第31話 エルフの涙⑨
◇◇
「ふぅ。ヘビー・オア・ライトが気絶したドラゴンに効いてくれて運が良かったぜ。ここまで運べたからな」
俺、ヒューゴを見てエリンが一瞬だけ目を丸くする。
だが直後には小さな八重歯を見せながら笑い飛ばした。
「あはは! 気絶するくらいに鍛えてくれたんだから感謝しなきゃねー! ご褒美は何がいい? 金貨1万枚くらいならすぐにあげられるよ!」
俺は手をひらひらして答えた。
「ああ、あいにく金貨はついさっき倒した魔物たちからたんまりいただけたんでね」
「ふーん。だったら何か欲しいものはある?」
俺は眼光を強めて答えた。
「今すぐここから出てけ」
エリンは即答せずにニヤリと口角をあげる。
そこにリリアーヌが口を挟んだ。
「ヒューゴ。そいつは口でいって聞くような聞き分けのいいヤツじゃない。わらわがぶっ潰してやるから大人しく見ておれ」
いつの間にか俺の横に立った彼女は鬼のような形相でエリンを睨みつけた。
一方のエリンは首をすくめると、ペロっと舌を出した。
「ひとぎき悪いなぁ。私はそんなに頑固じゃないもん!」
「なんじゃとぉ!」
「あはは! あんまり怒りすぎると顔にしわができちゃうよ! リラックス、リラックス!」
今度は俺が二人の間に割って入った。
「くだらない話をしている暇はないんだ。あんたのペットを返すから帰ってくれ。もしそれでも戦うってなら、可愛いペットに容赦しねえぜ」
「それは困るなぁ。その子は私と百年も一緒に過ごした家族なんだよ」
「だったら家族を大事にするんだな」
「もぅ……。ズルいなぁ」
エリンはぷくッと頬を膨らませた。
俺はヘビー・オア・ライトで羽毛布団のように軽くなったエンシェントブラックドラゴンをひょいっと持ち上げてエリンの後方へ投げ飛ばした。
エリンはちらりと世界樹を見る。
炎に包まれた大木はバチバチと音を立てて崩れ出した。
「いいよ。もう『用事』は済んだみたいだし。あ、でもあと一つ大事なことを忘れてた!」
……と次の瞬間。
エリンは目にもとまらぬ早さで俺に近づいてきたかと思うと、耳元でとんでもないことをささやいてきたのだ。
一瞬で頭が真っ白になり、立っていることすら怪しくなる。
視界はぼやけ、自分が今どこで何をしているのかすら分からない。
そんな中、聴覚だけは正常を保っていた。
「エリン! 貴様!」
リリアーヌの叫び声だ。
続いてエリンの声が聞こえる。
「みんなぁ! お城に帰るよぉ!」
魔物たちが一斉に森から引いていく音が耳に入り、しばらくすると世界樹が燃える音だけが残った。
「ヒューゴ! ヒューゴ! しっかりしろ!」
リリアーヌが耳元で大声をあげる。
同時に激しく肩を揺らされて、ようやくはっと我に返った。
「ヒューゴ! 大丈夫か!?」
リリアーヌが大きな瞳に涙をためて心配そうに俺の顔を覗き込んでいる。
俺は小さく口角をあげて、かすれた声をだした。
「ああ、大丈夫だ。俺のことよりもベルはどうした?」
ベルは世界樹の前でたたずんでいた。
小さな背中は己の無力さを責めるように小刻みに震えている。
ちらりと目配せした俺に対し、リリアーヌは表情を引き締めてうなずいた。
彼女は右手で水龍を作り、世界樹に向けて放った。
凄まじい水量が世界樹を丸のみし、白い煙をあげて火は消えた。
「……もう終わりね」
へたり込むベルの横に俺は立った。
そして一片の迷いもなく告げた。
「まだ戦いは終わっちゃいないさ」
ベルがきりっと俺を睨みつける。
「下手ななぐさめなんていらない! 世界樹も森も長老様も全部死んでしまった! だからもう終わりなのよ!」
俺は小さく首を横に振った。
「戦いを終わらせたらダメなんだ。俺の『運の良さ』は戦闘中しか効果がないんだから」
「はぁ? 何を言って……」
そう彼女が言いかけた時に、俺はとあるものを見つけて世界樹のそばに駆け寄った。
「ちょっと! まだ火がくすぶってるんだから危ないわよ!」
「やっぱりそうだった……」
「何よ? やっぱりって?」
屈みこんだ俺の横からベルが手元を覗き込んでくる。
その直後、彼女は目を大きく見開いた。
「あっ! それは……!?」
俺は慎重に周囲の灰や木々を取り除く。
そうして手元に残ったのは……。
『小さな芽』――。
黒こげになった木の枝から奇跡的に難を逃れた『世界樹の苗』だったのだ。
「ほらな? 俺の『運の良さ』は奇跡を起こすんだ」
ベルの顔がみるみるうちにしわくちゃになる。
瞳から涙があふれ、口からは嗚咽がもれていた。
俺は彼女を諭すように言った。
「屈辱にまみれったっていいじゃねえか。何もかも失ったっていいじゃねえか。大事なのはこれから何をするかだ。未来に何を残すかだ。失ったままで人生を終えるなんて、俺が許さねえ。だから自分で作るんだ。歯を食いしばって前に進むんだよ。そうやって人生を終える時に胸を張ってあの世に行けるような生き方をしなくちゃなんねえ。それが使命だ。エルフも人間も関係ない。この世で生きている者全員が持ってる使命だ」
ベルが顔を上げて俺を見つめる。
しばらくして涙を拭いた彼女は震える声をあげた。
「でも……でも……世界樹を育てる森はもうない……」
俺は首をすくめて微笑んだ。
「ここから船でちょっと行った島に手つかずの森があるんだがな。誰も面倒見ないから困ってるんだ」
ベルの大きな目から再び涙が流れはじめる。
ただその涙は先ほどまでの冷たいものではなくて、感謝と喜びにみちた温かいものだ。
見ているだけで体がムズムズしてきたのはなぜだろうか。
俺はポケットに入っていたハンカチを彼女に差し出すと、そっぽを向いた。
「大きすぎるよぉ。バスタオルみたい。ふええええ」
俺とリリアーヌは彼女が泣き終えるまで、黙ったまま待った。
ベルの頬を伝う涙は、太陽の光をあびてキラキラと輝いている。
それはまるで『希望』をあらわしているようだった――。
大変申し訳ないのですが、書籍のお仕事が佳境を迎えてしまい、再び休載いたします。早くて4月末からの再開になるかと思いますが、末長いお付き合いをお願いいたします!




