1
「………」
更けていく夜の中で、ユーノはベッドの中に埋まり込んだまま、じっと窓の外を見つめていた。
ミダス公の落ち着いた屋敷の一室、清潔なベッド、穏やかで柔らかな雰囲気の中に横たわっているというのに、心は昼間新たに得た知識のために、なかなか眠りにつこうとしなかった。
(疲れてるはずなんだけどな)
苦笑して、枕元の剣が、白々とした月光に照らされているのを見やる。その酷薄な光と共通する感覚、それがラズーンについての知識の印象だった。
(ラズーンはこの世の統合府、生命の統合府だ。その成り立ちはわかった。ラズーンの二百年祭が何を意味していて、それが太古生物の出現とどう関わっているのか、なぜ『銀の王族』が必要なのかもわかった)
そうだ、わかったことはたくさんある。解けた謎も一杯ある。
(視察官が何なのか、『銀の王族』が何なのかもわかった)
だが、中途半端に知識を得たせいで、逆にわからなくなったこと、新たな疑問となったこともたくさんあった。
(でも、なぜ生命を生み出せるほどの『氷の双宮』なら、どうして太古生物が現れ出した時点で、再生を止められなかったんだろう? どうして『銀の王族』を集めてくるまで、太古生物の復活を放っておくんだろう? 止めていけないわけはないだろう? 地に人は満ち、人は人を生み出せるんだから?)
窓の外の闇から、ジェブの葉鳴りが響いて来る。
「ん……ユーノ……」
すぐ側に潜り込んで寝息を立てていたレスファートが、小さく寝言を呟きながらもぞもぞと動いた。ユーノがそこに居るのを確かめるように、手を伸ばして探り、夜着を掴んでぴったりと体をくっつけてくる。手足を縮めて丸くなりながら、小動物の赤ん坊が母の匂いを嗅ぐように、鼻をひくつかせてユーノの体に頬をすり寄せた。ふうっ、と大きな溜め息をつく。
「ユーノ……いる……」
微かな安堵の声、レスファートはそのまま再び寝息を立て始める。
「レス…」
心の中を占めていた謎を一時放り出して、ユーノは微笑んだ。くうくうと眠る少年の傷ついたこぶしをそっと握ってやる。
そのこぶしの傷ついたわけをイルファから聞き、心の底に滲んでくる想いを押さえられなかった。温かさ……絆の与える温かさが、これほど人を憩わせ、力付け、再び前へ進もう、怯むまいと思わせるとは知らなかった。守らなくてはならない、大事にしなくてはならない、ならない、ならないばかりで追い詰められ、透明な壁に押し出され張りつけられていたような気持ちが、もっと厚みのある、深みのある、したたかで強いものに変わっていきつつある。
大事にしたい。
笑顔を見たい。
もちろん、今までも家族や仲間に笑っていてほしいと思ったことはある。けれど自分は、と振り返ると、自分は笑えていなかったかもしれない。笑えていない自分に傷つく誰か、のことなど考えていなかったかもしれない。
自分が傷つくことで傷ついてしまう誰かがいる、そのことを、レスファートのこぶしで初めて深く考えたのかもしれない。
(だからアシャも…何度も怒った……怒ってくれたんだ、きっと)
レアナの妹、セレドの皇女、『銀の王族』、旅の仲間。
いろいろな理由をつけて、ユーノはアシャの手を拒んできたけれど、その中にある『ユーノを大事にしている』という部分を、ただの一度もちゃんと受け取らなかった気がする。
「ばか、だなあ…」
だから子ども扱いされてしまうのだ。自分勝手な理由や思い込みで、込められた気持ちをちゃんと考えもしなかったから。欲しいものじゃないからと、ただそれだけで全部弾いてしまっていたから。
(他の人もそうだったのかな)
今までたくさん、ユーノに与えてくれようとしていたのに、ユーノは全く気づかずに皆弾いてきてしまったのかもしれない。自分一人が重荷を背負ったつもりで、弾いた手の痛さを感じることさえできなかった。
手をレスファートの頭へ滑らせ、数回撫でて軽くキスをする。
(ありがとう、レス)
いつもいつも、本当に大事なことは何か、本当に守ることは何か、必ず教えてくれる小さな存在。けれど、かけがえのない存在。
守りたい。
愛したい。
(君を、敬う)
なるほど、この少年はレクスファの次期国王としてふさわしい。その貴重な一粒種をユーノに託すことになってしまった王の心痛、ふざけてはいるが行く先のわからぬ旅へ同行したイルファの武人としての覚悟もまた、ユーノには見えていなかった。
「確かにこれじゃ…セレドの跳ねっ返り、でしかないや」
国を背負って立つなど、度量においても才覚においてもまだまだだ。
「これからもよろしく」
囁きに気づいたように、僅かにレスファートが微笑むのを、ユーノは優しく見つめた。何があろうと、今夜一晩はユーノの側で寝るんだと言いはってきかなかったレスファートに、旅路の始めを思う。レスファートの失った母親の物語を聞いたことを。
(レスファートのおかあさま)
目を閉じながら、名前も顔も知らないけれど、この少年をこの世界に送り出した母なる力に、胸の奥で頭を垂れた。
(彼を守り切れるよう、お導き下さい)




