忘却の彼方1 大樹寺の和尚(2024年編集)
~ 東京都 警視庁捜査一課 ~
大有出版社の柴田智大から、有力情報を得た佐久間は、九条大河の未完作品、『紅の挽歌』について、早々に、会議を開いた。
「…以上が、本日、判明した事だ」
警視庁捜査一課が、九条大河作品の、掌で踊らされていた事実。誰もが、困惑の色を隠せない。
「流石は、ミステリー作家というべきか?過去の作品を紐解くうちに、本作の流れに、警察組織は、まんまと、誘導された」
「でも、物語は、四小節目で、終わりですよ。もう、起きないのでは?」
「いや、詩の予言は、まだ残ってる。嫌な予感しか、しないがね」
様々な意見が出る中、佐久間は、五小節目の詩について、自問自答する。
『一掃された大樹には、若い芽が出て、
花が咲き、業の深い人間に、
大樹もろとも、消されるだろう』
「『紅の挽歌』の担当者、柴田智大の話では、九条大河は幼い頃、愛知県の大樹寺という寺に、捨てられていたところを、和尚に拾われて、育ったらしい。『忘却の彼方』に出てくる、太樹という犯人に由来するものなのか、九条大河の生い立ちなのか、分からない以上、大樹寺がある愛知県と、金沢八景がある神奈川県、この両方で、捜査したいと思う。私と山さんは、愛知県で、育ての親である和尚に、会ってみよう。日下たちは、確率は低くなるが、金沢八景に赴き、神奈川警察署と洗ってみてくれ。場所は、金沢文庫付近だったはずだ」
「佐久間警部、君は、どちらが有力だと、考えているのだね?」
「今回は、より深く、謎かけが、設定してあると思います。もしかすると、生い立ちである愛知県で、選ばれた対象者が、非業の死を遂げる事も、あり得ます。詩の中に、『大樹もろとも、消されるだろう』と書かれていて、初めは、大樹とは、そのままの意味で、大きな樹木だと思っていましたが、場所であれば、的を射ていると、思うので、金沢八景の線は、低くなります。ですが、これこそが、九条大河の真の狙いで、Aと見せかけてB。Bと見せかけてA。疑心暗鬼になるところで、実は、Cという事も、あり得ますが、まずは、AとBを潰す事が先決かと、思います」
山川も、同意見だ。
「九条大河は、自分の生い立ちが、警察組織に気付かれる事は、想定しなかったはずです。だからこそ、大樹を大きな樹であるかの如く、擬装化したのだと思います。自分も、愛知県が正解だと」
安藤が、珍しく、山川を褒める。
「なるほど。山川、お前さんにしては、冴えてるじゃないか。では、両方の警察本部には、捜査協力を取り付けておこう。佐久間警部と山川刑事は、明日にでも、愛知県へ行け。事の真相を、何としても、掴んでこい」
「承知しました」
「了解」
~ 愛知県豊田市 ~
愛知県の中でも、人口が、名古屋市に次ぐ、大都市である。トヨタ自動車が本社を置く、企業城下町としては、あまりにも有名だ。面積としては、県内随一の、広さを誇る。
JR東海道新幹線、ひかり505号新大阪行で、まず豊橋駅を目指し、名鉄名古屋駅、本線特急・名鉄岐阜行に乗り換えてから、知立駅で、さらに名鉄三河線・猿投行に乗り換え、目的の若林駅に到着したのは、十一時を、回った頃であった。
「山さん、同行して貰って、正解だったよ。東京に匹敵するぐらい、乗り換えが多かった。愛知県も、やはり都会だね。電車だって、名鉄三河線や愛知環状鉄道線も、近くを走ってるし、東名高速道路はもちろん、伊勢湾岸自動車道も有名だし、何より、トヨタ自動車本社がある」
「名古屋市は、商業と工業に、特化した面が如実ですが、ここは、企業城下町らしい、風景が楽しめますな。大樹寺は、若林駅から近いんですか?」
「国道155号から、国道419号に入った所だから、徒歩十分と、いったところだ」
大きな工場の脇から、国道155号に入り、伊勢湾岸自動車道の高架下を歩き、国道419号を抜ける。周囲は、工場が立ち並び、どう見ても、工業地帯である。寺がある、雰囲気には見えない。だが、坂を上りきると、眼下には、見晴らしの良い風景と、巨大な大樹が、迎えてくれた。
(なるほど、あれが大樹寺か。一目で分かったよ)
~ 大樹寺 ~
「大樹寺の和尚さんですか?」
「いかにも。……ああ、昨夜の?」
「はい、電話を入れた、佐久間です」
掃き掃除をしていた和尚に、山川を紹介する。
「改めてまして。警視庁捜査一課の、佐久間と山川です。九条大河さんの件で、和尚さんに、どうしても、色々と事情を伺いたく、参った次第です。何とぞ、ご教示ください」
「故人について、本来なら、あまり話す事でもないがの。じゃが、事件にも関わると、言われては、仕方がない。ちと、長い話になるが、構わんかな?」
「ええ、構いません。何時間でも、結構です」
「なら、縁側で話そうかの。どうぞ、あがんなさい」
「お言葉に甘えます」
(人当たりの良さそうな和尚で、助かった)
和尚は、本堂廊下で、下駄に履き替えると、寺の脇にある、大きな大樹を説明してから、自宅縁側に、案内する。
「立派な杉ですね、坂の上から、一目で分かりました」
「樹齢二百年の大樹じゃよ、寺の守り神じゃ」
(大樹寺の大樹か。大樹があったから、名付けたのか、たまたま、大樹に育ったのか。興味深いな)
縁側から、季節を彩る花たちが、目を楽しませてくれる。この場所で飲む茶は、格別だろう。
「ご立派な庭です。手入れも、流石です。これを、見られただけでも、伺った甲斐があります」
和尚は、微笑した。
「最高の、褒め言葉じゃな。…まあ、腰掛けなさい。真澄の事を話します。知ってるとは思うが、九条大河は、ペンネーム。本名は、川上真澄といいます。…あれは、今から、三十九年か、四十年くらい前になるかのう。儂は、八代目を継いだ時じゃった。賽銭箱の脇に、双子の赤ん坊が、赤と青のタオルケットに包まれて、置き去りにされておった。警察に届けると、警察は、保健所の職員と、直ぐに駆けつけた。彼らに赤ん坊を渡し、時々、警察に、その赤ん坊がどうなったか、尋ねていたんだが、親御さんは、見つからんかった。その為、児童施設に、入る事になりそうじゃと。儂ら夫婦には、子どもがおらんし、妻も、何かの縁を感じたんじゃろ。『どうしても、引き取りたい』と言い出してな。結局、保健所に話して、あの赤ん坊を、儂ら夫婦で引き取る事にしたんじゃ」
和尚の妻が、茶を運んで来ると、そのまま、床の間に座り込んだ。
「ご一緒しても、良いかしら?」
「勿論です。警視庁捜査一課の、佐久間と山川です。遠慮なく頂きます」
「あの時は、本当に大変でした。子どもがいない私たちが、突然、双子の親になり、全てが、初めての経験で。夜泣き、高熱、溶連菌。どちらかが風邪を引くと、治る頃には、もう一人が風邪を引いて。年中、お医者さまに掛かって、苦労しました」
「自分も、同じように苦労したので、よく分かります。でも、親の自覚が芽生えた。そうではありませんか?」
「ふふふ、その通り。ねぇ、あなた?」
「……ああ、儂らは、真澄たちに、親にして貰ったんじゃ。二人は、宝じゃよ」
和尚は、茶を飲んで、しばらく目を瞑り、そしてまた、ゆっくりと続ける。
「姉は真澄、妹は翔子。それが、双子の名前じゃった。タオルケットに、それぞれの、名前が入っておっての。あれを見た時、本当の親が、どんな気持ちで、あんなに可愛い、我が子を捨てたのか。それを考えると、今でも、胸が張り裂けそうじゃ。同じ双子でも、成長するにつれ、性格は、はっきりと分かれた。姉の真澄は、お転婆で、近所の悪ガキどもを、泣かせるくらいじゃ。逆に、翔子は大人しくて、身体も弱く、いつも、寺の片隅で、絵ばかり描いておった」
「私も、よく虐めに遭う、翔子の相談に乗っていました。でも、結局は、真澄が出張って、どんな時でも、翔子を庇い、私と主人は、極力、表には、出ないようにしてました」
佐久間は、流石だと思った。
自分も、同じ立場なら、そうしただろう。子ども達には、子ども達のルールがあり、親が出張るのは、簡単だが、子どもの成長を、止めてしまう事もあるからだ。子供は、不快な経験をする事になっても、子供たちの、社会の中で、人と付き合う事を学ぶのだ。
「親は、木の上に立って見ると、書きます。お二人は、それをされたんですね?」
「その通り。腐っても、和尚じゃからな。なあ、母さん?」
「はい。辛い想いも、歯痒い経験もしました。でも、楽しかったわ」
「二人は、いつまでこの寺に?」
「中学生になる時に、別々の里親に、引き取られる事になった。二人とも、芸術の才能が、飛び抜けていたんじゃ。真澄は、小学生五年で書いた文集が、たまたま、通学していた学校に、講演に来ていた、稀代の文豪、九条絢花の目に、留まったんじゃ。何でも、文章の表現方法が、自分にそっくりで驚いたと。出生の事を知った、九条絢花は、『ここで会えたのも、神様のお導き。養子で引き取り、自分の跡を継がせたい』と、直談判にやって来た。これを知った真澄も、大層、喜んでな。『自分の表現を、認めて貰えた』ってな。時を待たずに、今度は翔子が、これまた、コンクールに応募した風景画が、画家の伊藤弘道に見染められ、トントン拍子で、弟子入りが、決まったんじゃよ」
「二人とも、凄い才能ですね。正に、麒麟児だ」
「そう、麒麟児じゃったよ。だから儂らは、二人と、今後の将来について、何度も話し合った。すると、『実の親には、捨てられたけど、周りには、こんなに親切な人たちばかりで、幸せだ。恩返しする為にも、自分たちの道を、自分たちの力で、切り開きたい』と、二人とも、目を輝かしての。この言葉で、儂らは、二人の意思を尊重した。その後は、それぞれの道で、花を咲かせ、こんなに嬉しい事は、なかったよ」
和尚と妻は、思わず涙ぐんだ。
「…ここ数年、会ってはおらんだ。便りがないのは、元気な証拠。そう思っておった。作品が出ると、頑張っている事が分かるしの。……あの記者会見を、見るまでは」
「翔子さんとは?」
「翔子は、引き取られてから、努力はしたが、結局、芽が出なんだ。成人して、姉の真澄が、自分の分まで、夢を叶えてくれると信じて、陰ながら、支えたみたいじゃ。互いに、性は変わったが、血の繋がった、姉妹だからかのう。記者会見の後、直ぐに電話で話したよ。泣いておったわい」
「妹さんにも、会ってみたいのですが。差し支えなければ、所在を、教えて頂けませんか?」
「…遠いところに、いますぞ?」
「大丈夫です。どこへでも、伺います」
「母さん、筆を取ってくれ」
和尚は、半紙に、妹の居場所を記すと、佐久間に手渡す。
「お目にかかれて、光栄です。翔子さんに、伝言があれば、承りますが?」
(………)
和尚は、思い詰めた様子で、一言だけ、口にする。
「色即是空」
「色即是空、それだけでしょうか?」
「…大丈夫じゃ、翔子なら、伝えれば、直ぐに理解するはずじゃ」
(………?)
「承りました。必ず、お伝えします」
こうして、佐久間たちは、妹の翔子に、会いに行くのである。




