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しばらくして、相も変わらず深草色の衣服をつけているジノが入ってきた。側にリディノとレスファートが従っている。
「聞きたい詩があるんですって?」
リディノが笑いかけてきた。
「私達も聞いていていいかしら」
「構わないよ。アシャは?」
「それが…」
リディノは眉のあたりを少し曇らせた。
「さっき、使いの者が来て、急に出て行ってしまったの。ひどく怖い顔をして。『泉の狩人』がどうとか言っていたけど」
「『泉の狩人』?」
「もうあの人とのお話、終わったの?」
レスファートが甘えた口調で口を挟む。
「ああ。こっちに乗っていいよ」
「うん」
(ハイラカに悪いことをしたな)
嬉々としてベッドに這い上がって来るレスファートに手を貸しながら、後で謝ろうと思う。
「じゃあ、私も」
リディノが深緑の長衣の裾を整えてベッドの裾の方に腰掛け、ユーノを見つめる。
「それで、何をジノに詩わせたいの?」
「『創世の詩』を。この前聴いた後に、正式にはこの後にもう一くさりあると言ってたと思うんだけど」
「ジノ?」
「はい、その通りでございます」
ジノは例によって扉近くに腰を降ろし、立風琴の弦を合わせながら答えた。アシャがリディノに預けていったものだ。
「この前詩いました『創世の詩』は、どなたでも詩われるものですが、その後のものは代々の詩人にしか伝わっておりません。また、これは、ご所望があっても、その場に『銀の王族』がいらした場合には詩うことは叶いません」
ジノは目を伏せて淡々と拒んだ。
「『銀の王族』には聴かせてはいけないの?」
リディノの驚いたような声に頷き、
「そのように、『太皇』からのお言い付けにございます」
ジノは軽く頭を下げた。
「どうするの、ユーノ」
「それでも、私は聴きたい」
ユーノは唇を噛んだ。是非聴きたい、いや聴かねばならない、そう想いが募る。
「もし、『銀の王族』であることが問題なら、『銀の王族』としての特権も資格もなくしても構わないから」
通常の『銀の王族』ならば、そんな望みはすまい。自分が今まで知らずに受けていた安寧と平穏、それを引き換えにただの詩を聴きたいなどとは。
「……昔、『太皇』がおっしゃられたそうです」
ジノは微かな笑みを唇に浮かべた。少年のような面立ちが、一瞬柔らかく綻ぶ。
「幾世代前の詩人にかは存じませんが。もし、万が一、『銀の王族』であることの意味を知って、それでもなお、それを捨てても聴きたがるものがあるならば、その時にこそ詩うべし、と………私の代に巡ってくるとは思いませんでした」
何度か思わしげに立風琴の弦を弾く、本当に口に出すべきなのか、本当にことばという形に紡いでいいのかとためらうように。そうすることで、巨大な力を解き放ってしまわないかと恐れるように。
がしかし、逡巡は一瞬だった。
ふと目を上げ、ユーノを見つめ返す。そのまま、第一弦、第二弦、第四弦、第五弦と鳴らして、第一弦の押さえ方を変えて六音を、第二弦の押さえ方を変えて、より高い七音を鳴らした。曲を奏でながら、六音と七音を、遊ぶように曲にちりばめていく。その二音は絡まり合い、連なり合って、やがて一つの音として時を刻み始める。
「…こは、創世の詩
もう一つの白き面
人の語らぬ創世の詩……」
長い物語を語ろうとするように、柔らかく穏やかにジノは詩い出した。
「…彼の夜
星の降り立つ夜
その夜過ぎこし
はるか昔
東西の神々の戦いに
世をつながんと空しき望み
生命重ねる宮の者
しかしてあわれ
知るよしもなし
生命重ねるその果てに
まつ絶望のおそろしさ…」
詩は急調子で畳み掛けられた。
「宮にこもりし者ども哀れ
憐れと思えど術はなし
ついに狂いて
身を滅ぼしぬ
深き闇よ
嘆きの夜よ…」
コン、と指で立風琴を叩き、固い音をたてて、ジノは詩を止めた。口を噤む、闇の深さを示すように。声をたてることさえ叶わない嘆きの重さを知らしめるように。
やがて、恐ろしいほどの沈黙の後に、そっと優しく七音を紡ぎ出し囁き出す。
「…あわれかな
あわれかな
滅びはすでに
予見されたと
古き伝えは語りつぐ
滅びを見こして
生命は紡がれ
重ねられたとは
詩人のことば…」
ユーノはぎくりと体を強張らせた。
(滅びを見越して……命は紡がれ……重ねられた…)
そのことばは、ユーノの心に漂うもやもやしたものを燻すように微かな火を点けた。
「…人の命は儚し
しかして
人の造る命はなお儚し
古き伝えの祈りのことば
天に生まれ
地に育ち
緑はぐくむ命の糧は
人の手にてははぐくみがたし
そはいつか
二度と命をつなげまい
おそれが賢者を導く
沈黙の岩戸へ
深き湖の底へ
かくして
賢者、口をおおいぬ
定められた日来たるまで
すべての罪は我にあり
大いなる自然に叫びつつ…」
七音に六音が混ざり込み、やがて、その他の音も入り交じって、嵐のような激しさでかき鳴らされた。口を覆ったという賢者の傷みを掻き立てるように、七音がますます高く、いよいよ強く鳴り響く。
が、それらは唐突に消えた。激情の嘆きで終わったのかと思いきや、ジノがそっと口を開く。
「かくして
ラズーン
二百年の祭りの定めを背負いたり
その定めのある限り
賢者の悲しみ
消えることなき、夜の果て
伝えは語りぬ
はるかな未来……」
ジノの声だけが、立風琴の音の消えた空間に淡々と響いて再び消えた。
窓からそよそよと吹き込んで来ていた甘い香りの風も、その緊張感を壊すのを恐れたように止まっている。
「……」
空気が凍てついたように動かなくなった。
ジノの唇はいつ終わるとも知らぬ沈黙を保っている。立風琴の残響も既に消えた。部屋の隅に音は身を潜め、沈黙の重さがいや増してくる。
「………」
緊張感が極に達すると思われた時。




