指先は一瞬七音を混ぜる。が、再び七音は、遠い夜語りの幻想のように消えていく。それに伴って、時を刻んでいた六音も次第次第に響きを潜めていく。
再びの時を願う愚かさを嘲笑うかのように、人の命では量れない悠久の時間の長さが音の消失で語られる。
一呼吸置くか置かないか。
第一弦、第二弦、第四弦、第五弦の音が柔らかく交差した。
ジノは目を閉じ、体を少し前に倒す。さらさらと、深草色の布から垂れた黒髪が軽い音をたてて流れる。
(この音律は)
気づいてユーノは目を上げた。それを待っていたかのように、ジノはぴんと声を張って詩い出した。
「…ラズーンは
失われた都
枯れた泉
死して飛ばぬ人の夢
すべての栄えがさもあるように
永遠に続く栄えはない
いつしか
美しきこの都も
朽ち果て
大地の上に横たわらん
しかし、世は続く
人の命は続く…」
それは『創世の詩』の後半部、どこか祈りに似た切なさを感じさせる詩の繰り返しだ。ただし、ジノの声は、昔語りの長の声音にも似て、あくまで淡々と響き、どれほど待っても、この前のように熱を込めて燃え上がりはしなかった。
その代わり、声は次第に澄み渡り、高く立ちのぼり、細く儚い命の糸を紡ぐように、ひたすらな一途さをたたえ始める。
「死が人の運命なら
生も又人の運命
ラズーンは滅び
失われた都となる
『運命』は跳梁し
闇は人々の心に巣食い
動乱は世を暗くする…」
(歌詞が違う?)
ユーノは目を見開いた。
その詩は、この前の『創世の詩』との違いをあからさまにするように、訪れる重い闇を語っている。続いたことばにユーノは思わず体を震わせる。
「滅びは定め
世の始め
星の降り立ちし夜より
ラズーンの祭は
その身に課せられてあり…」
「!」
(滅ぶのが定めだと……では……やはり…)
ジノの詩は感情を含まないまま、静かに紡がれる。
「しかし
再び創世の時は来たり
その時
世は人の命を紡ぎ
人は命の綾を織りなし
手をつなぎ
心を結び
慈しみあい
愛しあい
命の綾は世を生まれ続けさせるのだ…………」
ジノの声は、無感情な底に、深い哀しみと祈りをたたえていた。
消え入るように立風琴の音が薄れていく。
人よ、と聞こえない声が願っている。
人よ。
戦いを望み互いを滅ぼしあう人よ。
幾度となく命を途絶えさせる数々の欲望を抱えた人よ。
しかしまた、その底に、たった一つの命を守ろうとする願いを保つ人よ。
動乱の波に呑み込まれるな。
憎しみの炎に焼き尽くされるな。
断崖絶壁に追い詰められ、千尋の闇に背中を向けて立っても、愛おしいと笑うがいい。
襲い来る絶望、破滅の未来、それでもなお、明日を夢見るがいい。
その魂の煌めきにこそ、永遠の花冠は与えられる。
どれだけの滅びがあろうとも、命は続く。
それを私は知っている。
「……」
「リディ?」
「ごめんなさい…」
リディノの頬を光るものが滑り落ちていくのに気づいて、ユーノは声をかけた。はっとしたようにジノが体を起こす。
「姫さま?!」
「わからないの……わからないけど、胸が痛くなってきてしまって……何という祈りなのかしら……何という想いを……この詩に託したのかしら……」
ぽろぽろ零れる涙を指先で拭いながら、リディノが呟く。立ち上がったジノが、リディノの足下に跪いて、心配そうに彼女を見上げる。
「ユーノ…」
滲んだ声で呼ばれて振り返る。
「どうした、レス?」
「わかんないけど…」
レスファートもまた、潤んだ目でユーノを振り仰いだ。
「ぼくも泣きたい……けど……こわくて泣けないよ…」
不安が瞳の薄青を覆っている。そっと伸ばした手でユーノの服を掴んでいる。
その手を優しく外してやると、レスファートはびくりと体を震わせ、ユーノを見つめた。
「ユーノ?」
「怪我してる方の手だろ。痛くないの、レス」
「あ…うん」
「ほら。しがみつくのはこっち」
「ユーノ!」
ほとんど吐息だけの声で叫んで、レスファートはユーノに体を投げた。その小さな体を左手を回して包んでやりながら、静かに問いかける。
「大丈夫だよ。何が怖いの、レス」
「何か……わかんないけど、こわい……こわくてかなしい……」
レスファートはユーノの胸に顔を押し付けながら呟いた。
おそらく、レスファートは、持って生まれた恵まれた資質で、詩に込められた想いをそのまま受け止めたのだ。
(もし、私の考えている通りだとしたら)
ユーノはリディノを慰めているジノを見つめた。
(賢者は何と儚い祈りにかけたのだろう……一体どんな想いで、遥か未来の子ども達を思ったのだろう)
ユーノの心にも、淡い憂いが広がってきつつあった。




