第3話 遠足グループ
朝の会が始まる前の廊下には、わたしと先生しかいなかった。
「……それは、なんだ?」
「えっ……」
先生は、わたしがいつの間にか持ってきていたリーヴを指差した。
ランドセルから取りだした覚えなんてない。ということは……リーヴ、勝手に出てきたの?
「あ、あれ!? あの、これは……そのっ」
わたしは瞬時に耳まで真っ赤にして、ブンブンとリーヴを振り回した。
「……ユウナ、もうすぐ中学生になるんだ。人形だけじゃなくてもっとクラスのみんなの輪にも入れるように頑張ってみないか」
「……えっと、そういうわけでは……あのっ……」
「言いたいことがあるならしっかり言わないとダメだぞ、待っているだけじゃ、何も解決はしないんだ」
「…………はい」
わたしは顔を俯けて先生の言うことを聞いた。
「今日の朝の会な、卒業遠足の班を決めるんだ。そこで誰かに声をかけてみなさい。お前が思っているよりもずっと簡単なことかもしれないぞ、わかったか?」
――そうだった。最悪だ。昨日のことがあったおかげですっかり忘れていた。
今日、遠足の班分けだ。学校……休めばよかったな。ほんとうに。
「…………はい」
先生の言っていることはきっと正しい。わたしのことをいい方へ導こうとしてくれているのも伝わってくる。
でも、それができない子がいるんだってことも知っていてほしい。
どうしたって、わたしはみんなみたいにはできないんだ。
「……もしよければだけどな、俺からみんなにユウナと班を組んでくれるように言ってみようか、そうすれば――」
「いえ……いいです。すいません……」
そんなことをされれば、クラスの注目を集める上に、余計に哀れみの視線を浴びることになる。
そんなの、耐えられるわけがない。これ以上、惨めな思いはしたくない。
先生の言葉を遮って、わたしは先に教室に入った。
「はあ、あんまり俺のことを困らせないでくれ……」
扉が閉まる間際、先生が大きく溜息をついたのをわたしは確かに聞いた。
きっと――先生からも嫌われている。大人からしてもわたしはきっと面倒くさくて、邪魔な存在なんだ。
誰からも必要とされない、そんな子なんだ。
リーヴのおかげでせっかく楽しい気持ちだったのに……少しだけ、悲しくなった。
* * *
卒業遠足は一週間後だった。遊園地に行くらしい。知っていたはずだったけど、無意識に聞かないようにしていたのかもしれない。
今朝はその班決めだ。正直、今すぐ家に帰りたいんだけど、ダメかな。
辺りを見渡すと、早速仲良しのクラスメイトたちが自然とグループを作り上げていく。みんな本当に凄い才能だと思う。
もうこの時点で、わたしの入り込む余地なんかなかった。
――最初から先生がグループを作ってくれた方がいいのに。
なんとなくそうなった場合のイメージをしてみるけど、きっと先生はこう言う。「卒業遠足はお前のためだけにあるんじゃない」
それもそうだ、友達がいないわたしが悪いのだから。そんなわたしのためだけに仲良しのクラスメイトたちを引き裂くようなことはしたくないし、そんなこときっと先生としても許可できないんだと思う。
――だったら、わたしが一人でいればいいだけのことだ。
「……ユウナ、喋ってもいいかい」
ランドセルの隙間からひょっこりとリーヴが顔を出す。
「もう喋ってるじゃん」
「グループ、作らないのかい」
「いいの、わたしは……別に」
「みんなはとても楽しそうだよ……でもユウナはあまり楽しそうではないな」
「……だから、なに」
「普段のユウナと学校にいるときのユウナでは、随分印象が違うな」
「……なんにも知らないくせに、ほっといてよ、さっきだって勝手にわたしに付いてきて!」
「そういうわけにはいかない、ボクと君は一心同体。どんな『厄災』が相手であろうと、二人で勝利を勝ち取り共に涙しなくちゃいけない間柄なのさ」
リーヴは木製の人差し指を立てて、偉そうに語った。
カラカラと笑い声を鳴らしながら、続けて言う。
「おじいちゃんと一緒にいるときは、もっと活発な少女だったじゃないか」
「それは……」
わたしは唇をぎゅっと絞めて、リーヴに視線を向ける。
学校にいるときのわたしと、そうでないときのわたしは別の人だから。
きっと学校にいるときのわたしは偽物なんだ。だから、クラスメイトのみんなは本当のわたしを知らないんだ。
別に、知って欲しいわけじゃないし。
「……とにかく、みんなに話してみようじゃないか。グループに入れてくれ、と言ってみればいい。何ごとも自分から動かなくては」
「やだよ、絶対いや」
わたしは瞳に水分が溜まり始めるのを信じたくなかった。
なんでここで泣くの? わたしはバカなの?
なんにも悲しくなんかない。なのにどうして泣きそうになっているの? もうやだ。こんな自分。
「……わたしはいいの、このままで。だからリーヴは黙って」
「……ユウナ、君は本当にそれでいいのかい?」
リーヴが少し困ったような顔をして、わたしの滲んだ視界に映り込んだ。
教卓を一瞥する。先生がわたしのことを見つめたまま不安げな表情をしていた。
――もう無理。限界。家に帰りたい。わたしが席を立とうとしたときだった――。
「ユウナ、俺たちの班に入らない?」
少しくすぐったくなってしまうくらい爽やかな声。
わたしは俯けていた顔のまま、上目に彼を見つめた。
「た、タイチくん……」
――わたしの、好きな人だった。
ほんの二ヶ月前、転校してきた男の子。
男子も女子も、誰隔てなく接し、クラスの誰からも愛されるクラス一の人気者。
タイチくんは、こんなわたしにも優しくしてくれるし、こうして声をかけてくれる。
とっても嬉しい。だけど……。今は自分が惨めに思えるだけ。
ごめんね、タイチくん。
「ごめん、わたし……お腹が……痛くて」
「わかった、じゃ俺ユウナのこと保険室に連れてくよ。保健委員だし。あ、ミホ、残り一人はユウナで決定ね、黒板書いといて」
「えー、ユウナー?」
グループの中から、そんな声が聞こえた。
やっぱり、わたしはどこにいても邪険にされる存在だから、どのグループに入ってもわたしも、誰も嬉しくないんだ。
――先生の言っていたことは、嘘だ。
「…………い、いいよ、タイチくんっ、わたし――」
わたしが顔を俯けたまま言いかけたときだった、
タイチくんは少し強引にわたしの腕を掴んで、教室から出る間際に自分のグループを振り返った。
「どっちにしろあと一人入れないといけないんだから、別にユウナだっていいだろ~。そんなことより保険室行ってくる。先生、俺行ってくるねー」
わたしはされるがままタイチくんに腕を引かれ、教室を出た。
開いた口が塞がらず、金魚のようにするばかりで精一杯だった。
やっぱりタイチくんは凄いなあ……、とわたしは感心する。
いとも簡単に先生やみんなに声をかけ、自分の言いたいことを言える。そして、それにみんなが同意してくれる。
わたしはタイチくんの背を見つめながら、ドキドキと高鳴る胸を必死に押さえ付ける。
「……迷惑だった?」
ずっと黙ったままのわたしに、タイチくんが不安げな表情を見せた。
完璧超人みたいなタイチくんでもそんな顔をするんだな、とわたしは意外に思った。
「えっ……っと、そ、そんなこと……ないっ……ですっ!!」
わたしはゆでだこみたいに真っ赤になりながら、なんとか精一杯の言葉を伝えた。
「そっか……なら、よかった。遊園地、楽しみだね」
「……ぅ、うん」
「ところでさ……なんでそんなもの持ってるの?」
「……へ?」
わたしの手にはいつの間にか、再びリーヴが握られていた。
家に帰ったら色んなこと言い聞かせないとな、とわたしは少し頬を上げてこう答えた。
「弟が……わたしのランドセルに入れちゃってたみたい」