オホーツクに消えた女(2024年編集)
~ 北海道 沼ノ端駅北口 ~
佐久間たちは、襟裳岬の現場に向かうため、まず、浦河警察署に指定された、様似町に向かっている。
羽田空港を後にし、新千歳空港へ着陸すると、新千歳空港から出る高速バスに乗り込み、苫小牧市北栄町にある沼ノ端駅を経由して、JR北海道バスで、様似へと向かうルートである。沼ノ端駅から様似までは、僅か六駅であるが、約三時間掛かるため、移動中、駅弁をつまみながら、時間を潰そうと話合った。
「警部、あと三分程で、出発です。バスの長時間は、ちと、腰が痛いですな」
(………)
「山さん、第一犯行の舞台は、何故、北海道なのだろうね。日本のどこかで、とは書いてあったが、遠すぎるよ。東京都在住の加納謙一が、襟裳岬まで、足を運んで、死んだんだ。観光ついでだとしても、こうも、狙って、人を殺せるものかね?」
「九条大河の関係者が、裏で操って、襟裳岬まで誘き寄せたか、単身赴任者であった加納を、現地で殺害しただけなのか、東京都内で殺害後、第一犯行に見せるため、襟裳岬まで運んで、遺棄した。この、どれかだとは、思いますが、判断が難しいですな」
「これが本当なら、九条大河の真意は分からないが、一小節目を見せつけるためだけに、犯行を行ったんだ。手紙にも、書いてあったしね。しかも、捜査一課の、緊張が緩む時期を、見計らう所は、私の思考に似ているよ。死んだ人間が、捜査一課の動きを予期しながら、犯行時期を設定したとは、考えにくい。もしかしたら、九条大河の名を借りた、犯行なのかもしれないね」
「と申しますと?」
「九条大河の手紙を、尾形という弁護士が、持参した時から、違和感を覚えていたんだ。弁護士は、九条大河と契約して、手紙の持参したと、言っていたが、果たして、その依頼者は、本物の、九条大河なのだろうか?もしかすると、九条大河を語る、別人に騙されていた事も考えられる。これまで、出版社以外の人間は、誰も、九条大河の素性を知らないからね」
(そう言われてみれば)
「東京に戻ったら、出版社に、顔写真を確認してみましょうか?」
「そうだね。九条大河の素性を、警察組織は、しっかりと、把握する必要があるね」
特急とまも号が、出発する。次のバス停、厚賀橋までは、一時間の道程である。
「山さん、到着は、十七時頃だったかな?」
「解説します」
山川は、得意げに、メモを取り出した。
「十時四十三分、羽田空港に到着。十一時二十分、定刻に、羽田空港を出発して、十二時五十分に新千歳空港に、到着。十三時四十七分、道南バスで、十二駅を経て、沼ノ端駅北口に到着。発車が、十四時二十五分ですから、浦河町役場を通過するのが、十六時四十九分で、目的地の様似には、十七時十五分に、到着予定です。東京駅からの、総時間は、待ち時間を含め、ざっと、計、七時間十一分の旅ですな。私は、平気ですが」
(…相変わらず、乗り物系、最強だね)
「流石は、山さん。では、早速、連絡しておこう」
佐久間は、浦河警察署の楠木に連絡を入れる。
「もしもし、警視庁捜査一課の佐久間です。予定通り、沼ノ端駅北口を出ました。十七時十五分には、様似に着けそうです」
「長旅、お疲れさまです。腰が痛いでしょう。様似ではなく、一つ前の、浦河町役場で降りてください。そこまで、迎えに行きます」
(………?)
「ええ、分かりました。よろしくお願いします」
「山さん、相手は、一つ前の、浦河町役場を指定してきたよ。どうしたのだろう?」
「どうでしょうな。最寄りでは、パトカーを使う理由が無くなるから、とかじゃないですか?」
(そんな感じは、しなかったが?)
JR北海道バス特急とまも号は、佐久間たちを乗せ、厚賀橋、新冠、静内へと進む。
「ずっと、海沿いを走りますが、大丈夫ですか?」
「真冬の北海道は、中々、来られないからね。感動すら覚えるよ。それより、また路線図を見てるのかい?」
「全国の路線図と地形を、リアルマップで見てるんです。唯一の道楽とでも、言いましょうか」
山川の言う通り、高速バスは、ずっと海沿いを走り続ける。
「北側は、遠くに雪山が見えるね。手前は、何だろう?」
「この辺りだと、牧場ですね。冬場だと、分かりにくいですが、夏は、雄大さを感じると思いますよ」
「あっ、山さん。海側に、大きな建物が見える。薄暗くなってきたが、多分、浦河町役場だ」
三畳程の可愛い小屋が、目印の、小さなバス停で降りると、浦河警察署の楠木が、路肩で、待機している。
「お目に掛かり、光栄です。ご活躍は、よく存じております。電話で話した、楠木です。もう暗くなりますから、今日は、手配した宿まで送ります。最寄りでなく、このバス停にして貰ったのは、手配したペンションが、このバス停からの方が、近いからなんです。ジンギスカンが格別ですよ。浦河警察署も、度々、利用しますので、味は保証します。今夜は、疲れを取って貰って、明日の朝一、宿まで迎えに行きますから、浦河警察署で顔合わせしてから、襟裳岬に行く計画で、宜しいですか?」
楠木は、吹雪いている中、早口で説明を済ませると、佐久間たちの手荷物を、パトカーの、トランクに入れる。
「助かります。本来なら、浦河警察署長に、まず挨拶するのが筋ですが、逆に配慮頂いたようだ。お言葉に甘え、今夜は、早く休んで、明日に備えようと思います」
(流石は、佐久間警部。浦河警察署の事情を察したか)
パトカーは、バス停を出発すると、国道235号優駿浪漫街道経由で、ペンションに向かう。佐久間は、向別川を北上する道中で、ふと楠木に尋ねてみた。
「この辺りは、随分と静かですね」
「田舎でしょう。ここらで都会といえば、室蘭ですからね。来て頂いて、お分かりだと思いますが、どんどん人気が、無くなっています。浦河警察署がある所も、そうなんですが、局部的に建物があるだけですよ。住宅も、道道481号線沿いの窪地に、集中しているだけですから。観光も、襟裳岬くらいしか目立ちません。この地は、漁業・畜産業・観光業で、保っているようなもんです」
「そうですか、大変ですな。……捜査一課に、電話入れても、大丈夫ですか?」
「ええ、どうぞ。ここら辺は、まだ電波も入ります」
都心と違い、懐具合が寂しいのだろう。尋ねたのは良いが、返答に苦慮してしまう。佐久間は、空気を入れ替えるため、車窓を少し開け、安藤に、一報を入れた。
「はい、捜査一課、安藤だ」
「課長、お疲れ様です。今、最寄りのバス停に着きました。明朝、浦河警察署で、顔合わせしてから、襟裳岬の現場を、確認しようかと思います。そちらは、何か、進展がありましたか?」
「お疲れさん。流石に、襟裳岬は遠かっただろう?ゆっくり休んで、捜査してくれ。そうそう、九条大河の作品で、今回の事件に、近いものがあったぞ」
(------!)
「見つかったんですか?」
「ああ。襟裳岬と聞いて、北海道に絞って、作品を探したら、該当するものが出てきたよ。『オホーツクに消えた女』という作品だ。そちらに本屋があれば、読んでみると良い。中々、興味深いぞ」
「そうします、では」
「楠木さん、申し訳ないが、どこか、大きめの書店は、ありませんか?明日の捜査で、参考になりそうなんだ」
「書店ですか?…この時間なら、ギリギリ、閉店に間に合うかもしれません。少し遠回りになりますが、案内しましょう」
(北海道は、そんなに早いのか?まだ、十七時三十五分だぞ?)
楠木に、書店まで案内してもらい、小説を購入したところで、早々とシャッターが締まる。地域性を感じ、購入出来た事に、胸をなで下ろしながら、今夜の宿に、到着した。楠木が、店主に話をつけてくれ、中に案内される。
「では、荷物は、玄関に置きます。明日、八時に、迎えに来ますので、ゆっくりされてください」
「色々と、助かります。では、また」
(………)
佐久間は、楠木が去るのを、見届けると、山川に詫びた。
「山さん、一刻も早く、この小説を確認したい。悪いが、私の分まで、夕食を食べて、ゆっくりしてくれ。風呂も、先に入ってくれ」
「性分ですな、お言葉に甘えます」
佐久間は、黙々と、小説に目を通す。
食事を済ませた山川は、佐久間に、コーヒー牛乳を差し入れた。
「警部、私の方は、終わりました。宜しければ、変わりますよ」
「良いんだ、山さん。それより、内容が掴めてきたよ」
「早いですな、流石は、警部です」
「オホーツクに消えた女は、要約すると、このような内容だ。札幌で駆け落ちした、井上一恵と衛藤宗佑が、襟裳岬で口論となり、井上一恵が衛藤宗佑を、襟裳岬の崖から、誤って突き落としてしまった。衛藤宗佑は死亡し、井上一恵は、後追い自殺を図ったが、一命をとりとめた。その後、衛藤宗佑との間に、子供を授かった事を知った井上一恵は、シングルマザーとして、後生大事に育てるというものだ。生活苦でも、懸命に子供を育てる、苦悩と葛藤を、表現する文面も素晴らしいが、子供が巣立った時に、育て終えた井上一恵が、亡き夫に語る台詞が、心の奥まで染み渡り、感情移入してしまうよ。…話が逸れてしまったが、この部分を見て欲しい。大変興味深いんだが、口論となった時間は、十七時過ぎとある。どういう事か分かるかい?」
「十七時過ぎですか。夕方くらいしか、思いつきません」
「関東では、まだ夕方だ。でも、北海道の、日の入り時刻は早い。浦河町役場で、バスを降りた時、景色はどうだった?」
「日没前でしたね」
「そうだ。浦河町役場の下車時刻は、十六時四十九分。その時点では、まだ日没前だった。道中、課長に電話して、本屋のやり取りをしたのが、十七時三十五分。外は、真っ暗だった。捜査会議で議論した時、蒼の時間帯は、日没から完全に闇に変わる、僅かな時間帯だったはずだ。詩の表現通り、この地域では、正に、十七時から十七時三十分までが、蒼の時間なんだ」
(------!)
「では、九条大河は、この作品を書くにあたり、この地を訪れて、蒼の時間を検証したと」
「当然、そうなるね。執筆するにあたり、現地を下見するのは、作家の性だ。九条大河は、本州ではなく、この、北の大地を選んだのは、日没時刻が早い点以外にも、実際に、この過疎した温度感と、都会への嫉妬や、羨望を引き出すに、適した所だと、目の当たりにしたからだと、思うんだ。身の凍る夜空と、荒々しい海が、より一層、真冬の、厳しい北海道を、連想させるしね」
「では、この作品を、警察組織が先に見つけていたら、加納謙一は、死なずに済んだんですかね?」
「いや、期間的に無理があった。結果論で、北海道に絞って、やっと、判明したんだ。実際のところ、一小節目の犯行が、北海道で起こることは、誰もが、予想出来なかった。関東圏内で起こると判断し、捜査していた、捜査一課の完敗だ」
(しかし、一人目は、北海道か。九条大河の性格が、掴めない以上、もしかすると、全国を飛び回る事になりそうだ。やはり、詩とリンクする作品を、如何に把握するかが、……鍵か)
旅の疲れで、思案しながら、意識が遠のく。




