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七重探偵事務所の事件簿  作者: シクル


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13/26

FILE13「嵐の前」

 倒れていた男をとりあえず事務所へ運び込み、一通り身体を拭いてやってからソファへ寝かせ、家光はやっと一息吐く。

 あの後、どうにも倒れている男をあの場に放置しておく気になれず、家光は友人の陸奥峠蔵彦と連絡を取り、ひとまず車で運んでもらうことにした。家光の仕事にある程度理解のある陸奥峠はあれやこれやと詮索せず、家光と倒れていた男を安全に七重探偵事務所まで運び込んでくれたのである。

「……さて、どうすうかな……」

 本来ならあのまま警察に頼むべき案件ではあったが、あのままではあの建物に関する手がかりが一切つかめないまま事件が収束してしまう。依頼としてあの建物の調査を請け負った以上、依頼人を納得させられるような情報は掴んでおきたい、というのが家光の考えだ。そのため、唯一その場で持ち出せる手がかりであったこの男を、そのまま置き去りにする、という判断は出来なかった。

 とは言っても、間違いなくこれは厄介事だったし、中里の目的はあの建物が静かになれば一応は達成される。前金を返金し、依頼をキャンセルしてしまった方が無難なのは間違いない。

 ――――俺、は……誰だ……?

 しかしあの時の、男のすがるような視線が家光は忘れられない。あの助けを求めるような視線を、あのまま振り切ることが家光には出来なかった。あの建物が何だったのか、この男が何者なのか……二つの答えは、近い場所にあるような気がする。

「うッ……」

 倒れた男を見守っていると、目を覚ましたのか男は呻き声を上げる。それからしばらく苦しそうに呻いた後、男はガバリと勢い良く身体を起こした。

「……気がついたか?」

 家光の問いには答えず、男はキョロキョロと忙しなく辺りを見回す。そして自分の身体を見下ろし、わなわなと震えてから自分の頭をくしゃくしゃにかきむしり始めた。

「ここはどこだ……!? アンタは一体誰だ!? 何があった!? どうなってる!?」

「お、おい、落ち着けよ……大丈夫か?」

「なあ教えてくれ! 俺はどこにいた!? 何をしていた……!? 俺はッ……一体、誰なんだ……! 何も……何一つ思い出せない……わからない……ッ!」

 咽び泣くような声で叫び、やがて男はがっくりとうなだれる。

「……悪いがそれは俺にもわからない。俺は倒れていたお前をとりあえず連れて帰った、それだけだ」

 この様子では、あの建物のことを聞いても無駄だろう。恐らく家光の求めるような解答を持ってはいない。あったとしても、今のこの状態ではまともに答えることが難しいだろう。

 さてどうしたものか、と家光は頭を抱える。服はおろか記憶も持っていないこの男を、このまま外に放り出すわけにはいかない。警察に連絡を入れるのが筋だとは思うが、この男は今回の依頼と深い繋がりを持っている可能性がある。

 しかしそれ以上に、家光はこの男に深く興味を持っていた。出来ればなんとかしてやりたいとも思うし、この男が何者で、何故記憶を失っているのか、純粋に興味があった。

 果たして家光の手に負えるかどうかはわからないが、とりあえず男の記憶が戻るまでは傍に置いておきたい。

「あー……悪い癖が出ちまったな……」

 好奇心は猫を殺す。それはこれまでの経験である程度わかっていたつもりだったが、家光自身がこの非常事態に対して強く惹かれてしまっている。

「なあ、お前名前も覚えてないんだろ?」

「わからない……全く、何も覚えてない、わからないんだ……!」

「……なら、しばらくうちに置いといてやるから、その間になんとか思い出しとけ」

「……何……?」

 家光の提案に、男はポカンと口を開ける。

「お前は得体が知れないからな。詳しいことがわかるまではとりあえず保留だ保留」

「保留って……アンタ……」

「それとも警察の方が良いか? 確かにあっちの方がしっかり調べてくれるかもな」

「いや、それは……」

 記憶がない、とは言うが知識まで消えているわけではないようで、警察がどういうものなのかはある程度わかるようだ。この男が持っていないのは自分が何者なのか、という点のみだろう。

「ま、どっちを信用するかは適当にお前が決めろ。とりあえずどうするか、それを決めるためにここにいても良い」

 家光はなるべく、強要するようなことは言わないよう努めた。この男について調べたい、あの建物の真相を暴きたい、というのはあくまで家光の都合であってこの男の都合ではない。どうするにしても、この男の意思をなるべく優先したいというのが家光の考えである。

 男はしばらく逡巡して見せたが、やがて小さく息を吐いた。

「……少し、考えさせて欲しい。とりあえず、助けてくれたことは感謝する」

「おー、しとけしとけ。とりあえず名前がねえと不便だな」

 そう言って、家光は少し考え込むような表情を見せてからボソボソとつぶやき始める。

「家康、秀忠……んで家光が俺……。四代目って誰だったかな……つ、つな……綱吉? 違う。でも綱が入ったのは確かなんだが……あ、アレアレ、犬の奴だ犬の」

 男は家光が何を言っているのかわからずに訝しげな表情を見せていたが、それにも構わず家光はブツブツと何事かをつぶやき続ける。

「いや、犬は綱吉だ。んじゃもう一人綱って……あ!」

 そして不意に両手を強く叩き、家光は男を指差した。

「家綱!」

「家……綱?」

 家光の言葉を繰り返す男へ、家光はおう、と短く答えてから歯を見せて笑う。

「家光の次、家綱。だからお前は家綱な」

「……なんだそりゃ……」

 今まで暗いだけだった男の表情に、やっとのことで光が差す。それを見て家光は満足げに嘆息する。

「七重家綱。お前が本当の名前を思い出すまでの名前だ……どうだ?」

 得意げな表情で男の顔を覗き込み、問うてくる家光に、男は苦笑する。

「……わかった。家綱で良い」

 男が――家綱がそう答えたのを確認すると、家光はよし、と満足げに頷いた。

「で、順番が逆になったが俺は七重家光。この七重探偵事務所の探偵だ」

「家光……さん?」

「堅苦しいな……っても呼び捨ては気に入らねえ……よし、アレだ。アニキで良いぞアニキで」

 一度呼ばれてみたかったんだよなー、などと緩い表情でのたまう家光に、家綱は再び苦笑する。

「わかったよ、アニキ」

 口にしてみると思ったよりも馴染んだのか、家綱は少し微笑んで見せる。

「よし、それで良い。今日からお前は俺の弟分兼助手だ。ついでだから仕事も手伝え」

「……了解。タダで居候させてもらうよりは、仕事手伝わされてる方が良いさ」

 家綱のその言葉に、家光はだろ? と笑みを浮かべた。





 家綱が七重探偵事務所で助手をするようになってから数日後、話がある、と言って家光の元を陸奥峠が訪れた。

「よォ家光。例の建物の件、ちっと進展があったんでな」

「……悪いな」

 言いつつ陸奥峠を来客用のソファへ通し、家光はその正面に座る。

「家綱、コーヒー頼む」

「あいよ」

 家綱は軽くそう答えると、家光の指示にしたがって二人分のコーヒーを淹れ始める。

「話には聞いてたが本当に助手にしてンだな」

「まあな。助かってるよ」

 程なくして、家綱の淹れたコーヒーが机の上に置かれる。

「しっかし、コーヒー淹れてもらうならもっと綺麗な姉ちゃんの方が良かったんじゃねえか?」

「悪かったな、綺麗な姉ちゃんじゃなくてよ」

 ムスっとした表情で家綱がそうぼやいた途端、突如家綱はその場に膝から崩れ落ちる。

「――どうした!?」

 突然の出来事に驚く陸奥峠だったが、その一方で家光はまたか、とでも言わんばかりの表情でその光景を見つめていた。

「おい、家光! お前何をそんな悠長に――」

 陸奥峠が言葉を言い終わらない内に、家綱の身体に大きな変化が現れる。

「……!?」

 全身がどろりと崩れるように溶けたかと思えば、そのまま凄まじい勢いで新たな形を形成していく。筋張っていて筋肉質だった身体はなめらかな曲線を描き、長く艶のある茶髪に包まれた頭を細い手が抑えた。

「あー……陸奥峠さん、これはだな……」

「うーん、急に出てきてお腹空いちゃった。家光さん、何か食べるものないかしら?」

 説明しようとした家光の言葉を遮るように女は――葛葉はそんなことをのたまう。

「ない。ていうか何でお前が今急に出てくるんだ!」

「だってぇ……。綺麗かどうかは個人の判断によるけど、とりあえずお姉さんが出ておかないといけない気がして……」

 男物のスーツを着たまま悩ましげなポーズを取る葛葉に、家光は深くため息を吐きながらポケットから財布を取り出す。

「……わかった。わかったからほら、千円やるから、上で着替えてから適当に外で何か食って来い……」

「本当!? 流石家光さんだわ! 話がはやくて本当に助かるわ……何を食べようかしら」

 家光が差し出した千円を嬉しそうに受け取ると、今にスキップでもせんばかりの軽い足取り葛葉は事務所を後にする。

 そんな様子を、陸奥峠は唖然とした表情で見つめていた。

「……よし、一から説明させてくれ陸奥峠さん」

 どの道陸奥峠には説明するつもりだったことを考えると、実際に変身するところを目の当たりにしてもらったのはかえって都合が良いかも知れなかった。



 家光が、家綱の持つ変身能力を知ったのは、家綱が助手になってすぐ翌日のことだった。

 家綱自身もこの能力についてはよくわかっていないようで、人格と肉体が切り替わった後の記憶は判然としないらしい。

「なるほどな……最近何かと話題の超能力ってやつか」

「……だろうな。それにしちゃ不安定な気もするが……」

 先程の様子もそうだが、家綱はあの能力を自分でコントロール出来ているようには思えない。一応主人格は家綱のようだが、先程のようにふとしたきっかけで別の人格に切り替わることも少なくない。

「……さて、少しそれたが本題に入るか」

「頼む。結局あの建物は何だったんだ?」

 気を取り直して家光が問うと、陸奥峠の口から重苦しい吐息が漏れる。

「家光。この件からははやいとこ手を引いた方が良いかも知れんぞ」

「……何?」

「例のボヤ騒ぎだが、もうほとんどもみ消されてやがる……裏で何かデカいのが糸を引いている証拠だ」

 陸奥峠の話によれば、数日前、あの建物が焼けた事件についてはほとんどなかったことになっているらしいのだ。負傷者の数も不明で、ニュースや新聞でもほとんど取り上げられていない。陸奥峠が様々なルートから調べてみても、あまり詳しいことはわからなかったというのだ。

「建物自体はほとんど残ってるが、警備が厳しくてまるで入れねえ」

「……ああ、それは俺も何度か行ってみた……一体何なんだ、あそこは」

「さあな……。そういや一応確認しとくんだが、さっきの男……家綱はあの建物の傍で見つけたんだったな?」

 陸奥峠の問いに家光が頷くと、陸奥峠はそうか、と重い口調で答えてから言葉を続ける。

「まあ、無関係じゃあねえだろうな……。さっきの変身についても気にかかる……いくら超能力だっつっても、ありゃ異常だ。変身するのは葛葉って女だけじゃねえんだろ?」

「ああ……。他にも俺が確認しただけでももう何人かいる」

 超能力と言うのは、人間の持つ潜在能力のようなものだ。そのため、大抵の能力者は生まれながらに何となく扱い方を心得ている場合が多い。しかし家綱はまるでコントロールが出来ていない。そういう例もあるにはあるのだが、その上変身出来る人数が性別も年齢もバラバラで複数人いる、というのはかなり特殊だと言える。

「とにかく、あまり深入りするべきじゃない……。また何か進展があれば連絡してやる」

「……悪いな。調査はどっちかっつーと俺の管轄なんだが」

「お前も調べるんだよ!」

「でっすよねー」

 茶化すようにしてそう答え、家光はカラッと笑って見せる。

 家光も元々きな臭いとは思っていたが、どうやら想像以上に厄介な案件らしい。陸奥峠の言う通りあまり深入りせず、適当な所で手を引いた方が無難なのかも知れなかった。

「さて、俺はこの辺で失礼させてもらう」

「ああ、色々と助かった。その内何か礼をさせてくれ」

 そう答え、陸奥峠を外まで送ろうと家光が立ち上がった時、不意に事務所のドアが勢い良く開かれる。

「え~~晴義君探偵なの~~!?」

「まあね、この女装も調査に必要だったってワケ」

 事務所の中に入ってきたのは肩まで伸ばした明るい茶髪の美青年、晴義。そしてその晴義にべったりと貼り付いた二人の若い女性だった。

「ごめんね、何もない所だけど、コーヒーくらいは出すよ」

「晴義君がコーヒー淹れてくれるの? 楽しみ~!」

「楽しみにしててよ。世界で一番おいしい、二度と忘れられないコーヒーと思い出を僕が君達にプレゼントするよ。でもその前に着替えてきて良いかな」

 事務所の入り口でそんなやり取りをする三人を前にして、家光と陸奥峠は唖然とする。

「……家光……」

「ああ、すまん……アレは晴義と言ってな。まあ……見ての通りの男だ」

 どうやら葛葉が出かけた先で交代したのか、晴義は葛葉のロングスカート姿のままである。それでも何となく様になっている上に、うまいこと二人もナンパして事務所に連れてきているのだから恐ろしい男である。

「えっ、あのおじさん怖くない?」

「怖くない? え、怖い……」

 女性二人がひそひそと話しながら指さしているのは当然強面の陸奥峠のことで、悲しいことに家光のことは二人共気に留めていないようだった。

 それに対して陸奥峠は怒りこそしなかったが、心底呆れた、と言った様子で深くため息を吐いて見せる。

「……おい、そこの女装野郎」

「心外だな。これだけ似合っているんだから女装美青年だろ? なんなら美女でも良いよ」

 わざとらしくスカートを揺らしながらのたまう晴義をどつきそうになるのをなんとかこらえ家光はチラリと女性二人に視線を向ける。

「元いたところに返して来なさい」

「なんでさ。こんなにかわいいよ?」

「最後まで面倒見切れるのか?」

「出来るよ。お手伝いもちゃんとやる」

「……そうか。じゃあ元いたところに返して来い」

 ぴしゃりと言い放たれ、晴義は諦めたように肩をすくめると、二人を連れて事務所を後にしていく。そんな様子をしばらく眺めた後、陸奥峠は家光の肩にそっと手を置いた。

「家光。この件からははやいとこ手を引いた方が良いかも知れんぞ」

「……かもな」

 さて次は誰の状態で帰ってくるのやら……。考えるだけで頭痛がしてくる家光であった。





 家綱が事務所に来てから三ヶ月、家綱は家光の助手として探偵業を常に手伝っていた。

 家光の仕事は常に早い。その上元々一人でやっていた仕事なせいか、家綱の助けが必要な場面はほぼないと言っても過言ではなかった。

「何不貞腐れてんだよ」

 そんなある日、一仕事終えて事務所に戻った家綱は、帰るなり面白くなさそうにソファに座り込む。

「……別に、何でもねえよ」

「何でもねえ奴の顔かよそれは。ほら、さっさと白状しろ、飯抜くぞ」

「あ、汚ェ! 飯は関係ねえだろ!」

「不貞腐れた奴に俺の飯はやれんなぁ」

 そう言ってにやにやと笑みを浮かべて家光が隣に座り込むと、やがて家綱は諦めたように深く息を吐く。

「……俺、なんにも出来ねえなって」

「……なんだそりゃ」

 思いもよらない家綱の言葉に、家光は目を丸くしたが、家綱は真剣なのか表情が暗い。

「俺は出来る限り、アニキのために何かしてェんだよ。名前も、居場所も、全部アニキがくれたモンだから……」

「お前なぁ……」

 家綱がそんな風に考えているだなどと、家光は想像したことがなかった。成り行き上こうなっただけとは言え、いつの間にか家綱といるのが当たり前の日常になっていた。だから家光にとって家綱に何かしてやっている、何かを与えている、という感覚はほとんどない。家綱自身は何も出来ないと言っているが、こうして話す相手がいるだけでも家光にとっては大違いだったし、お茶くみや細かい家事、書類の整理等、家綱のおかげで助かっていることは山程ある。

「良いんだよそういうのは。大体、わずか数ヶ月でバリバリ仕事手伝われてもリアクションに困るわ」

「でもよォ……」

 冗談半分で始めた”アニキ”だったが、今となっては本当に弟のように思えて仕方がない。家光は穏やかに微笑んで見せると、家綱の頭をくしゃりとなでた。

「もう助かってるっつーの。ほら、飯作ってやるからその間に事務所でも掃除しとけ」

「……あいよ」


 このままでも良いのかも知れない。そんな思いがお互いの中にあり、そう思うまま日々は過ぎていく。それは穏やかで心地よいものだったが、家光はそれが嵐の前の静けさに過ぎなかったことを思い知ることになる。

 とある男が、七重探偵事務所を訪れたことによって。


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