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紅の挽歌 ~佐久間警部への遺書~(2024年編集)  作者: 佐久間元三
変えられぬ結末
14/28

青木ヶ原での復讐2(2024年編集)

 ~ 七月十三日 山梨県南都留郡鳴沢村の老舗旅館 ~


「……コン、コン」


「青木さま、おはようございます。お食事の準備が、出来ておりますが、お目覚めですか?」


「…コン、コン」


「青木さま、仲居でございます。早朝、出発されるとの事でしたが、お車が、まだ止まっておられるので、ご予定変更と、お見受けいたしました。お食事をお運びいたしましょうか?現在、七時三十分でございます」


 仲居は、青木たちが、昨夜、羽目を外していた事を、承知している。精も根も、尽き果てて眠っているのであろう。青木からは、早朝に出発するので、『朝飯は、不要』と、連絡を受けていたが、駐車場の車が、一向に出発しない事から、事情を確認する事にした。


(まだ、女性たちは、一緒なのだろうか?)


 他の宿泊客は、大広間で、朝食を楽しんでいる。旅館のバイキングは、地元でも定評があり、予定よりも早く、食材が無くなるかもしれない。状況次第では、青木たちの分を取り分けて、部屋に運ぶ事も、考えていた。普通であれば、食事の有無は、主体性に任せるようにしているが、青木から、破格のチップを、受け取った手前、それなりに、恩返しをしたいのだ。


(…仕方がない。失礼だけど、少しだけ、部屋を覗こう)


「…コン、コン」


「仲居です。…少しだけ、失礼いたします」


 廊下の外ドアを、合い鍵で開ける。床の間を仕切る襖は、閉まっており、室内の様子は、分からない。襖の隙間から、冷房の冷気だけが、流れてくる。


(変ね、物音一つしないわ。いないのかしら?)


「青木さま、仲居です。失礼いたします」


 仲居は、襖を開ける前に、正座をして、深々と頭を下げてから、静かに襖を開けた。部屋は、カーテンで閉め切られ、殆ど、真っ暗である。部屋を明るくする事は、失礼にあたるため、薄暗いまま、青木を探す。


 布団が散乱しているが、奥の方に、誰かいるようだ。


(やっぱり、寝ている。でも、二人とも、とても静かね。…女性たちは、帰ったようだわ。良かった)


 仲居は、襖のところから、小声で、声を掛ける。


「…青木さま、おはようございます」


 反応がない。


 声の音量を、少し上げた。


「青木さま、おはようございます、仲居です。お目覚めの、お時間です。朝食は、如何されますか?差し支えなければ、お持ちしますが?」


(………)


 やはり、反応がない。かなりの、泥酔のようだ。


(仕方がない。側に行って、話そう。部屋の明かりは、点けないで、床の間の電気なら、失礼には、当たらないわ)


 仲居は、床の間の電気を点ける。これなら、様子を見ながら、話が出来る。とはいえ、ズカズカと、歩く訳には、いかない。足音を立てない様、青木のところまで移動し、耳元で囁いた。


「…青木さま、おはようございます、仲居です。…青木さま)


 いくら呼んでも、青木は、うつ伏せのまま、反応がない。意識を無くす程、泥酔しているのか?仕方が無いので、原田にも、呼びかけた。


「…原田さま、おはようございます、仲居でございます。お目覚めですか?)


 原田も、青木と同様に、うつ伏せのまま、反応がない。失礼のない、起こし方を心掛けても、これでは、本末転倒だ。朝食時間も、気に掛かる。仲居は、お叱り覚悟で、部屋の明かりを点け、起こす事にした。


(それでは、本腰を入れて、起こしましょう)


 仲居は、青木の背中を、軽く擦って、起こそうとした。うつ伏せのまま、反応がない為、身体を少し、横にしてから、表情を確認する。


(------!)


「ひぃぃぃ---!!だっ、誰か、誰かあぁぁ---!!!」


(------!)

(------!)

(------!)


 中居の悲鳴を聞いた、隣室と、廊下を歩く宿泊客が、部屋に入ってきた。


「どうした?」

「どうしました?」


「しっ、死んでる、お客さまが、死んでるんですうぅぅ」


(------!)

(------!)

(------!)


 仲居は、腰を抜かしている。隣室の宿泊客は、その場に、硬直したまま、動けない。廊下を歩いていた、宿泊客だけが、冷静に、二人の状態を確認する。


(………)


「確かに二人とも、死んでるみたいだ。仲居さん、部屋の電話を、借りますよ。警察を呼びます。今、この部屋には、我々、四名だけだし、この場から、動かない方がいい。警察の到着を、待つんだ。僕が警察を呼ぶから、その後で、この旅館の支配人か、女将にも、連絡を入れた方が良い」


 狼狽える三人は、この客の指示に、黙って頷くしかなかった。冷静な客は、直ぐに、110番通報を入れる。


「もしもし、警察ですか?」


「どうされましたか?」


「目の前で、二名、男性が死んでいます。湖北ビューライン沿いの、旅館に宿泊している者です。仲居さんの悲鳴で、部屋に入ったら、現場に遭遇しました。隣室の客二名、旅館の仲居さん、自分の計四名で、この場にいますが、動かない方が良いですよね?」


「冷静な対応と、情報提供ありがとうございます。十分以内に、最寄りの警察官を派遣します。お手数ですが、部屋は、無闇に触らず、現場保全して頂き、また、留まるようにお願いします。…今、逆探知で、場所を特定出来ましたので、場所の説明は不要です。お名前だけ、教えてください」


「浜田雅彦です」


「分かりました。浜田さん、他の方にも、今の内容を、お伝えください」


 通報を終えた浜田は、今度は、仲居に内線を繋げて貰い、要約して説明した。


「もしもし。今、この部屋で、男性が二名、死亡しているのを確認し、警察に通報しました。…ええ、そうです。仲居さんは、動揺しているので、自分が代わりに、対応しています。警察は、十分以内に、到着するので、支配人か、女将さんに、部屋までの案内を、お願いしたい。この部屋は、自分を入れ、四名おりますが、事情聴取を受けると思うので、身動き出来ません。チェックアウトが、遅れそうなので、申し訳ないですが、朝食を食べている妻に、伝えて頂けませんか?携帯を、部屋に置きっぱなしなんで」


 通話を終えた浜田は、全員に対して、説明する。


「今までの通話で、事情はお分かりですね?間もなく、警察が来ます。部屋の入口で、座って待ちましょう」


「助かります。怖いので、見ないように、目を瞑っていて、良いですか?」


「その方が良いと、思います。仲居さんは、大丈夫ですか?」


(………)


「…何とか、大丈夫です。すみません、お客さんたちを、巻き込んでしまって」


「良いんですよ、困った時は、お互い様です」



 ~ 七時五十八分、事件部屋 ~


 通信指令室から、指令を受けた警察官が、旅館前に現着すると、女将が、部屋まで案内する。通報を受けてから、八分後である。


 厳戒態勢を敷いている中で、山梨県警察本部は、配置人員を増員させており、直近で待機していた、角川が、一番に、現地入りしたのだった。


「この部屋です」


「山梨県警察本部、富士吉田警察署、鳴沢警察官駐在所の角川です。間もなく、応援の部隊が、到着しますので、そのままで、お待ちください」


 角川は、まず、被害者の状況を、確認する。二名とも、うつ伏せのまま、絶命している。


(この状況下では、現場保全しか出来ない)


「とりあえず、この部屋と、廊下の通路を封鎖します。女将さんは、決して騒がず、落ち着いて、沈静化に、尽力をお願いします。それと、この旅館の全員に、現場不在証明(アリバイ)と、事情を伺う可能性がありますので、チェックアウトの時間を過ぎても、宿泊客が、旅館から出ない様、館内放送をお願いします」


「あの、殺人事件だと、言ってしまって、大丈夫ですか?」


(………)


「まだ、自殺か他殺かの、捜査をしていないので、その様な説明は、避けてください。…そうですね、事件があったとだけ、お伝え願いますか?殺人だと、言ってしまうと、犯人を恐れ、客が取り乱すかもしれません」


「そうですよね。分かりました、直ぐに、対応します」


 女将は、フロントに消えた。


 角川は、持参した規制線を、部屋の入り口と、二階フロアの通路に張り、第三者が立ち入らない様に、作業していく。現場保全の、準備が整うタイミングで、山梨県警察本部、富士吉田警察署、鑑識官、機動捜査隊の、応援部隊が到着した。また、同タイミングで、館内放送が流れる。


「旅館内のお客さまに、申し上げます。先程、二階北側のフロアにて、ある事件が発生しました。現在、警察の方が、現場検証を行っていますので、二階北側のフロアには、立ち入れません。また、捜査が済むまで、誰一人、お外へ出ない様、警察からも申し送りがありますので、何とぞ、ご理解と、ご協力を賜りますよう、平に、お願い申し上げます。誤解を生じないよう、アナウンスいたしますが、事件といっても、皆さまの身が、危険だとか、避難の必要は、一切ございませんので、ご安心ください。捜査の間、チェック時間が、過ぎるようでも、延滞料金は、発生しませんので、引き続き、お食事とご入浴を、お楽しみ頂けます。二階北側のフロアの、お客さまは、捜査が終わるまで、通路自体にも、お入り出来ません。ご入浴を、ご希望される方は、フロントにて、新たに、バスタオルを、ご用意いたしますので、お気軽に、お申し付けください」


「規制線は、完了したようだね。館内放送も、聞いた。初動としては、申し分ない。遅くなって、申し訳ないな」


「お疲れさまです。本官は、旅館の入口で、待機して、見張る方に、回ります」


 角川は、現場部隊に、初動捜査を依頼し、持ち場へ向かった。


(今の警察官、角川と言ったな、覚えておこう。まずは、関係者に、挨拶しないとな)


「お待たせしました。山梨県警察本部の捜査一課、佐藤です。こちらは、富士吉田警察署の井上巡査です。今から、被害者を検分しますが、検分が終わり次第、事情を伺います」


「分かりました」


 佐藤たちは、鑑識官と、遺体を検分する。浴衣を剥ぎ、全身を、隈無く確認していく。


「……佐藤警部」


「うん、目立った外傷は、無し。眼球部の異常と、口元の泡が、気になるな。臭うか?」


「ええ、僅かに、臭います」


「青酸カリか?」


「近いと思いますが、司法解剖してみないと、何とも言えません」


「だが、まず、毒殺で間違いなかろう。井上巡査、被害者(ホトケ)の衣服、持ち物を調べてくれ。警視庁が追っている、事件関係者(マルタイ)かもしれない」


「確認してみます。……あれ、この二人?」


(………?)


「どうした?」


「……いえ。同僚が、昨日の日中、青木ヶ原樹海で、遭遇した人物かと、思いまして。テレビ局の関係者で、番組の企画で、下調べしていると説明され、追っ払ったと、聞いています」


(------!)


(そんな報告、聞いてないぞ!)


 佐藤は、被害者の検分を、鑑識官に任せると、通報者たちから、事情を聞いた。


「通報をされたのは、どなたですか?」


「自分です、浜田雅彦と申します」


「浜田さん。通信指令室(本部)も、感心していました。冷静、かつ、端的に、説明をして頂いたようで、助かります。ご職業は?同業者ですか?」


(………)


 浜田の冷静さに、興味を抱くのは、仲居たちも同じようだ。黙って、耳を傾ける。


「国家公務員です。某出張所で、河川管理者してます。よく、ホームレスの方が、堤防や河川敷で、溺死したり、凍死したり、変死しています。その度に、遺体を確認して、通報処理するので、慣れているだけです。今回も、第一発見者は、仲居さんですが、動揺されていたので、自分が代行しました」


(なるほど、同じ、公務員ね)


「合点がいきました。では、あなたから、事情を聞くのが、早そうだ。あなたが、被害者確認した時間は、何時何分ですか?」


「通報したのが、七時五十分だったと、思いますので、その五分前の、七時四十五分です」


「部屋の状況は?」


「ご覧のとおりです」


「どこも、触っていませんね?」


「ええ、勿論です。遺体を見て、直ぐに、その電話機で通報し、仲居さんと、隣室の方に、動かない様、説明しました」


「流石は、同じ公務員ですな。では、一番最初に、この部屋に入ったのは、誰ですか?」


 仲居が、恐る恐る、名乗り出る。佐藤の、刑事としての、雰囲気が怖いようだ。


「わっ、私です」


(………?)


「そこまで、構えなくても。すみません、強面は勘弁ください。何時頃、この部屋に?」


「…確か、七時三十分頃です。朝食バイキングが始まって、ご連絡に来ました。昨夜、早朝に出かけると仰っていましたが、駐車場の車が、出発していなかったので、予定変更されたと思って。朝食は、不要だと、聞いていましたが、予定変更なら、お召し上がるかなと、思いまして、伺いました」


(………)


「そうですか。部屋に入った時から、明かりが、点いていましたか?」


「いいえ。電気を点けたのは、私です。まず、廊下から、何度か声掛けし、反応がないので、合い鍵で、入りました。床の間の襖も、閉まっていて、真っ暗でした。襖の下から、冷気が来たので、まだ、就寝中なのだろうと。襖を開ける前に、こうやって、正座の状態で、声掛けをしました」


(…そうまでして、起こすか?合鍵を使って、入る時点で、不審だが?)


「随分と、()()に、起こされるんですね。他の客にも、同じ接客(サービス)を?」


(------!)


 仲居は、少し、癪に障った。


「…通常は、そこまで、しません。ただ、青木さんには、昨夜、チップを、沢山頂きましたし、今日の、出発時間を、相当、気にされていたので、責任感から、起こしに来たまでです」


(…なるほど、小遣いを、沢山貰ったから、贔屓した訳ね。でも、あからさまに話すと、皆の手前、角が立つ。それで、あの言い回しを、した訳だ)


「いや、これは、失礼を。事情は、察しました。ちなみに、この二人は、昨夜、どのような振る舞いを?他の宿泊客と、揉めていたとか、何か、思い当たる節は、ありますか?」


(………)


 間をおいて、仲居は、言葉を選んで、答え始める。


「個人情報なので、あまり、他のお客さんの前で、お話する事は、業務上、宜しくありません」


(………?)


 佐藤は、事情を察した。


「ああ、そういう事ですか。すみません、皆さんには、後で、個別に伺います。少しだけ、部屋の外で、待機して頂けますか?」


「ええ、勿論。個人情報は、守られるべきですから」


 浜田たちが、退室すると、佐藤は、部屋の扉を閉めて、仲居に促した。


「どうぞ、これなら、会話が聞こえません」


「……実は、昨夜、青木さまが、派遣型風俗店(デリヘル)を呼んだと思われ、深夜まで、お楽しみだったと、思います」


(…ほう?)


「何時頃までか、分かりますか?」


「私が、就寝したのは、午前一時半頃です。廊下を、最終点検した時、廊下の外まで、…その、…少し、喘ぎ声が、漏れていましたから」


「喘ぎ声は、一名ですか?」


「いえ、最低、二名は、いたと思います」


(まあ、普通に考えて、一人に対して、一人の風俗嬢は、いるわな)


「朝、来た時は、風俗嬢は、いなかったのですね?」


「はい、もしいたら、起こさなかったと思います」


「どう言う意味ですか?」


「先程も、申し上げた通り、青木さまを、起こそうとしたのは、事実ですが、お楽しみを、邪魔する程、野暮じゃありません。襖のところから、暗がりですが、布団が散乱していても、奥の方に、誰かいると、分かりました。シルエットが、二人見えたので、風俗嬢は帰ったのだと確信し、中に入ったんです」


(嘘を言っている、気配はないな。おそらく、本当の事なのだろう)


 佐藤は、テレビ、ダッシュボード、金庫、一畳程の喫煙空間を、物色するが、部屋の鍵が、見つからない。


「部屋の鍵が、無いですね。おそらく、その風俗嬢が、行為を終えた後、室外から鍵を掛け、姿を消した。防犯カメラ画像は、どこで見られますか?」


「それなら、一階の、従業員部屋で、確認出来ます。ご案内しますわ」


 井上巡査が、何かを見つけたようだ。


「佐藤警部、ちょっと、お待ちを。二人の免許、身分証明証が、出てきました」


「どれどれ?…青木哲男、五十歳。コウノトリ出版の、編集長か。もう一人は、…原田守、五十歳。東京都板橋区の在住か。何者だ?」


 仲居が、口を挟む。


「この原田さんって方は、推理評論家です」


「評論家?どこで、それを知ったのですか?」


「昨夜、酔っ払って、『自分は、偉い推理評論家だ』って、自慢げに、話されていました。『青木、俺に任せろ!』って、くだを巻くのを、見かけましたし」


「廊下で、酔っ払ってたんですか?随分と、横柄な男ですね?」


「二階では、酒類を、販売していません。一階に降りて来られて、お酒を、買った時ですわ」


「…そうですか」


「最後に、お聞きしたい。この二人は、昨日の昼間、どこに行ったとか、何か、言っていましたか?」


「何でも、『取材で、青木ヶ原樹海を調べる』と、仰ってました。昼間は、警察が邪魔だから、早朝に、出向くと。暗闇の中、調べる羽目になるから、『明るい懐中電灯を用意しろ』と。依頼を受け、旅館の従業員が、町まで、買いに行かされましたから」


(------!)

(------!)


(これで、確定したな。警察庁からの通達通り、『出版社関係者が、この地で、被害に遭う可能性があり、厳戒態勢に入る』、…だったな。正に、この件だ。昨日の時点で、接触していたのに、千載一遇の、機会を逃した。富士吉田警察署(所轄署)の報告が、無かったせいで、こんな事に。どう見ても、事件対象者の、二人じゃないか)


「井上巡査。私は、警視庁に、連絡を入れる。君は、まず、この仲居さんと、従業員部屋で、逃走したと思われる、風俗嬢の、人物特定を開始してくれ。鑑識官は、状況証拠と物的証拠を押さえ、司法解剖に回してくれ」


「はい、分かりました」


「仲居さんには、先程の館内放送を、もう一度、お願いしたい。『捜査が終わるようなので、一般のお客さまは、自由に、お帰りになって頂いて、結構です。ご協力、ありがとうございました』と。それで、大丈夫だと、思いますよ」


「分かりました、助かりますわ」


「では、参りますか」


「あっ、井上巡査、あと一つ、頼みがある」


(………?)


()()、話がある。昨日、この被害者(ホトケ)と、遭遇した者を、警察本部に来るよう、伝えてくれ」


(………?)


「はあ、了解です」


(厳戒態勢の中での、殺人か。報告義務違反が、招いた失態。……大目玉だな)



 ~ 同日、八時二十七分。東京 警視庁捜査一課 ~


 山梨県警察本部から、佐久間宛に、『事件対象者二名の遺体が、宿泊先の旅館で、発見された』と、連絡が入った。


「やはり、間に合いませんでしたか。それで、身元は?…そうですか。司法解剖は、お任せいたします。…はい、こちらも、照会結果を、分かり次第、ご連絡します。……なるほど。すると、逃走した風俗嬢が、犯人かもしれないと?何とか、尻尾を掴みたいですな。…ええ、分かりました。その折りは、よろしくお願いします」


「また犠牲者が?」


「間に合わなかったようだ。まず、昨日の昼間に、青木ヶ原樹海を、探索している、不審な二人組がいて、職務質問は、したらしいのだが、『テレビの企画の下見』だと、説明を受け、追っ払ったらしい。宿泊した旅館の話では、昨夜は、かなり豪遊し、大盤振る舞いだったみたいだよ。朝になっても、中々、起きてこなかったから、仲居が、部屋を訪ねたら、死んでいたらしい」


「死因は、何だと、言ってるんですか?」


山梨県警察本部(県警)の見解は、毒物による、心臓麻痺だろうと。私なら、硫酸ニコチンか、パラチオン、消毒用のメチールアルコールを疑うね。作品では、エタノールと、目薬を混ぜたものだったが、手法が、やはり似ているからだ」


「今度は、誰が殺されたんですか?」


「被害者は、青木哲男、五十歳。身分証明書から、コウノトリ出版の編集長らしい。もう一人は、原田 守、五十歳。東京都板橋区在住の、推理評論家だそうだ。二人とも、うつ伏せのまま、眠るように死んでいたと」


 山川は、僅かに、眉根を寄せる。


「もう少しの、ところで、事件関係者(マルタイ)を失うとは。山梨県警察本部(奴ら)は、誠意をもって、職務質問を、やったんでしょうか?せっかく、警部の推理で、対象者と接触したのに」


(………)


「今更、追求したところで、事実は変わらないんだ。だから、仕方ないさ。『テレビの企画の下見』だと、言われてはね。警察官といっても、全員が、詳細を聞かされては、いないだろう。事情を知らない、巡回中の者なら、出版社の人間なのか、テレビ局の人間なのか、判断が出来なかったと思うよ。現場から、遠ざけただけでも、お手柄だった。そのまま、放置していたら、青木ヶ原樹海の中で、殺されたかもしれないし…」


(------!)


 一瞬、佐久間の動きが、止まった。


「どうしました?」


「……いや。青木ヶ原樹海で、追い返されても、宿で殺せるように、犯人が画策していたら、何手も、策を弄したことになって、敵ながら、あっぱれだ。私が現場にいても、同じ結果だったかもしれない。でも、これで、『犯行内容に、推理が近づいてきた』と、確証が持てたよ」


「逃走した風俗嬢が、気になりますな」


「気にはなるが、犯人ではないと、思う。ここまで、周到な九条大河だ。おそらく、娼婦には、大金を掴ませて、錠剤か何か、混ぜるように指示したはずだ。娼婦たちは、それ以外、知らされていないから、例え、身柄確保されても、それ以上、情報は引き出せないだろう」


(……待てよ?)


「山さん、この犯行が、いつの段階で、計画されたと思う?」


(………)

(………)


 二人で、ホワイトボードを見つめる。


「やっぱり、尾形が?」


「尾形が、対象者たちに、説明した時点で、既に、手を打っていた。その場合、娼婦たちは、『尾形弁護士から、錠剤を手渡された』と、証言するかもしれない」


「…『死人に口なし』、ですな」


「山さん、明日もう一度、尾形弁護士事務所に、行ってみようかと思うんだ」


「尾形弁護士事務所ですか?何故ですか?」


「やはり、このままでは、被害を食い止められない。仮に、今回の事件から、足がつくことを想定して、そうなる前に、口封じ目的として、尾形が殺されたのなら、理由が違ってくるんだ。これまでは、『警視庁捜査一課に、情報を漏らした、制裁で殺された』と、決めつけていたからね。この仮説が正しければ、警察組織(我々)より、何手も、先手を打たれ、常に、警察組織が、受け身なんだ。今回は、作品の中身と、詩の解読が、正解して、追いついたと思ったが、ダメだった。九条大河が、亡き今、その遺志をついだ、真犯人(ホンボシ)が、着実に、対象者の命を奪っていく。事前に止めない限り、次も、間に合わないかも、しれないからね。殺人計画書を、何とか入手しないと。鍵は、やはり、尾形なんだよ」



 ~ 翌日、東京都新宿区 ~


 佐久間は、尾形弁護士事務所を、再び訪れている。


 主を亡くした、弁護士事務所は、大手事務所の強みなのか、もう、別の代表が、事業を引き継ぎ、立て直しを見せていた。


 受付にて、面会手続きを済ますと、後任の、山本と名乗る弁護士が、応対した。


「尾形弁護士の後任、山本です」


「警視庁捜査一課の、佐久間です。本日は、尾形弁護士が、生前、九条大河に、依頼された内容について、何か、ご存知ないかと思い、参りました」


(………)


「尾形が、九条大河と、何かを契約した事は、存じております。しかし、警視庁に、お答えする事は、ありません。弁護士事務所としても、お答え出来るものは、何も無いかと」


(…そう出るか)


 捜査には、一切、協力する気はない。そう、山本の所作が、伝えてくる。


「以前、尾形弁護士は、九条大河との契約で、九名の関係者に対して、ミステリー作品の謎解きを、依頼した事実があります。その関係で、既に四名が、亡くなりました」


 山本は、首を横に振った。


「それは、尾形個人が、やった事で、その罪は、尾形が、死をもって償った。当事務所が、関与しているのであれば、違ってきますが、今のところ、お答え出来るものは、何も無いと考えます。残念ですが、お引取りを」


(なるほど、正攻法で来たか。……いや、やめておこう)


「そうですか。では、何か、分かりましたら、捜査にご協力ください」


 佐久間にしては、あっさりと引き下がる。個人の問題ではなく、『発端は、組織として、代表者が、依頼を引き受けた事が、問題である』と、山本の考えを、否定する事も出来たが、敢えて、反論する事を避けた。


 弁護士事務所の外で、待機していた山川が、歩み寄る。


「如何でしたか?」


「大手の弁護士事務所は、手強いね。尾形個人の問題だと、本題にも、触れさせないところは、流石だよ。別の手を考えないと、ジリ貧だな」


「珍しいですね。警部が、踵を返さないなんて」


「……少しだけ、思うところがあってね。『今はまだ、そのカードを、切る場面じゃない』と、頭の中の、自分が、教えてくれたよ」


「それは、深いですな」


 九条大河の計画通り、またしても、犯行が遂行され、弁護士事務所も、何かを隠している。



 時間だけが、過ぎていく。


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