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寄り道と夏休み  作者: いがくと
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プロローグ

ただ、どうしようもないほど暑い夏だった。 そのことだけは覚えている。


真夏の晴天の下、食堂でスマホをいじっていた時に大学の医学科2年がほぼ全員入る学年ラインに、自分の学籍番号が書かれた紙の写真が軽薄な音とともに張られたのを見たとき、僕は何を思ったのだろう。


他人から見れば順風満帆な人生を送っていたのかもしれない。 中高でいい成績を残し、自然と医師を目指すようになり、そしてストレートで地元の医学部に合格した。

別に自分の頭脳に過剰な自信があったわけではない。 だが、大きな夢を果たしたからといって、燃え尽きるようなタマでもないと自分で自負するくらいのモチベーションと、プライドはあったのだ。


でも、医学部というグループの中で、僕はどうしようもなく平凡だった。


諸君はパレートの法則、という言葉をご存知だろうか。 働きアリのグループのうち、必ず2割が優秀にはたらき、6割は普通に働き、2割はサボりはじめる。

そして2割のサボっていたアリを集め、1つのグループにすると、その中の2割は優秀に働きだす、そういうような法則だ。

僕はこの言葉を幼いときから知っていた。だから、必ず上位の2割に入れるように、恐怖におびえながら努力をする、僕はそんな子供であったのだ。

だが、僕が入った学部の人間はどいつも優秀で、僕はすぐに自分の才能を思い知らされた。


どんなに頑張っても、そのグループの中で、僕は平均だった。


そのときからなのだろうか、僕が“何か”をあきらめたのは。


何かの糸がプツンときれたように、僕を長年縛っていたナニカは失われ、僕は這い上がろうとする努力をやめてしまった。


そしてなぁなぁのまま2年に進級した僕は、医学科2年の最大の関門である解剖において、躓いてしまった。


人生で失敗といえる失敗をしてこなかったはずの僕が、初めて犯した大きな失敗。 その「失敗」の連絡が、真夏の下、片手に持ったスマホに来た瞬間、僕は旅をすることに決めた。


どこか、遠いところに行こう。 誰も僕を知らない、競争も蹴落としもない、のどかな場所へ。


その思いだけを胸に、僕は旅だったのだ。 あのあまりに不思議な、永遠のような夏休みの旅へ。




「・・・あつい」

港に降り立った僕の第一声は、まずそれだった。

小さな港である。 行きで使った本土の港では、乗ってきた船の大きさなどは特に気にもならなかったが、この港は小さすぎて、自分が乗ってきた船の大きさがやたらと強調されて感じるのだ。

降り場には行きの港のような屋根などはなく、船のタラップが直に下ろされたむき出しの黒いアスファルトが太陽の熱を直接吸ってでろでろと熱を発しているように感じられた。


僕以外に船を降りたのはほんの4、5人。 皆地元の人だろう。 平日の昼間とはいえ、あまりの人の少なさに少々拍子抜けする。


船の中で開いていた参考書をカバンにしまい、1枚の紙を引っ張り出す。


(・・・港の前のバス停から、北方面のバスで30分、そこから徒歩で5分・・と)


経路を確認した僕は歩きだす。 


遠い所に長い期間行くならば、何か住み込みのバイトでもやってみたらいい。 俺の地元の島に、夏の間だけその島を離れるから、住み込みで維持をしてほしいっていう金持ちがいるんだが、その家のバイトでもやってみないか。


そんなことをおせっかいにも(ありがたかったが)教えてくれた大学の数少ない友人の紹介のもと、この島にやってきたのだが。


「・・・それにしても、暑い・・・」

少し歩くだけで一気に汗が噴き出てくる。 行きの港で買った麦茶はとうに飲み干し、念のためにと船内の自販機で買っておいたペットボトルのオレンジジュースは、この暑さで完全に生ぬるくなっていた。


(やっぱりないよなぁ、自販機・・・)

港近くのバス停までの道、自動販売機を探してみたものの、全く見つからず。 バス停には屋根があるのだけが幸いだった。


バス停に置いてある古びたベンチに座り、生ぬるいオレンジジュースを口に含みながら、参考書を広げる。

広げた参考書をみつつ、思索にふけっていく。

(上腸間膜動脈は十二指腸下半部から横行結腸までを栄養する・・と)


行儀が悪いと言われたこともある。 “ガリベンだ”と言われたこともある。 だが、この受験生時代に染み付いた、「移動するときに参考書やらなにやらを広げてしまう」癖はなかなか僕からは消えてくれなかった。 たとえ、ここまで落ちぶれてしまった、今でさえ。


だが、ここでは、この、都市からは遠く離れたこの島では、こんなことをやっても、咎める人も、異質な目で馬鹿にする人もいないだろう。 そもそも同年代の絶対数が少ないのだから。 だから、こんな僕の行動もこの島では・・・


「なにやってるの、君」


咎められた。 思わず横を見る。


そこには一人の少女が立っていた。 青い小さな花の模様が一面に描かれた白地のワンピース。 茶色いカバンに白いサンダル。 青のリボンがついた麦わら帽子。 そのまま流してある髪。

まぁなんというか、田舎の少女、といった容貌の少女だった。 少なくとも僕の大学にはいないタイプの女の子だ。


「・・勉強です」


「勉強!? なんで? まだ夏休みははじまったばっかりじゃない」


わざとらしいトーンで少女は叫んだ。

めんどくさい子だ。 何歳くらいなんだろう。 まだ中学生くらいなのかもしれない。


「・・医学部だから。 医学生は勉強が大変なんだ」

少し自慢を込めたトーンでいう。 そしてその行為が僕自身を傷つける。 そんな自慢やエリート思想から逃れるためにこの島に逃げてきたのに、本末転倒だ。


「へぇ~ 大学生なんだ、大変だね。 どこからきたの?」

少女は僕の発言をさらりと流し、僕の隣に座った。 ・・すこし、ほっとした。


「東京だよ。 君は? この島の人?」

「私? まさかぁ、この島でずっと住むなんて絶対無理無理、夏休みくらいならいいけどね~」

そういって少女はベンチからたちあがり、くるりとまわる。 ふわりとした香りがした。


「私も東京! おばあちゃんちがこの島にあるから、毎年夏はこの島で過ごしてるんだ!

 ・・といっても来年で高3だから、来年はこられなくなっちゃうんだろうけど」

ぺろっと舌を出しながら少女は笑う。

 ・・というか、この子は高2だったのか。 ・・見えない・・・


「で、君、この島には何しに来たの? この島の住人の親戚ってわけでもなさそうだし、そもそもこの島、そんなに観光がさかんってわけでもないし」

「・・・バイトで来たんだ。 住み込みのバイトでさ、夏の間いない金持ちの家を住み込みでキープするらしい、まぁようするにハウスキーパーだな」

「へぇ~、なんかつまんなさそうなバイトだねぇ~、時給どれくらいなの?」

「つまんなそうなとかいわんでくれ、いや、時給制じゃなくて日給制なんですよ、しかもハウスキープだからそんなに高いわけでもないし」


なんなのだろう、この子は。 初対面の相手の懐に、ここまでスムーズに入り込むなんて。

だが、不思議と不快感は感じない。 コミュニケーションがきっと得意な子なのだろう。 僕にはない才能だ。


そのまましばらく暑いバス停で少女との会話を続ける。 僕の大学の事、勉強の事、彼女の高校のこと、彼女のクラスのこと・・・ 

会話は不思議と尽きなかった。 話が途切れた時でも、自然と、ふわりと新たな話題に切り替えてくれる。

その絶妙なタイミングや話のうまさで、僕は暑さも忘れて彼女との会話に引き込まれていった。



気が付くと、1時間は待たなくてはならなかったはずのバスの時間はあっという間に訪れていた。 

小さなバスがよたよたとバス停に向かってくるのをみて、その少女、恵は笑った。


「バスが来ちゃったね。 ・・それじゃあ、また会えるといいね、前原さん」

「え、ケイちゃんはバスにのらないのか? このバス停、こっち方面のバスしかこないけど」

「ケイでいいよ。 うん、私は暇だったし、それにもうちょっとあとでおじいちゃんがバス停まで車で迎えにきてくれるんだ、ほら、このへん目印になるのがこのバス停くらいしかないから」


バスが僕たちの前で止まる。 古ぼけたブザー音とともに、バスのドアが開く。


「そうか、また会えるといいな、ケイ」

「この島は狭いからね、すぐに会えると思うよ、釣り場でも山でも海でも、どっかで私は遊んでるからさ」


クラクションが鳴る。 来るのは遅いくせに、乗るときだけせっかちなバスだ。

急いでバスに乗り込む。 すぐにドアが閉まり、バスはよたよたと動き出した。

バスのドアに一番近い席に座り、窓の外を見る。 少し汚れた窓の外で、恵が手を振っていた。


手を振り返すのはすこし気恥ずかしく、かるく彼女に会釈してからカバンから参考書を取り出し、読みだすフリをする。


・・・別れの挨拶をするのを忘れた。


そのことに気づいたのは、バスが発車してからしばらくたってのことだった。


あの長い夏休みが、始まった瞬間だった。















   


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