プロローグ:若頭のお仕事
日付も変わろうかという深夜。
コンテナ船の停泊する港に程近い、とある倉庫に灯りが点っていた。
しかし、その中で行われているのは、単純な仕事という訳ではない。
事実、作業を行うような機械は稼働しておらず、倉庫内は静寂に包まれていた。
そこには、幾つかの人影があった。
倉庫で唯一の大きな搬入口を背にする形で床に座る一人の男に対し、向き合うような形でパイプ椅子に座る男が一人。そして、その椅子に座る男に侍るような形で、他の人影は立っていた。
「へえ、で、どう落とし前つけんの?俺に聞かせてくれよ」
静寂を破ったのは、パイプ椅子に座る男であった。見たところ、倉庫内の人間の中で最も年若く、二十歳に届くかどうかの青年といったところだった。
そんな青年の言葉に対し、床に座る男はびくりと身を竦ませたかと思うと、すぐに媚びるような笑みを浮かべて、慌てたように喋りだした。
「ち、違うんですよ、若」
その言葉にピクリと眉を動かす青年。同時にその顔には愉快そうな笑みが浮かぶ。
その反応に青年の一番近くに侍っていた、大柄且つ目付きの鋭い男が少しばかり渋い顔になった。
青年がこういう顔をする時はご機嫌斜めな証拠だ。必然的に穏やかな話とはいかないことが決定的になった瞬間でもある。いくらこの稼業がそういう問題が多いとは言え、これから起こるであろう面倒事が憂鬱に感じるのも仕方のない話だろう。
「は?何が?お前がシノギをちょろまかそうとしたことか?そのために、ただでさえ忙しくて寝不足な俺に、わざわざテメエの薄汚ねえケツを拭わせてることがか?」
その言葉にわずかばかりの怒気が滲んでいることに気付かない阿呆は流石にこの場には居なかった。
「ぜ、全部ですよ!ボタンの些細な掛け違いってヤツっすよ!」
更に慌てて言葉を紡ぐ男に、青年はしらけたような視線を向ける。
「ふーん、じゃあ、テメエのそのよく回る舌の使いどころには気を付けると良い。場合によっちゃそこに用意した素敵なお船に乗って、深海探索に赴いてもらうことになるからな」
そう言いつつ、青年の指差した先にはドラム缶に加え、コンクリートの入った袋が蛇口の近くに置かれていた。
それを見て、男の顔が青褪める。
しかし、ここで何もしなければ、それこそ自分の命が危ういことは男も理解している。
「そういうつもりじゃなかったんすよ!ただ、俺はそいつを元手に儲けを出して、組に貢献を――」
パン。
鈍く、単調な音が倉庫内に響く。
「へ?」
男は思わず間抜けな声を上げる。数瞬遅れ、男が恐る恐る目線を下げていけば、自らの足には血が滲みはじめていた。
「う、うぐあああ!お、俺の足が!」
「やかましい」
叫ぶ男に、青年は短くそう呟いて、鈍く輝く『銃』を男の額に押し付ける。
銃口からは硝煙の匂いが漂い、わずかに熱も帯びていた。それは他ならぬ男の足に風穴を開けたのが目の前の銃であることを示す、何よりの証拠でもあった。
「ひっ…!」
思わずといった様子で情けない声をあげる男に、青年はにこやかに微笑みながら、言い聞かせるように、ゆっくりと言葉を紡いでいく。
「なあ?確かに俺はビジネスのお話は大好きだ。金儲けはやってて楽しい。だけどなぁ、俺らはヤクザだ。ビジネスじゃなく、バイオレンスがお仕事な訳。そこんところしっかり理解できてる?」
「は、はい!!も、勿論です、若!!」
青年の言葉に対し、震えながらもハッキリと声を出し、何とか返答する男。まず間違いなく青年の言葉の一割も頭に入ってはいないだろう。
「おお、分かってくれるか。分かってるなら別に良い。じゃあ――こんなところで油売ってる暇があるなら、とっととテメエのちょろまかしたシノギの分以上の金稼いでこい!!!このダボがぁ!!」
言葉を紡いでいく中で、青年の表情が一変。激昂したかと思うと、次の瞬間には男の側頭部を銃床で殴り飛ばしていた。
青年の不意の攻撃に対し、苦しそうにのたうちまわる男。青年は先程までの烈火のごとく激しい怒りの表情とは打って変わって、そんな男の様子を傍から見ている人間でさえも、背筋が凍る程に冷たい瞳で一瞥したかと思うと、
「ふー、悪い、悪い。ちょっとばかり興奮しちまった。寝不足のせいで、頭に血が上りやすくなってしまってるみたいだなあ、ハハハ」
先程までの出来事すべてがまるで嘘であるかのように、爽やかささえ感じられる笑い声を出しつつ、パイプ椅子に座り直す。
そして、さぞ妙案を思い付いたかのような明るい口調でもって、額から血を流し、未だに悶える男を眺めながら、口を開く。
「んで、まあ、ビジネスの話に移ろう。期限は一週間。お前のちょろまかしたシノギの分の…そうさなあ…2倍の金稼いて、俺らに貢いでくれたなら、今回の件は見逃してやろうじゃねえの」
青年の出した条件は法外なものであった。
「ま、待ってください!!無茶です!!一週間でなんて――」
実質的な死刑宣告にも等しい青年の言葉に、何とか縋り付いて情けを請おうとする男であったが、
「黙れ」
その言葉を紡ぐよりも早く、青年の底冷えのする声に遮られた。
青年の声には、周囲の温度が下がった錯覚さえ覚える程の迫力があった。
「わ、若―」
男は震える声で、それでもなんとか情けを請おうと、青年の顔を見上げた瞬間であった。
「…ふう、なあ。お前がやったことをもう一度考えてみようじゃないか。…考えたか?なら、分かるよな?お前がやったことは何だ?俺らの顔に泥を塗ったんだ。普通なら、この場でぶっ殺されても文句は言えんよな?」
―青年の顔からはおよそ表情というものが消え失せていた。
―瞳は濁り、生物が持ちうるはずの生気の光とも言うべきものが失われていた。
男は自分の目の前にいる『モノ』が一体何なのかまるで分からなかった。
同じ人間なのかすらも。
「つまり、俺はお前にチャンスをやったわけだ。誰にだってミスはあるもんだ。それは仕方ないことだ。人間ってのは、少なからずミスをしちまう生き物だ」
青年の口調は表情と瞳に対して、ひどく穏やかであり、男を諭すようですらあった。
「だけど、俺らは大人だ。間違ってもミスをそのままにしておくわけにはいかない。後は、分かるよな?ミスを帳消しにしてもらうくらいの何かをお前にやってもらう必要がある」
青年はそこで一つ息を吐き、男の眼を正面から見据え、口を開く。
「最後のチャンスだ。活かすも殺すもお前の好きにするといい。ただ、殺したときは、お前の命だけじゃない。大切なものも全て奪われることになる。よくよく考えて答えを出すと良い」
そこまで言って、少年はパイプ椅子から立ち上がり、背筋をぐっと伸ばし、持っていた銃を隣に侍っていた男に渡し、未だに足を押さえて蹲っている男に背を向け、歩き出す。
いつの間にか、青年の瞳には生気の光が宿っており、先程までの雰囲気は幻かと錯覚するようですらあった。
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そうして、倉庫を出たところで、拳を上に向け、再度背筋をグッと伸ばしたところで、青年は口を開く。
「さて、お仕事は終わりだ。帰って眠ろう。明日はこれといったレポートもない。多少はゆっくり過ごせるな」
「了解です、若。会長には?」
青年の言葉に答えたのは、銃を受け取った、青年の一番近くに侍っている大柄な男。
「報告自体は明日で良いだろ。もう寝てるだろうしな。老い先短い爺を叩き起こして、寿命を縮ませる訳にもいかんだろ。それに、この程度なら、最悪俺が動けば事は済む」
青年もその男に対しては、どこか気安さが感じられるような口振りでそう返す。
「若。あまり若自らが動くと…」
「あー、分かってる分かってる。面子の問題があるって言いたいんだろ?相も変わらず、竜はお堅いねえ。もうちょい肩の力抜いて、生きりゃあ良いのに」
青年の言葉を受け、大柄な男こと、竜が苦い顔でそう口にするも、青年は面倒そうにヒラヒラと手を振ってからかい混じりの言葉と共に、適当にそう返す。
そうして青年は、あらかじめ倉庫の外にて待機させていた黒塗りの車に竜とともに乗り込む。
「そういや、虎は?アイツ、珍しくいなかったな」
青年のがふと思い出したように呟く。その言葉に、竜は先程の5倍増し並みに渋い顔をして答える。
「…あのバカは明日に備えて、早目に帰っています」
その言葉に、青年は一瞬訳の分からないことを聞いたような顔をしたが、すぐに何かに気付いたように、納得したように頷きつつ、口を開く。
「…ああ、美咲ちゃんと彩香の授業参観か。ついでだし、俺も冷やかしに行こうかね?」
「明日は特に予定もありませんし、構いませんが…それに、虎はともかく、2人は喜ぶでしょう」
「だろうな。だから行くんだよ。俺らは残業してんのに、虎だけ定時上がりとか許せねえだろ?」
ヘラリと笑って、そう口にする青年に竜も黙って首肯く。どうやら、それなりに鬱憤が溜まっているらしい。
竜は、顔と体格はともかく、この稼業に似つかわしくない真面目な人間であるがゆえに、苦労性なのだ。多少なりとも彼のストレスくらいは発散させてやるべきだろうと青年は考える。
「つっても、竜、お前は来んなよ。ただでさえ虎がいんのに、お前まで来たら、あの二人が可哀想だ」
「分かっています。ただまあ、虎がいる時点でアウトだと思いますが…」
青年の言葉に納得しつつも、竜はどこか呆れた様子でそう口にする。
「ま、そりゃそうだがまだ一人くらいなら誤魔化しも利く。上乗せしちまったら、スリーアウトチェンジだろ?きっちり虎に嫌がらせはして、写真は撮っとくから心配すんな」
青年も竜の言葉に苦笑して頷きつつ、そう答える。
「そうですね、頼みます」
「おう、任せろ」
そうして、青年は凶暴に笑む。
「式島会の若頭である、式島競理への舐めた態度、後悔させてやらなきゃなあ?」
その言葉に竜は何度目になるか分からない、渋い顔をして、
「若、本気出すとこ間違ってます」
恐らく青年こと、競理の耳には届かないであろうと、半ば諦めつつ、竜はそれを口にした。
ちなみに競理は聞こえていたが、竜の予想通り、わざと無視していた。