第30話 エルフの涙⑧
◇◇
――いいかい、ベル。世界樹はね。あらゆる生命の源なんだよ。エルフも、人間も、動物たちも、木々や草花も……。みんな多かれ少なかれ、世界樹の恵みを享受しているのさ。だから世界樹を守ることは、世界を守ることと同じ。とっても尊いことなんじゃよ。
まだ私、ベルが小さい頃。世界樹の護り手の祖母から聞かされた言葉を今でも覚えている。
――世界樹は命と命をつなぐ交差点。世界樹を通じて世界中の生き物がつながっておる。皆が元気に、笑って過ごせるように祈りを込めながら、世界樹を守るのがエルフの使命なんじゃよ。
私は優しくて強かった祖母が大好きだった。
だから祖母が亡くなった三年前から世界樹の護り手になったのは必然だったと思う。
そうして死ぬまでずっと世界樹とともに生きていくものだと思っていた。
いつか私も恋をして、子供を作って、孫ができて。
目を輝かせた自分の孫に祖母から教わったことのすべてを伝えることは、決められた運命なのだと考えていたのだ。
それなのに……。
「グオオオオオオ!」
「これ以上、世界樹に近づけさせるものですか! ウィンド・ストーム!!」
――ゴオオオオ!!
どれだけ魔物を遠ざけても、ヤツらはうじゃうじゃとわいてきて、世界樹に炎の魔法をあびせてくる。
数千年をかけて太くなった幹がわずか数分のうちに真っ赤な炎に包まれて、今にも焼け落ちそうになっている。
「やめて! もうやめてぇぇぇ!!」
渾身の力をこめて、全身から風の刃を放つ。
周囲の魔物たちが一斉に怯み、世界樹への攻撃がやんだ。
しかしそれもつかの間のできごとにすぎなかった。
肩で息をするほどに疲弊した私をしり目に再び魔物たちの攻撃が再開される。
「ゴガアアア!」
イノシシの顔をした魔物が手斧を振りかぶって私に襲いかかってきた。
だが体に力は入らない。
それに世界樹だってこんなことになってしまったのだ。
もうこれ以上、生きていたって何の意味もない――。
「ベルゥゥゥ!」
鼓膜を突き破るような大声がしたかと思った瞬間に、私の体は勢いよく突き飛ばされた。
――ザクッ……。
目の前で鈍い音がして、鮮血が私の顔にかかった。
そして私の目に飛び込んできたのは、長老ヤコブ様の見るも無残な姿だった。
「長老様……」
「生きよ……。生きることをあきらめてはならぬ……」
「いやあああああ!」
長老様が前のめりに倒れ、背後にたむろしていた魔物たちの目が私に向けられる。
「こんなちっぽけな命でいいならくれてやるわ! その代わり、何体か道連れにしてやるけどね!」
私は再び魔力をため、全身に風を帯びる。
だが魔物たちは怯む気配を見せず、じりじりと近づいてくる。
上等よ。
世界樹の護り手として最後の最後まで役目を果たしたことを誇りに思いながら死んでやる。
そう覚悟を決めた時だった――。
「ヘル・ファイア!!」
黒い炎の龍が私の真横すれすれを通り抜けてイノシシの魔物たちに飛びかかったのだ。
「ギャアアアアア!」
甲高い断末魔の叫び声をあげながら炭になっていく魔物たち。
その様子をあぜんとしながら眺めている私に、突き刺すような鋭い声が飛んできた。
「何をぼさっとしておるのじゃ! おまえは長老の死を無駄にするつもりか!」
背後を振り返ると、そこには魔王エリンと激闘を繰り広げているリリアーヌの姿が目に映る。
つまり彼女は魔王を相手にしながら私を助けたってこと……?
いったい彼女は何者なのだろうか……。
「いいから逃げよ! ヒューゴの通った道には魔物がおらぬ! そこから森を出るのじゃ!」
「嫌よ! 私は世界樹もこの森も絶対に見捨てない! だってそれが私たちエルフの使命だから!」
「ちっ! 堅物め! この状況を見て、まだそれを言うか!」
リリアーヌが苦い顔をしたところで、魔王エリンが私を見て大笑いした。
「あははは! あんた面白いことを言うのね!」
私はむっとして言い返す。
「何がそんなに面白いのよ!」
「だってすっごい勘違いしているんだもの」
「勘違い? 私がいったい何を勘違いしているっていうの?」
エリンは隙を見せたリリアーヌを蹴り飛ばした後、私の方へ飛んできた。
そして私に顔をぐいっと近づけて言い放ったのだった。
「世界樹を守っていたのはエルフじゃない。『エルフの涙』を隠していた洞窟でしょ」
「なっ……!」
ズキンと胸を打つ言葉に、私は声を失う。
するとエリンは矢継ぎ早に言葉を並べた。
「一部のエルフしか洞窟の入り口の封印を解くことができなかったってことであって、別にエルフが世界樹を守っていたわけじゃないじゃん。それに私聞いたことあるのよー。エルフは病気もしなければ、命を奪われるほどの大ケガもしないって。でもそれは世界樹の蜜を自分たちにだけ使ったからなんでしょ? だからエルフの寿命は長いし、死因は老衰以外なかった。つまりズルしてただけ。それをドヤ顔されて『エルフの使命は世界樹を守ること』なんて言われても説得力のかけらもないわ」
わなわなと体が震えるが、何も言い返せない……。
そんな私の心情を察したのか、エリンはニタリと笑みを浮かべながら続けた。
「世界樹を守るなんて方便よ。単に自分たちだけ美味しい目にあいたかっただけ。違う?」
違う。
そんなんじゃない!
……なぜ?
なぜそう言い返せないの!?
「あはは。『一部の欲深い人間に利用されるくらいなら焼かれてなくなった方がマシ』。あなたは心の片隅でそう望んでいた。だから私に何も言い返せないんじゃない?」
「ちがあああああう!!」
感情を爆発させた私はまとった風をエリンに向けて放った。
巨大な竜巻が彼女を襲う。
しかし虚しく彼女の服を揺らすだけで、彼女は一歩たりともその場を動かなかった。
「あはは。こんなすっごい風を受けるなら髪の毛を洗ってくればよかったなぁ。すぐに乾いたのに」
「くっ……」
情けなくて、情けなくて、涙がひとりでにポロポロと落ちる。
エリンは私を小馬鹿にしたような口調で問いかけてきた。
「選ばせてあげるよ。生きがいを失ったからもう死にたい? それとも屈辱にまみれてでも生きたい?」
もういい……。
全部終わりだ……。
世界樹も私も……。
絶望に打ちひしがれながら首を垂れる。
エリンの言う通りかもしれない。
そして今の私にもう『生きがい』はない。
屈辱にまみれるくらいなら生きていたくない。
そう考えた瞬間に、燃えるような熱を帯びた男の人の声が耳をついた。
「彼女は生きるぜ。たとえ屈辱にまみれようとも」
その声の持ち主は、漆黒のドラゴンを引きずりながらあらわれたヒューゴだった――。




