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花苑は今やラフレスの花盛り、青白い光を宿したような白い花びらが、日中の強い日差しを受けて崩れようとする寸前の身を、かろうじて保っている。甘い香りはピンクのライクだろう。ブーコの羽音は眠気を誘うように、波打つような低い唸りを続けていた。
「ふふふっ」
リディノは花苑の中央でしゃがみ込み、一輪のラフレスを折り取って髪につけ、アシャに笑いかけてきた。緑の飾り紐に乱れる金髪、真白いラフレスの花。人の心を魅了するに充分な光景だったが、同じその花を濡らしていた紅を、アシャは思い出すともなく思い出す。
この見事で美しく華やかな花苑で、ユーノは屠られ拉致され酷い目に合わされていた。ユーノがこの花々を見るとき、抉られた傷を思わずにはいられないだろう。ましてや、一度はその血を浴びた花を飾るとは思えない。
それでも花は美しかった。
(部屋で聴かせてやろう)
アシャは思う。
(違う花を飾ってやって)
苦しく辛い記憶ばかりを呼び起こさなくても済むように。
(俺の恋歌には、ラフレスじゃない、別の花を思い出すように)
『アシャ』
この詩、好きだ、そう笑う顔が見たい。
脳裏に目を細めるユーノを思い描き、思わず微笑む。
「どう、アシャ兄さま」
「よく似合うよ」
無邪気に笑うリディノにさらりと応え、ふと、その姿の向こうにユーノの部屋の窓が開かれているのを見つけた。
少年が一人、ベッド近くに椅子を引き寄せ、話し込んでいる。その温和な人の良さそうな横顔に見覚えがあった。
(ハイラカ)
様子から見ると、ユーノにとっては苦手な相手ではないらしい。笑うユーノの唇が、何を聞かされたのか、はにかんだように噤まれるのに、思わず目を見開いた。
(何だあれは)
ユーノが何だか頬を少し染めていないか?
「アシャ兄さま?」
呼びかけられてはっとした。
「……悪い。何て言った?」
「まだ、何にも」
くすりとリディノは笑みを零した。
「おかしなアシャ兄さま。どうなさったの?」
「いや、別に」
思わずユーノの窓に半身背中を向けた。調弦しながら、
「何を弾こう?」
「そうね……恋歌を何か一つ。この間ジノに弾いてもらおうと思ったけど、第三弦が切れていたから、だめだったの」
小首を傾げながらリディノはねだった。
「恋歌、な…」
アシャはちらりとユーノを振り向いた。ユーノは気づかず、ハイラカと話し続けている。溜め息をつき、アシャは首を振った。
「わかってるだろう? 一人の娘のために男が恋歌を詩うのは、ラズーンでは心を捧げる誓いになる。それがわからないぐらい、リディはまだ子どもなのかい?」
宥める口調に、リディノが一瞬寂しそうに眉をひそめた。俯き加減に、もう一本、ラフレスの花を折り取った。
「わかってるわ、もう子どもじゃないもの」
指の間でラフレスを弄びながら続ける。
「でも、アシャ兄さまは、これまで誰にも詩ってあげていないじゃないの。………アシャ兄さまは、女の人が嫌いなの?」
「っ……リディ」
じろりと相手を見やると、リディノは唇を尖らせている。
「だって…」
「俺にだって詩ってやりたい娘ぐらい、いるよ」
「だ……、そ、う」
何かを問いかけようとして、リディノは思い留まった。ほ、と小さく息をつき、気持ちを切り替えたようにアシャの側に寄る。
「じゃあ、何でもいいわ。アシャ兄さまはずっと旅をなさってたから、珍しい詩もご存知でしょう?」
「珍しい詩?」
「ラズーンでは聞いたことのないような節や詩の」
「……そう、だな」
再びユーノを盗み見たが、相手はやはりアシャには気づかないようだ。
(詩ってやりたい娘ならいる、だが、あいつは俺に気づきもしない)
自分一人が空回りしている気持ちになった。立風琴を抱え直し、弦を鳴らす。
「じゃあ、こういうのはどうだ?」
声を合わせ、調子を整える。
「昔
深き泉の底に
気高き姫は眠っていた」
どこで耳にした詩だっただろう。戯れ詩ではなかったはずだ、哀調を帯びた声が今でも耳に残っている。
「眠りは深く
泉も深く
姫は目を覚まさない」
考えれば、今のユーノに向かうアシャに、これほど合った詩もない、そう気づいて切なくなる。
「ラズーンの雪が泉に落ちる
白きラフレスも泉に散る
そうして待つ身も底に散る」
砕けて散って振り向いてくれるなら、それもまた一興とさえ思えてくる。
「想いの深さにおののいて
姫の心をとらえる者を
あれかこれかと問い惑う…」
アシャの声が甘く震えた。




