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紅の挽歌 ~佐久間警部への遺書~(2024年編集)  作者: 佐久間元三
佐久間の罠
27/28

親愛なる者へ(2024年編集)

 ~ 十二月二十四日。愛知県警察本部 ~


 世間は、クリスマス・イヴを謳歌している。


 この日、愛知県豊田市では、九条大河、最期の作品『紅の挽歌』が、完結を迎えようとしている。


 愛知県警察本部の大会議室にて、警視庁と愛知県警察本部合同の、他部門も含めると、延べ七十二名による、最後の捜査会議である。


 安藤が、冒頭挨拶を行う。


「諸君、ご苦労である。早いもので、合同訓練している内に、とうとう、この日を迎えてしまった。泣いても笑っても、本日の可否は、全員のチームワークに懸かっている。今までの予行訓練を思い出し、万全の状態で臨めるのも、愛知県警察本部あっての事である。同じ組織として、深く感謝する。これから、最後の捜査会議を行うが、万事抜かりなく、遂行される事を切に願う。…では、佐久間警部。始めよう!」


「それでは、作戦をおさらいしましょう」


 加藤康成の身柄を、確保した佐久間は、その場で策を練った。発想は、その日のうちに、愛知県警察本部と警視庁に伝えられ、安藤から警視総監へ上申し、許可を得ると、発想の具現化をする為の、必要な手配を、各部門に指示した。十二月二十四日まで、十日を切っていたが、予行訓練を何度も繰り返し、練度を上げる事で、各チームの連携を図り、万全の体制を作りあげたのである。


「…以上が、作戦の最終確認です。今日は、派手な演出もあります。報道陣の対策は、先程話した手順で、抜かりなくお願いします。万が一の場合は、プランBで行い、意思決定から情報発信まで、一元化するので、指示に従ってください。そして、演出後、真犯人が動く前に、この瞬間に、この事件、…いや、このミステリー作品を、終わらせます。では、各班のリーダーは、質問をどうぞ」


「A班の松田です。我々の持ち場は、逢妻男川の若林駅側、この地点です。B班からも、同様な質問が出るかもしれないですが、仮に、若林西町の交差点側から、侵入された場合、わざとやり過ごし、この地点で、確保でよろしいか?」


 佐久間は、丁寧に回答していく。


「当然の質問です。何度も調べましたが、この交差点を通る県道56号線と、B班が受け持つ県道232号線は、二十二時頃までは、交通量が多いですが、二十二時を過ぎると、極端に少なくなります。演出が起こるのは、この地点です。騒ぎを聞きつけ、人が集まるのは、鴻掛・竹ノ下・高美町の、この路線です。おそらく犯人は、二十二時少し前に、やって来るので、わざと通過させて頂きたい。消防本部とも、話合って、手筈は整っています。鴻掛地区は、この位置に、竹ノ下と高美町地区は、この位置に、消防車を配置して、道路を封鎖します。なので、A班は、1丁目の、この路地より突入し、B班は、丸林地区の、石仏苑脇の道路から突入し、挟み撃ちをお願いします。演出の開始時刻は、二十二時十五分ちょうどです。頃合いを見て、無線連絡を入れますので、訓練通り、三分以内に、目標地点に突入すると共に、突入班以外は、一斉に、全通路を封鎖してください」


「A班、了解しました」


「B班の海野です。各持ち場には、何時に集合しておけば、よろしいか?」


「各自、持ち場には、十九時頃には入ってください。ここでお願いしたいのが、犯人に、現地入りを悟られたくないので、五名毎に分けて、十分程度は、空けてください。電車で移動する者、タクシーで移動する者、分散する点だけ、注意頂きたい」


「B班、了解した」


 安藤からも、質問が挙がる。


「演出が、予想以上だった場合の対応は?報道陣も、黙っていまい?」


「その点は、大丈夫です。対応レジメを用意しました。それに沿って、事に当たって頂ければ、上手くいきます。消防車や関係車両も、二十二時十五分の合図を皮切りに、一斉配備する手筈です。また、不測の事態には、最寄りの施設から、応援部隊として、二十台確保してありますので、万全です」


「それなら、万全だな」


 その後も、細かい調整と説明が行われ、各自が、配置と動きを復唱していく。所管の垣根を越え、確認する様を見て、佐久間も、この作戦が成功すると、確信した。


「では、皆さん。冒頭で、課長が仰った通り、泣いても笑っても、一回限りの大勝負です。全員、無傷で、無事に遂行しましょう。健闘を祈ります」



 ~ 十九時、豊田市某所 ~


 愛知県警察本部で待機する課長と、捜査員を除く、延べ六十名が、所定の配置についた。川沿いは、風が強く、凍てつく。


 佐久間と山川は、あんパンとホットコーヒーで、腹ごしらえを済ますと、まだ静かな町並みを、眺めながら、時間が過ぎるのを待った。こうして見ると、平和なクリスマス・イヴだ。桟橋で、腕を組みながら歩くカップルが、微笑ましい。


「今までで、最大規模になりましたな。正に、総力戦です。ですが、よくここまで、大それた事を思いつきましたな。犯人が、ある意味、気の毒に思えます」


(………)


 タバコを咥えた佐久間は、暫く何かを考えているようだ。


「…本当に、長い道のりだった。九条大河への、私からの、ちょっとした鎮魂歌(レクイエム)だよ。全国行脚もしたし、何度も空振りさせられたり、尊い命も、奪われたが、それも、今日で決着がつく。最後は、警察組織(我々)の完全勝利だがね」


「時が経つのは、早いですな。思えば、襟裳岬が発端でした。あれは、寒かったですな」


「寒かった。それに、このような結末を迎えるとは、夢にも思わなかったよ」



 ~ 二十二時、豊田市某所 ~


(…時間だ)


「佐久間より、全捜査員へ。これから間もなく、火の手が上がるはずだ。予定では、十五分としているが、遅くなる事も視野に入れ、全員、そのまま待機を維持せよ。火の手が上がった瞬間、突入の合図を送る」


「A班、了解」


「B班、了解」


 二十分が経過。予想に反し、火の手が上がらない。山川は、落ち着かない様子で、その場をウロウロするが、佐久間は、事の起こりを、静かに待った。


 さらに十分が経過し、しびれを切らした山川が、タバコを口に咥えた、その時である。


「ボワアァァ」


(------!)


(上がった!)


「佐久間より、全捜査員へ。たった今、火の手を確認。手筈通り、A班ならびにB班は、目標地点へ突入せよ。繰り返す、A班・B班は、直ちに、目標地点へ突入せよ。応援部隊は、全路地を完全封鎖。規制線を張り、ネズミ一匹侵入させるな。焦らず、予行訓練通り、発揮されたい」


「A班、突入します」


「B班、突入。お任せあれ!」


 各方面から、一斉に突入すると同時に、周辺の路地が封鎖され、規制線が張られていく。二分後には、配備された消防車が、赤色灯とサイレンを鳴らし、現場へ急行する。


 小さな火の手は、乾燥した風に乗り、たちまち、紅蓮の炎が、旅館を包む。佐久間は、その様子を、冷静に、反対側の護岸から見届けた。


「警部、思ったよりも、火の回りが早いですな!」


「油を撒いたのだろう。見ろ、山さん。消防車が、もう消火活動を始めるぞ。最高のタイミングだ!」


(良し、次の段階だ)


 佐久間は、直ぐさま、一報を入れた。


「課長、お待たせしました。予定通り、火災となりました。報道陣の対応をお願いします。…ええ、そうです。映画撮影だと、お話ください。警察と消防で、特別許可を出し、現在、撮影の為、周辺道路を封鎖していると。…はい、問題ありません。よろしくお願いします」


 来年の四月に、廃業する旅館を、警視庁と愛知県警察本部で、折半して買収し、犯人確保の為に用意した旅館施設が、火災となるが、対外的にも、映画撮影を主張しながら、消火活動を行い、退路を全て断ったうえで、犯人の確保を行う。


 これが、佐久間が練った、苦肉の策であった。


 旅館施設は、パチパチと音を立てながら、崩れ始めている。持っていたラジオで、地域情報を選択すると、警察本部発表の様子が、流れている。報道陣への対応も、順調なようだ。佐久間は、消防車が、放水する様を、静かに見届けながら、ただひたすらに、仲間を信じて待つ。


「警部、まだ連絡が来ませんね」


「…まだ想定内だ。これで、岡元たちが、犯人を挙げてくれれば、この場所は、解決する」


 それから、八分後。


「こちら、A班。岡元刑事と共に、犯人を確保。繰り返す、たった今、犯人を確保」


(------!)


(良し!)


「こちら、佐久間。犯人確保確認。全員、無事か?」


「A班、異常なし」


「B班は、一名、風に乗った煙を吸い、現在治療中だが、問題ないと思われる」


「了解、治療中の捜査員は、無理をせず、離脱してくれ。皆、ご苦労だった。消火活動は、消防に任せ、各隊の班長と、精鋭部隊、岡元刑事は後ほど、例の場所で」


「各班、了解した。では後ほど」


 無線を切ると、二人は、固く握手を交わした。


「山さん、ここまでは予定通りだ」


「怖いくらいです。練習した通り、あの場所ですか?」


「ああ、あの旅館施設に火を放った犯人が、人目を避けて逃げるには、二つの経路しか、無いからね。規制線の緩い部分に、予定通り、逃げ込んだ形だ。まんまと、罠に掛かってくれたよ」


 佐久間は、腕時計で、現在の時刻を確認すると、次の行動に入る。


「今度は、捜査一課(我々)の番だ」


「ええ、行きましょう!」



 ~ 二十三時二十分、豊田市 ~


「ピンポ---ン」


 静寂な闇の中で、インターホンが鳴り響く。しばらくすると、応答があった。


「…どなたかな?こんな、深夜に」


「夜分遅くに申し訳ありません。警視庁捜査一課の、佐久間です」


(佐久間警部?)


「ちょっと待ってくだされ、直ぐに開けます」


 自宅の方から、パタパタと足音が近づいてくる。寺の内門が開き、和尚が、佐久間の前に出て来た。


(------!)


 待機中の捜査員二十五名が、大樹寺を取り囲み、眩い照明が、二人を照らす。和尚は、手を翳しながら、佐久間に詰問した。


「こんな深夜に、何の騒ぎじゃ?幾ら何でも、横暴過ぎるじゃろうて」


「和尚、申し訳ありません。これから起こる事も、どうか、我慢して頂きたい」


(何をする気じゃ?)


「境内は、通さんぞ」


 和尚は、佐久間が、境内に入る事を拒み、両手を広げて、阻止する姿勢だ。そこで佐久間は、用意していた拡声器で、寺の敷地内に、呼びかけた。


「中にいる事は、分かっていますよ、伊藤翔子さん」


(------!)


 和尚は、僅かに、眉根を寄せる。


 和尚が、どのような行動に出るか、分からないので、佐久間は、しばしの間、成り行きを見守った。しばらくすると、正門がゆっくりと開き、ガウン姿の伊藤翔子が、寒そうに現れた。


「こんばんは、伊藤翔子さん。…いや、九条大河さん。間違いありませんね?」


(………)


 不安な様子で、見つめる和尚とは裏腹に、伊藤翔子は、クスッと微笑んで見せた。周囲の捜査員たちも、伊藤翔子の挙動に注目し、その場で待機している。照明の角度が下げられ、佐久間たちを照らす。


「お見事!…何故、分かったの?」


 佐久間は、真っ直ぐに、九条大河を見つめて、答え始めた。


「…完璧過ぎたからですよ。和尚に、お目に掛かった後で、あなたに、会った。和尚の、『色即是空』の解釈を、瞬時に答えたあなたは、聡明で、とても素晴らしかった。…いや、素晴らしすぎたんです。あの回答は、『何か、おかしい』と、違和感を覚えました。それに、伝言に、あの言葉を、わざわざ使うでしょうか?和尚らしくて、良いかもしれませんが、『二人だけに共通した、何かの暗号かもしれない』と、疑ったんですよ。それと、もう一つ。アトリエを訪れた際、あなたの部屋とあなたの存在が、これまた微妙に、馴染み切っていないと、肌で感じたんですよ。決定的だった事は、和尚から聞いた、伊藤翔子のイメージと、対面した時の伊藤翔子のイメージが、正反対だった事です。話を聞く限り、姉想いの、虚弱で、内向的な伊藤翔子が、フレグランスに包まれて、太陽の様な、輝きを見せた。これが、あなたの一番の誤算です」


 和尚は、真っ向から否定する。


「ここにいるのは、真澄なんかじゃない。翔子、誤解を与えかねない。もう黙りなさい」


 佐久間は、和尚の発言を遮った。


「黙って、話を聞いてください、和尚。まだ、続きがあります」


「聞くわ、話して」


「違和感を覚えた私は、川上真澄、伊藤翔子の生い立ちから、養子縁組となり、成人になるまでの記録を辿ってみました。お二人の生い立ちは、本当でした。養子縁組も、事実。では、この違和感は、何だったのか?私は、懸命に、記憶を辿りました。そこで、思い出したのが、写真なんです」


「写真?どういう事かしら?」


「和尚の家に、お二人の写真がないんです。単に、飾らないだけかもしれない。でも、高校、専門学校と辿っていって、やっと、お二人の写真を見つけたんです。…お二人は、一卵性双生児ですね。ぱっと見は、分かりません。専門家が比較して、やっと見分けがつく位、川上真澄と伊藤翔子は、似てるんです。あなたは、それを武器とした。病死したのは、川上真澄ではなく、伊藤翔子だったんです」


「なるほど。伊藤翔子の死を、逆手に取って、復讐計画をした訳か。でも警部、どうして川上真澄(この女)は、復讐を企てたのですかね?」


(この女?)


 川上真澄が、この言葉に、怒りを露わにして、噛みついた。


「作品を見下したり、貶したり、妹に手を出した挙句、薬漬けにしたからよ。作品の盗作や引用は、日常茶飯事の世界で、それでも、何とか我慢した。評価してくれる読者もいれば、最低と罵る評論家もいた。私だけなら、我慢出来た。でも、たった一人の、血が繋がった妹を、貶めた奴は、どうしても赦せなかった。それだけよ。あんたみたいな、がさつな刑事が、勝手な思い込みで、決めつけないで!」


 いつもの山川なら、言い返されたら、力で押さえつけるのだが、虎の尾を踏んだと反省し、発言を避けた。


 佐久間は、首を横に振る。


「それも、理由の一つなのだと思いますが、まだ他にも、理由があるはずです。では、皆さん、集合してください」


(------!)

(------!)


「どうして!」


 川上真澄の前に、川野隆司、加藤康成、そして、柴田智大が現れた。


 捜査員たちは、この者たちが、何を意味するのか、事情が掴めず、首を傾げた。


「九条大河さん、これから、私の推理をお話しします。異論は、後で伺いますので、最後までお聞きください」


(………)


 佐久間は、全員に聞こえるように、敢えて間をおき、ゆっくりと話始める。


「あなたが、この犯行を計画したのは、先程の理由で、間違いないでしょう。でも、本来の目的は、違ったはずです。あなたは、柴田智大と付き合う中で、『紅の挽歌』を執筆していた。だが、柴田と仲違いして、会わない時間が生じた。その間、加藤康成に口説かれ、加藤の甘い誘惑に、心が動いてしまった。そして、あろう事か、作品の一部を、盗作されてしまったんです。本来、この作品は、柴田の出版社で、発表する計画だったはずです。何故、加藤に口説かれたか、不思議に思うかもしれません。種明かしすると、加藤と話をした時に、加藤が、九条大河(あなた)の事を、『彼女』と呼んでいました。今までの関係者は、皆揃って、九条大河(あなた)の事は、先生と呼んでいましたので、些細な事ですが、違和感を覚えたのですよ。そこで私は、加藤を問い詰め、やっと、この事を知り得ました」


(………)

(………)

(………)


 加藤は、赦しを請うように、土下座する。


「加藤に口説かれ、不覚にも、一部を盗作された事を知った時、あなたは、自責の念に駆られましたが、今更、柴田の元には、戻りたくても戻れなかった。自分の犯した過ちで、失意のどん底にいた時、さらに、悲劇が生まれました。血の繋がった双子の分身、唯一の妹が、薬漬けと、ガンという病に冒され、余命が無い事が、分かったのです。しかし、妹は、あなたに話したはずだ。『自分の死を踏み台に、もう一度、人生をやり直せ』とね。そう考えないと、筋が通らないんです。あなたは、非情になり切れる者ではない。苦渋の選択だったはずです。それを和尚に相談し、あなたの、苦しみを知った和尚も、娘の心を救う為、血の涙を流して、協力する事にした。違いますか?」


(………)


 沈黙していた九条大河は、観念して、語り始めた。


「推理の通りよ。柴田さんの出版社で、最新作を出す予定が、私のせいで、ご破算になって、柴田さんの顔に、泥を塗る事になったわ。私は、翔子の死を、自分の死に変えて、発表する事で、お蔵入りになる方向で、話を進めれば、まだ何とか、柴田さんの立場が、保てると考えた。悪いのは、全部、私。そうでもしないと、柴田さんに、顔向けが出来ないと、考えたわ」


(………)

(………)

(………)


 柴田が、九条大河に、言葉を掛けた。


「僕だけじゃない。…辛かったんだな、君も」


 山川が、川野隆司を指差し、不思議そうに尋ねた。


「警部、この二人の事は、事情が分かりました。では何故、川野が、ここにいるのですか?」


 九条大河は、途端に、下を向く。


 佐久間は、九条大河の前に立ち、視界を遮りながら、話を進める。


「それは、この事件が、全て、川野隆司の犯行だからだよ。つまり、真犯人という事だ」


(------!)

(------!)

(------!)


(………)


 殆どの者が、川野に視線を向ける中、川野は、一切、動じない。推理を聞いてから、反論するようだ。


『空回りした川辺には、藤原南家が

 滅ぶとき、仏と一緒に、帰郷する』


「この詩は、実をいうと、藁科だけが、死ぬ設定だったんだよ。物語でも、そうなっている。最後の最後に、親友だと思っていた男に、裏切られて溺死する。『仏と一緒に、帰郷する』は、文字通り、死者を連れて帰る、つまり、生きた人間なんだ。この事から、二人死ぬ事はなく、一人だけ、余計なんだよ」


「警部は、いつから、気づかれていたんですか?」


「病院で、川野を見舞った時だ。尾形が死んだ事を告げた時、驚いた仕草を見せたが、胡散臭くてね。もしかすると、『初めから、演技をしているかもしれない』と疑ってみた。日下に、誰にも悟られないように、一小節目の犯行から、川野に特化して、調べさせたんだ。すると、事件現場から、最寄りの空港や駅で、監視カメラに映った川野を見つけ、私の仮説は、確信に変わった。だから、加藤を保護した時に、岡元刑事に頼んで、川野を連れてきて、貰ったんだよ」


「あれ?では、旅館に火を放って、逮捕されたのは、誰ですか?その者が、真犯人だと、てっきり思っていましたが?」


「逮捕されたのは、探偵だよ。それも、山本の指令ではなく、別の探偵、つまり、川野が雇った者だ」


(………?)


「はて?どういう事ですか?」


「山本が雇った探偵は、加藤が元々、宿泊していた宿の近くで、死体で見つかっている。これは、愛知県警察本部だけが知る事実だ。内部で捜査情報が漏れない様に、私から頼んで、伏せて貰った。川野は、最後は、自分で雇った者で、加藤のトドメを刺そうと、思ったのだろう」


(………)


 川野は、まだ黙っている。


 佐久間は、振り返って、九条大河に話掛ける。


「川野の存在は、九条大河(あなた)も、想定してなかったはずだ。復讐リストに入れても、邪魔なだけです。おそらく、早い段階で、川野は、柴田と加藤の間で揺れる、九条大河の心情を知ると、これを利用して、強請ったのだと思います。『逆らえば、柴田を殺す』とね。そして、ミステリー仕立てに、川野が殺人を楽しめる様、強引に計画させた。また、川野自身も、この企画に参加させろと、強要したのだと、思います。だが、初めから最後まで、殺しを楽しむ為には、一工夫する必要があった。関係者の中から、自分が離脱したと、見せかける為に、仮死状態になるよう、手を打った。こうする事で、捜査線上から消えた川野は、捜査の盲点をついて、残りの殺人をしていく。…そんなところでしょうか?九条大河(あなた)は、どうしても、川野に逆らえなかったんですよ」


「何て、野郎だ。警部、この男、異常者ですよ」


「川野の事を、徹底的に調べたよ。この男は、若い頃から、度々海外へ渡航している。足取りを追ったんだが、共通して分かった事は、軍の要請施設がある所ばかりだ」


「要請施設?」


「ああ、日本では、自衛隊に所属しない限り、訓練を受けられないからね。殺人をする為、海外へ渡航して、殺人をする為の訓練を積んだのだろう」


(……くっ、くっ、くっ)


 川野隆司は、唾を吐き、大笑いした。


「へぇ、大したもんだ。ああ、そうだ。お前の推理は、見事過ぎて、反吐がでるよ。良いか?この女はな、二人に身体を許した、淫乱女だぜ。俺にもさせろと、強請ったが、ダメだったがな。だから、人殺しで、我慢してやったんだ。作品としては、まあまあだったぜ。小節数が多いから、好きなだけ、人を殺せるし、スリルがあった。捕まるか、捕まらないかの、究極の狭間で、人を殺す快感。警察組織(お前ら)は、どの小節も、あと一歩のところで殺されて、指を咥えていたよなあ。善良なる市民が、無駄な税金を、阿呆な警察組織(お前ら)に、注いだってのに、全部、無駄だったよな?」


 山川は、拳を固くする。


「警部、どうしても、ぶん殴りたいんですが、よろしいですか?」


「まだだ、山さん。許可しない、我慢しろ」


「ん?そこの、サルっぽい刑事、殴りたいの?良いぜ、殴れよ、幾らでも。おい、九条大河。俺はな、本当は、ナイフで、身体を切り裂く殺人をしたかったんだ。それを、転落死だの、絞殺だの、溺死だの。面倒な事ばかり、書きやがって。もう少し、殺人者の目線で、物語を書けよ。巨匠だの、文豪だの、言われる割には、現実味が足りないんだよ。黙って俺に従えば、幾らでも、良い作品が書けるぜ?」


(………)


 九条大河は、下唇を巻き込んで、噛むような仕草を見せる。


 その時である。


 柴田智大が、懐に忍ばせていたナイフで、川野の左腕を刺したのだ。


(------!)

(------!)

(------!)


「グワァァァ---」


 左腕が、たちまち血で染まる。全員が虚を突かれ、動けなかった。数秒して、近くの捜査員が、柴田を取り押さえた。


 柴田は、一切抵抗せず、のたうち回る川野と、項垂れる九条大河に、言葉を掛けた。


「それくらいじゃ、死にはしないよ。死んだ者たちは、もっと痛かったと思うぞ。情けないな、男なら、それ位で、オタオタするな。……真澄。これで、お相子だ。お互い、犯罪者だし、刑務所から出てきたら、もう一度、出会うところから、やり直そう。…今度こそ、一緒になろう」


(------!)


(…智大さん)


 九条大河は、力強く頷き、声を出して泣いた。柴田は、その様子に満足し、佐久間に頭を下げる。


「佐久間警部、お世話になりました。真相が分かって、やっと、赦せました。九条大河(彼女)の痛みに比べたら、私たちの痛みなど、大した事ではありません。そうですよね、加藤さん?」


(------!)


「…赦してくれるんですか?この私を?」


「…ええ、お互い、辛い思いもしましたが、前を向きましょう。なっ、真澄?」


「うん、加藤さん、もう良いんです。復讐劇も、もう終わり」


 しがらみが解消され、三人は、互いに、強く抱き合った。


(パチパチパチパチ!)


 川野を除く、全員が、拍手で、これからの未来を期待する。だが、川野は、おどけながら、九条大河の未来を否定して見せた。


「おいおいおい、馬鹿か、お前ら?九条大河(こいつ)は、大量殺人の立案者だぜ?殺人教唆で、死刑だよなぁ?どう考えてもさ。はあ?明るい未来?そんなもん、どこにもねぇぞ。俺と一緒に、死刑になろうや。死刑になる前にさあ、一発やらせて貰って、刑務所の中で、俺と結婚しようや」


 それを聞いた佐久間は、失笑して見せた。


(------!)


「何がおかしい?殺すぞ、なぁ、おい!」


「おい、川野。お前は、何を勘違いしているんだ?九条大河は、小説を書いただけだぞ。『紅の挽歌』を創造し、恨み節なども、全て小説のことだ。まあ、警察組織(我々)に誤解を与えた点や、尾形弁護士に指令を出した事は、物的証拠があるから、そこだけは、罪に問われるかもしれないが、実際の犯行には、全く関与していないから、不起訴もあり得るんじゃないのか?監視・盗聴・盗撮は、尾形弁護士事務所の者たちが、勝手にやった事だしな。そもそも、九条大河は、事件など起こしたくなかったんだ。お前に、『婚約者を殺す』と強請られ、無理やり、小説を提供させられた。和尚だって、同じだ。この分なら、情状酌量が認められて、不起訴になるだろう。お前だけは、絶対に死刑だろうがね」


(------!)

(------!)

(------!)


「なっ、何だと?そんな馬鹿な?お前ら全員、人の話を、ちゃんと聞いていたか?ありえねえ!」


 関係者が、全員、冷ややかな目で、川野を見つめる。その様子に、痺れを切らした川野は、拘束を振り解くと、大声で叫んだ。


「絶対、このままじゃ、死なねえ!これなら、どうだ?」


(------!)

(------!)

(------!)


 川野は、ポケットから、起爆装置を取り出し、高々に掲げる。全員が、それを悟ると、一斉に下がった。和尚は、九条大河を、抱きかかえながら、佐久間の背後に、身を寄せた。


 佐久間は、表情を変えず、川野の説得を試みる。


「起爆装置を離せ。これ以上、罪を重ねるな」


「うるせえ!どうせ、助からんなら、全員仲良く、あの世に行こうや!」


 現場が、瞬時に凍り付く。捜査官全員が、発砲態勢のまま、佐久間の号令を待った。正に、一触即発である。


(………)


 佐久間は、右手で、『待て』を示し、全員が、態勢を維持している。


 佐久間は、ゆっくりと、川野に歩み寄る。


「くっ、来るなぁ!本当に、押すぞ?」


(………)


 佐久間は、全く動じず、歩を止めない。


「ああ、構わん、押してみろ!」


(いかん!)


 山川が、佐久間を説得しようと、大声で叫んだ。


「警部、下がってください!その位置では、即死です、吹っ飛びますよ!!」


(………)


 山川の制止も効かず、ついに、二人は対峙した。


「馬鹿なのか、お前は?あと一歩でも、動いたら、お陀仏だ」


 脂汗を垂らしながら、起爆装置を持つ、川野の手が、震えている。


(………)


「…爆発しないよ。私を、誰だと思っている?とうの昔に、解除しておいた」


(------!)

(------!)

(------!)


「デタラメを言うな、この野郎!!」


 川野は、心の中で、この世に別れを告げ、起爆装置を押した。


(------!)

(------!)

(------!)


 ボタンを押す、空しい音だけが、一体を支配する。


「だから、そう言ったじゃないか?」

 

 次の瞬間、山川、岡元を含めた、八名の捜査員が、一斉に川野に飛び掛かった。真犯人逮捕の、瞬間である。


「…二十三時五十三分。川野隆司、お前を、連続殺人容疑、殺人遺棄容疑、殺人教唆容疑、詐欺容疑、恐喝容疑、そして、殺人未遂容疑で、現行犯逮捕する」


 川野は、項垂れながらも、振り絞った声で、佐久間に問いかけた。


「……教えてくれ。何故、この寺に、爆弾があると分かった?」


「『紅の挽歌』も作品を読んで、先の先を読んだだけさ。大樹寺の境内で、お前を追い詰めた場合、お前なら、全てを爆破するだろうと、想定した。…もう、良いか?私は、お前のような輩に、付き合っている暇はないんだ。さっさと、この殺人中毒者を、連れて行け」


 こうして、川野を乗せたパトカーは、赤色灯だけ回して、闇夜に消えていく。


 現場周辺では、先程の火災も、完全鎮火され、報道陣への対策も功を奏し、混乱もないようだ。


(………良し)


 佐久間は、川上真澄、柴田智大、和尚の前に戻ってくると、穏やかに言葉を掛けた。


「川上真澄、…いえ、九条大河さん。以前、お目に掛かった時は、伊藤翔子さんでしたね。今度は正式に、九条大河(先生)に、お目に掛かれて、誠に光栄です。私への、ミステリー挑戦。こんな終わり方で、如何ですか?手紙で依頼された通り、物語のラストを、誰よりも、感慨深く紡いだつもりです」


「……言葉にならないですわ。本当に、満足です。あなたは、私以上の、ミステリー作家になれます。私が、弟子入りしたいくらい。ねっ、父さん?智大さん?」


 二人とも、無邪気に笑う。


「ああ、見事過ぎて、言葉がない。今まで、あなたを欺いて、済まなんだ。数々の暴言、許して欲しい。娘と将来の婿殿を、救ってくださり、本当に、…本当に、ありがとうございます」


 和尚は、涙ながらに、佐久間の手を、両手で熱く、固く握った。


(………)


「こちらこそ、深夜に、無礼を働きました。和尚も、良いお子さまを、持たれました。正直、今回の事件は、紙一重でした。出版されない事は、残念ですが、『紅の挽歌』は、生涯、忘れられない作品となるでしょう」


 佐久間は、現場を一巡視し、全員の無事を確認する。どの捜査員も、誇らしい表情を浮かべている。


(………)


 拡声器で、捜査の終わりを告げる。


「皆、今日まで、よくぞ、一緒に戦ってくれた。今日まで、よくぞ、耐えてくれた。この場にいる誰が欠けても、今回のような、完全決着(ハッピーエンド)には、届かなかっただろう。明日から、また別の任務が待っているが、皆と一緒に、事件を捜査し、解決出来た事を誇りに思い、明日からの、糧とする。そして、最後に、これだけは、皆と言いたい。……メリー・クリスマス!」


「メリー・クリスマス!」

「メリー・クリスマス!」

「メリー・クリスマス!」


 クリスマス・イヴから、クリスマスに切り替わる。


 満天の星空が、粉雪をチラつかせ、九条大河の、新しい門出を祝福する。


「翔子さんの声がしますね」


 佐久間たちは、万感の思いで、夜空を見上げた。



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