襟裳岬(2024年編集)
~ 北海道浦河郡浦河町 浦河町警察署 ~
翌朝、時間通りに、迎えに来た楠木に案内され、浦河警察署長室に通されると、佐久間は、警察署長の千羽に、挨拶をした。
そのうえで、今回の事件について、経緯を分かる範囲で、説明する事にした。初動捜査で、地元の警察署の応援なくして、進展しないからである。
自殺か、他殺かを判断している過程で、警視庁捜査一課が絡む事になり、同署でも、高い関心を持っているようだ。事情を聞いた千羽は、驚きを隠せない。
「ついこの間、他人事のように、九条大河の、緊急記者会見を観ていたんだが、身近で、こんな事が起きているとは。それも、警視庁が捜査している事件が、お蔵入りの、未完小説と結び付くなんて、想定外の話ばかりだよ。いやはや、これこそ、正真正銘の、ミステリーですな。この七小節の詩を、どう読み解けば、犯行に結び付くのか、浦河警察署には、到底分からんよ」
「襟裳岬の周りで、防犯カメラは、設置されていますか?もしかすると、被害者の加納謙一が、死ぬ前に、単身で来たのか、犯人と来たのか、分かるかもしれません。昨夜、読んだ『オホーツクに消えた女』では、痴話喧嘩の口論の末に、男が主人公の女に、誤って崖から突き落とされ、死亡します。九条大河が、仮に、小説に準じた犯行計画をしたならば、同じ殺し方をしないとも、限りません」
楠木が、困った仕草をしながら、申し訳なさそうに、答える。
「襟裳岬には、防犯カメラはありますが、えりも岬観光センターと、記念碑近くにしか、設置していません。遺体が発見された場所も、後で案内しますが、観光客はもちろん、地元民だって、滅多に行かない崖下なんです。ちょうど、襟裳岬灯台と、遊歩道突端の中間に位置していて、身を、落ちそうな位、乗り出して、下の方を確認しないと、まず、分からない場所なんです」
(……ほう?)
「それは、確かに、分かり難いですね。よく、発見されましたね」
楠木は、首を横に振った。
「通報を受けて、総出で捜索して、やっと、発見したが、正解です。その通報も、実は匿名で、浦河警察署に、連絡が入ったんですよ」
(------!)
(------!)
「匿名電話が?男性ですか?女性ですか?」
楠木は、またしても、首を横に振った。
「ヘリウム声だったので、分からなかったと、電話を受けた者の、報告を得ています」
「逆探知は、どうでしたか?」
「十八秒で切れたので、不可能だったと」
(……絵に描いたような、手際だな。警察組織の事を、知り尽くしている)
「そうですか。差し支えなければ、、早速、現場検証したいのですが」
「ご案内しますよ。五十分程で、現場に到着します」
佐久間たちは、署内の関係者へ、一通り、挨拶を済ませ、浦河警察署を後にした。
昨夜は、暗くて分からなかったが、楠木の言葉通り、浦河警察署の周りは、僅かながら、建物があるが、殺風景である。行き交う車も、殆どなく、国道とはいえ、寂しい限りだ。
過疎化が進んだのであろう。廃虚となった小学校や、平屋建ての廃屋、商店、コンビニが目につく。
(北海道といっても、市街地と郊外では、人口密度の、温度差が凄い。だが、この解放感は、流石は、北の大地と言ったところだな)
「北の海は、見るタイミングが重なるのか、いつも、暗いイメージがありますね」
「そのイメージは、当たっていますよ。基本的に、真冬はこんな感じです。羅臼なんか行くと、もっと、海が荒れていて、怖いと感じますよ」
「羅臼って、あの流氷の?」
「ええ。襟裳岬なんて、羅臼に比べたら、全然、暖かい。体感温度も、二十℃くらい違います。羅臼の方からすれば、襟裳岬は、南国ですよ。でも、海に入っては、ダメですよ。七秒で、心停止ですから」
「七秒ですか、それは、怖いな」
他愛もない会話をしながら、佐久間たちを乗せたパトカーは、観音山を過ぎる。楠木は、意図的に、車の速度を下げ、解説を始める。
「ちょうど、この辺りから、行政管轄が変わります。国道名称も、浦河国道から、えりも国道に変わるんです」
「管轄境というと、アポイ岳、幌満峡が、この付近にありますな」
(------!)
山川が、得意げに、独り言を言った。
「中々、通ですね。山川さんは、この場所に、来た事があるんですか?普通の方は、どちらも知らない」
「いいえ、初見です。ただ、観光スポットは、結構把握しています」
(………?)
国道336号から、道道34号線に右折すると、楠木が、前方を示した。
「ここから、海沿いの側を、ひたすら真っ直ぐ、進みます。三十分くらいで、現着します」
「本当に、海のすぐ脇なんですね。波しぶきが、凄まじい」
「そうでしょう?北海道ならではです」
「山側の民家は、全て、漁業の方の家ですか?」
「その通りです。ガソリンスタンドなど、ありますが、もう、とうの昔に潰れてしまったので、寂しいもんです」
長い緩やかな坂を、いくつか通り過ぎて、緩やかな丘が、見え始める。
「雪景色で分かりにくいですが、この丘の先に、えりも岬観光センターがあります」
パトカーが、目的に到着した。
「ここが、襟裳岬です。夏であれば、日高山脈が美しい、自慢の観光地です。今はご覧の通り、雪しかないので、誰も寄りつきませんがね」
「雑誌では、見たことがあります。…空気が澄んで、良いところですな」
佐久間が、背伸びをすると、楠木は、微笑した。
「ありがとうございます。ところで、あそこに、小さく見える鐘は、何の為に設置しているか、ご存知ですか?」
(………?)
(………?)
「さあ、何の為ですか?」
「北方領土の返還です。襟裳岬は、道南ですが、根室の納沙布岬なら、国後島など、北方領土が、肉眼で見えます」
「それで、道中、北方領土の返還を求める、のぼり旗があったのですか。流石は、北海道ですね」
「さぁ、冗談は、この辺にして、現場を案内します。まず、灯台に向かいましょう。このかんじきを、履いてください。所々、雪が深いので、注意してください」
かんじきを履き、えりも岬観光センター駐車場から、襟裳岬風の館を通り、襟裳岬灯台まで歩く。雪が予想よりもあり、実際、深いどころではない。やっとの思いで、灯台に到着すると、楠木が、灯台から南東の、遊歩道突端を指差しながら、身を、少し前のめりで、説明する。
「この場所からは、直接、崖下を見ることは出来ませんが、方向的に南東、今、指差している所が、遊歩道の突端部です。ちょうど、この灯台と、あの遊歩道突端部の、中間地点くらいが現場です。これより、坂を下りて、近くまで行ってみます」
案内の元、今度は、襟裳岬灯台から、旅館みさき荘と、旅館山水閣前の坂道を下り、突き当たりを右に曲がる。目の前が、襟裳岬である。
「ここから、少し危険ですが、岸壁の間を歩きます。かんじきを取ってください。私と同じ、岩の足場に、足を入れて進んでください。万が一、海に落ちたら、瞬時に、上がってください。死にますよ」
流石の山川も、狼狽する。
「こんな所を、歩くと?…よくもまあ、現地に行ったもんだ」
「被害者の回収は、正に、命懸けでした。大勢で行っても、二次被害が出る、危険性が高いので、二人組で、現地に行って、ロープを掛け、ヘリコプターで吊り上げたんです。寒さと恐怖で、本当に大変でしたよ。『何故、こんな所で死ぬんだ。他にも、色々とあるだろう』と、呪いたい気持ちでした」
佐久間は、山川を引き留めた。
「山さん、無理をしなくていい。自分と楠木さんで、見てくるから、そこにいてくれ」
「警部だけ行かせては、辞職ものです。何とか、ついて行きます」
意を決し、三人は、慎重に、現地まで歩く。時化の時間なのか、波しぶきが、全身に降りかかり、ずぶ濡れになりながらも、二十分掛け、ようやく、遺体が発見された、崖下に到着した。
「ハアハア。極寒の海で、まさか命懸けで、現場検証するとは、夢にも思いませんでしたね。警部、確かに、ここなら、人はまず来ません。防犯カメラもないし、まさに死角となる、場所ですね」
「ハアハア。寒すぎて、意識を保つのがやっとだよ。山さん、加納謙一は、こんなところに呼び出されて、来られるだろうか?私が加納なら、死んでも来ないぞ。襟裳岬灯台からも、距離が離れているじゃないか。犯人が一緒に来たか、死体となって遺棄されたのか、どちらだろうと考えていたが、遺棄されたと、実感するよ」
「実際に来ないと、分からなかったですな。この状況じゃ、物的証拠を検証するどころじゃない。楠木さん、解剖結果は、出ているんですか?」
極度の寒さで、舌が上手く回らず、手の感覚が麻痺する。楠木も、同様らしい。
「この寒さでは、舌を噛むので、ゆっくり話します。近くに、無料の天然温泉が、湧いています。そこで、一度、暖を取りましょう。ここに長くいたら、凍死してしまいます」
「温泉か、やむを得まい。背に腹は、かえられない。山さん、行こう」
ほうほうの体で、来た道を、また二十分かけて戻り、何とか、車内に転がり込む。濡れた寒さに、震えながら、さらに、二十分かけて、山中の無料温泉に到着すると、ようやく、生きた心地がするのであった。
~ 天然温泉 ~
「いやあ、親は、北海道出身なんですが、普段、東京に住んでいるから、極寒の地が、これ程とは、夢にも思いませんでした。特に真冬は、外で捜査するだけで、死と隣り合わせなんですね。脱帽します」
「北海道だけが、特別じゃないのは、分かっているんですが、東北や北陸の豪雪地帯は、どこも、同じだと思います。それ故に、『真冬は、事件が起きないでくれ』と、誰もが、切望してるんです」
「本当ですな。こんな所で、被害者が、この時期に見つかるなんて。この場で、犯人を挙げたいですな。警部、今回は、大変勉強になりました」
「そうだね。温まったところで、やっと話が戻せます。解剖の続きを、聞かせて頂けませんか?」
楠木は、両手で、顔を拭うと、話を続けた。
「そうでしたね。鑑識官の話では、転落による頭部損傷が、直接の死因らしいです。薬の成分は、検出されていません。そのため、自殺・事故・他殺の、それぞれ、違う面から、捜査を開始していますが、これといったものが、掴めないのです」
山川も、顔を拭う。
「これが、九条大河の仕業なら、事故に見せかけた、他殺じゃないですか?」
(………)
「楠木さん。今、山川刑事が言った通り、私も、他殺の線が強いと思います。自殺・事故は、一度保留して、他殺説で捜査協力をお願いしたい。警視庁捜査一課は、早々に、警視庁に戻り、九条大河の関係者を、洗う事にします。浦河警察署は、お手数ですが、空港・列車・バスなどの公共機関で、加納謙一が、どのタイミングで北海道入りし、襟裳岬まで来たのかを、何とか調べて頂けませんか?足取りが追えないなら、違う場所で殺され、遺棄された可能性が、高くなります」
「分かりました。捜査情報は、適宜、警視庁に入れるようにします」
「捜査協力、感謝します。警視庁捜査一課も、分かった事は、浦河警察署に、情報提供します」
こうして、警視庁への帰途に、ついたのである。
~ 一方その頃、某出版社 ~
九条大河の作品を、過去に編集した担当者、九条大河の作品を、評価した評論家、九条大河と同じ価値観を持つと、評価された作家たちが、一堂に会している。
「…という内容です」
(------!)
(------!)
(------!)
「それは、凄すぎる!尾形弁護士、本当に、最後の一小節を、見つけた者は、九条大河、最期の作品の著作権利と、賞金一億円を、貰えるんですね?」
「ええ、その通りです。九条大河からは、先程、個々に手渡した、封筒内にあります、手紙に記載された通り、九条大河の指定された地域で、見事、見つけられた場合の褒美として、対価を支払われると、申し付けられました」
「指定された地域?…全員、違うのか?」
「詳しくは、分かりかねますが、最期のミステリー作品らしく、五地域に分散させたと、伺っております。皆さまに、お願いしたいのは、今、皆さまが、ご覧になっている手紙は、他人には、絶対に見せないでください。情報を話しても、共有しても、ダメです。九条大河の意向で、その時点で、権利剥奪と見なします。この点だけは、口酸っぱく、九条大河との契約で、私自身も、言われております」
「…契約?尾形弁護士も、九条大河と契約を?」
「ええ、取り交わしております。私の場合は、既に、契約に基づき行動しており、招集事案も、契約の一環となっております」
「尾形弁護士は、我々の、手紙の中身を知っていると?」
尾形弁護士は、やんわりと、否定する。
「いいえ、見てはいません。九条大河との契約には、『中身を、絶対に見るな』と、厳命されておりましたので」
(………)
(………)
(………)
「地域で、当たりとはずれが、ある訳か」
尾形弁護士は、微笑する。
「いいえ。九条大河の話では、どの地域も、当たりだそうです。見つけられるかが、鍵です。あなた達なら、解く事が出来る。そう、九条大河は、仰いました」
「どういう事だ?」
「ヒントを一つだけ、伝えるようにと、言付けられました。何でも、皆さまを、地域毎に分けたのは、各々が、その地域と作品に、関係が深い、という事らしいです」
(------!)
(------!)
(------!)
「…なるほど、そういう訳か」
「原田さん、もう分かったのかい!なあ、教えてくれよ?」
「おいおい、そんな事も、分からんのか?長田、お前は、何年、編集長をしてきたんだ?これぐらい、気付けよな。…おっと、これしか、教えん。俺は、このヒントだけで、他の奴らが、どの地域を選ばれたのか、何となく、想像出来たぜ。俺は、九条大河作品を読み尽くした、ベテラン評論家だからな」
(------!)
「そういう事ですか。今の空気感で、私にも、伝わりましたよ」
「馬場、お前は、余計な事を言うな。全員が、勘付くだろうが?」
「そう言う、青木編集長は、分かったのですか?」
「…ああ、ヒントはな。…それで、ここに集められたのが、何故、このメンバーなのかもだ。自分の読みが、正しければ、本当に、『最後の一小節が、存在する』と、確信したよ」
(------!)
(------!)
(------!)
ここで、尾形弁護士が、全員の口を、制止する。
「そこまでです!!それ以上は、情報漏洩と見なし、権利剥奪としますよ」
会場が、静かになった。尾形弁護士は、腕時計を見ながら、締めに入る。
「他に、質問はありませんか?なければ、最終説明に移りますが?」
「有効期間は、いつまでですか?」
「有効期間は、各自、一ヶ月です」
尾形は、全員に改めて、周知する。
「対応期間の条件だけ、皆さまにお配りしますので、全員、この機会を熟知したうえで、互いの接触は、避けるように、配慮願います」
○四月 馬場 公(副編集長)
○七月 青木哲男(編集長)、原田守(評論家)
○九月 川野隆司(評論家)、藁科悠一(副編集長)
○十月 長田太樹(編集長)、小川大樹(作家)
○十二月 加藤康成(作家)
会場が、どよめいた。最終組の加藤康成は、当然、尾形弁護士に、怒りをぶつけ、詰問する。
「不公平だ!最初の組が、どう見ても、有利だろ!」
尾形弁護士は、動じない。
「全く、問題ありません。正解者が、複数出た場合は、著作権利は、公平に抽選で決めますが、報酬の一億円は、各自に、支払われる事になります。九条大河からは、全員が正解された事を想定し、既に、八億円を、尾形弁護士事務所にて、預かっております」
(------!)
(------!)
(------!)
「おいおい、マジかよ!!あの女、昔から、守銭奴で有名だったよな?この為に、溜め込んでやがったのか」
「まあまあ、原田さん、良いじゃないですか?著作権利はともかく、平等に、一億円は入るんだから」
「私は、一億円、プラス、著作権利も、手に入れたいです。…妻のためにも」
「けっ、藁科は、新婚ラブラブってか?ご愁傷さま」
尾形弁護士が、全員に対して、釘を刺す。
「皆さまに、強く、申し上げておきます。各期間、公平を期す為に、違う月組の方との会話や、情報共有は、固く禁じます。九条大河は、皆さまの監視役を、ある専門機関に、生前に頼まれていたようです。各自の行動や言動は、盗聴・盗撮・尾行等、何でもやると、仰っていました」
「違う月組?という事は、同じ月組なら、情報共有は、有りなのか?」
「もちろんです。二人組にしたのは、ミステリーの特性上、個人の倍は、難しいですから」
「何でもやるって、プライバシーの、侵害じゃないか?個人情報は、守るべきだと思うんだが?」
「馬鹿か、藁科?これは、そう言うゲームなんだよ?嫌なら、降りな。まあ、母ちゃんとの、夜の生活には、気をつけるんだな」
(------!)
悔しいが、言い返す言葉がない。藁科悠一は、黙り込むしか、なかった。
「『顔を合わせるな』と言っても、同じ出版社に、勤務している者もいるんだ。仕事の内容次第では、会うかも知れない。この場合は、どうなるんだ?」
「その点なら、ご安心を。尾形弁護士事務所から、本日、各社の社長に、話を通してあります。皆さまの年俸と待遇は、会社側で保障され、この期間中は、互いに会わない地域へと、配属先が変わる手配になっているので、安心してください」
(……随分と、根回しが良いな。どこまで、九条大河や、尾形弁護士は、権力を持ってやがる?)
「では、皆さま。結果は、十二月の、加藤康成氏の番が終了してから、来年の一月五日、九条大河の死去発表日と同日付けで、記者会見を、同ホテル・同発表場所で開催し、世間に公表いたします。繰り返しますが、期間中に、ルールを破られた方は、即失格。お会いになった方も、即失格。異論はありませんな?」
全員が、声を合わせて、即答した。
「異議な----し」
かつてない事件が、こうして、幕を開けるのである。