第12話 大改稿!アフター・アフター
昨日の『校正・校閲』は本来、別の作業を指します。作品『校閲ガール』が、なぜ『校正ガール』にならなかったのかは、校閲のほうが奥が深いからとも言えます。
『校正』は文字原稿の字句の誤りを直し外観上のミスを無くす作業を、また、フルカラーの原稿では色校正という、色調が画稿の通りに出ているかのチェック作業を指します。校正は集中力と忍耐力を必要とし、ミスした場合に印刷事故に直結するため、編集者のライフを容赦なく削ります。
『校閲』は、校正のような見た目だけではなく、意味や内容の正確性もチェックします。情報を伝える媒体として、ミスのない情報になっているか、校正よりも一段高い視点での指摘をします。校閲者として一人前になるには、一説によると十年ほどかかるようです。一人前になると、見ただけで奥付の住所や電話番号の間違いを瞬殺したり、使われている写真とキャプションの違いを指摘するなど、不都合な真実を鮮やかに暴いてくれるようです。
さて、本日は3700字となりました。どうぞよろしくお願いします。
ランチブレイクの後、対策は二編の執筆ブースで始まった。
口火を切ったのは川絵さんだ。
「やっぱり、抜本的に見直さなアカンと思うんですけど」
征次編集長はその意見に対しては懐疑的なようだ。
「しかし、そんな時間も余裕もないぞ」
「そしたら、『ケモミミ!』以外の10月刊行作品も検討せなアカンかなと思うんですが」
川絵さんがそういった刹那、執筆ブースに一人の男が現れる。
【SE:新・匠の登場】
ナレーション:燃え尽き、志半ばで倒れたぶたにんのあとを継ぐ新たな匠が、第二編集部の危機を聞きつけてやってきました。現れたのは、自称『ラノベとミステリーの交渉人』の異名を取る匠、鮫貝論、19歳。最高学府で学ぶ傍ら、作家修行も欠かさない匠が、たまたま、二編を通りかかったということで力を貸してくれるというのです。
【インタビューカット06】
通りがかりの匠:(音声は変えてあります)僕はミステリー作家志望なんですが、恥ずかしながらラノベを出版したことがあって、あ、これは音声変えてありますよね。ちょうど、いま、近世異世界ミステリーを書いているので、ベクトルの違うものと言う意味ではピッタリかもしれません。
征次編集長は、話が転がる前から止めに入る。
「編集会議で止められたものを出すというなら、自費出版でやってくれ」
編集長の厳しい意見には、川絵さんも残念そうなフォローしか入れようがないようだ。
「まあ『GOTICS』は恋愛も入ってるし、異世界らしさもあるねんけどなあ……編集会議で票まで数えて結論出したんが、今となっては悔やまれるなあ」
ナレーション:編集会議、そうなんです。出版社で書籍を刊行するには、編集会議、役員会を経て発行人である社長の決裁が下りていないといけません。さて、『ラノベとミステリーの交渉人』鮫貝論には、秘策があるのでしょうか。
「会議は会議室で行われるのではありません」
鮫貝が意味ありげに、意味不明のことを言い出した。
「現実に起きているアイドルの苦境を助けるためには、編集会議と役員会という会議に操られた古い組織体制に一大改革が必要です」
鮫貝の目の覚めるような提案に一同、驚きを隠せない。
「何だと……鮫貝、ひょっとして太陽系出版社の社長にでもなるつもりか?」
「そんなん、無茶やわ」
二人の反対にあっても、東大理系の一筋縄でいかない鮫貝は、とっておきの秘策をぶち上げる。
「なぁに、簡単なことです。議事録を上書きすれば、結果も上書きされます。そうなれば、刊行に漕ぎ着けるのは極めて容易。議事録を管理する総務部には蟹江先輩の同期の方がいらっしゃいますので……」
あまりにもドラスティックな改革案は、当たり前のように却下され、突然現れた鮫貝氏は、久しぶりの出番にも関わらず、見せ場もなく悄然と執筆ブースを去った。
静まり返る二編の執筆ブースで、今後の展開を俺なりに考えてみるが、まったく見通しが見えない。
あれ? これって非常にマズくありませんか?
川絵さんも二の句が継げない中、征次編集長がサンラ文庫の10月刊行一覧を手に俯きながら言う。
「やむを得ん。ここは、兄さんに頭を下げるしかないか。いよいよ二編の本領発揮と意気込んで攻勢に出たところで足元を掬われるとは、我ながら情けない……川絵、悪いが政一に連絡を取ってくれないか」
確かに、サンラ文庫の10月刊の中には単発の異世界恋愛モノが2本予定されている。
しかし、このややこしくも、きわどい二編のシステムと、さらに加えて著作権譲渡の話を丸で呑んで、理解してくれる作家さんがいるのだろうか。
「編集長、そんなことで弱みなんか見せたら、それこそ二編の存続が……」
川絵さんがそう言いかけたときに、もう一人の匠が言う。
「僕に気を使っているんですか? それとも、作風が向いてないから諦められているんですか?」
「小鮒くん?」
征次編集長がそう言って息を呑む。
小鮒さんは並々ならぬ決意のようで、身を乗り出して編集長に訴える。
「僕は編集二課の時代から5年、刊行13冊、実売13万部。正直、お世話になった編集長にロクに恩返しも出来てません。いや、給料泥棒として追い出されても文句の言えない身です。そして、この状況で何もしないなんて人非人じゃないですか」
小鮒さんは、一呼吸おいて続ける。
「方法がないなら諦めます。ですが、僕にも10月刊行作品はあるんです。どうして改稿しろと言ってくれないんですか? 編集長」
詰め寄る小鮒さんに気圧されたのか、川絵さんが、思わず声を漏らす。
「小鮒さん……」
小鮒さんの10月刊行予定の『オサイタ』こと、『王室第三婦人が一妻多夫で炎上中』はジャンルとしては、一応、中世異世界モノに属する。
美形王族三男の青年が女性の悩みを解決して四人の側室を抱える一大ハーレムを作るも、三男の第三婦人が有能で王の家来たちの悩みを次々に解決してゆき、最近では婦人のもとに国の重鎮も相談に来る始末。
しかし、そのおかげで無能な長兄と次男は三男に屈し、三男ながらに王国を継ぐことになる。
そして、第三婦人とそれに群がる重臣たちとともに乱世を切り抜けていく、かなり破天荒な物語だ。
「いや、『オサイタ』は意欲作だって聞いていたし、タイトルもアイドル向きじゃないから、考えもしなかったが……本当にいいのか?」
編集長の言葉に、小鮒さんは、ダブルクリップで止めた打ち出し原稿を差し出して頭を下げる。
「ラノベアイドルの話は、ぶたにん君から聞きました。僕も悩みましたが、是非、検討して下さい。作品性を合わせるように、少し手を加えてあります」
編集長は、小鮒さんの原稿を受け取ると、改めて額に原稿をかざして受け取って厳かに言う。
「では、少し読ませてもらうよ」
「はい、よろしくお願いします」
編集長が読み込んでいる間、小鮒さんに原稿をもらって川絵さんと俺も、同じものを読み込んでいた。
しかし、編集長の決断がどうなるのかを考えると、気もそぞろになる。
変更箇所を『見え消し』で改稿しているお陰で、編集長は1時間ほどで目を通し終える。
原稿の最後のページを読み終えて、編集長はうつむき加減で少し考えて言う。
「土野湖先生、見事だ。有難う。私から言うことは何もない……ただ、申し訳ないが、採否を決めるのは西木坂事務所になる。それでも構わないか?」
編集長と目を合わせた小鮒さんの表情は、既に優しく緩んでいる。
「はい、それでお役に立てるのなら構いません」
それを見た俺も、川絵さんも表情がやわらぐ。
「小鮒さん、すごいやんか。二編の救世主やわ」
「そんな、まだ先方の意見も聞いてないのに」
「大丈夫やって、もともとラブコメやし、雰囲気も明るいし、理屈っぽいトコもあらへんし」
川絵さんの何気ない褒め言葉が、グサグサと俺のメンタルを切り刻んでいく。
しかし、お陰で手酷い改稿版のケモミミは無事お蔵入りにできそうだ。
そう思うと、気が少し晴れて、俺の口も軽くなる。
「でも、これだけ改稿してイラストとか大丈夫ですか?」
俺の不用意な一言は、川絵さんの冷や汗を誘ったが、編集ブースに出てきた二編の住人がフォローしてくれた。
「いやはや、どうですか? ハーレム構築で跳ねるストーリーラインだったところにアレンジを加えて、三男の正妻を決める正室争いに話をすり替えてみたんだけど。まあ、イラストとの整合は意識してるから、再校さえかけてもらえれば問題はないと思うよ」
唐突に現れた茶烏氏が、小鮒さんの改稿作業をフォローしていたようで、イラスト画稿の挿し替えは無さそうだ。それにしても、恐るべき職人技ではある。
その茶烏氏に、編集長が嫌味と愛情を込めて言う。
「茶烏、珍しく仕事をしたな」
「私、二編がなくなると、現住所がなくなりますからねえ」
いったい、茶烏氏が本気で二編のことを心配しているのか、その辺りは測りかねた。
ナレーション:これで『チートとハーレムのファンタジスタ』小鮒鉄郎の改稿作業は全て終了しました。こうして第二編集部の浮沈を賭けた大改稿も終わり、あとは西木坂事務所へのお披露目を待つばかり。果たして、西木坂46のアイドルとマネージャーは、匠のリフォームを喜んでくれるのでしょうか。
唐突に復活したナレーションだが、御存知の通り、元の作品『ケモミミ!』は既に無く、代わりに『オサイタ』改め『西木坂事務所ラノベ計画(仮題)』がすげ替えられている。
もはや、改稿ではなく改作なのだが、そんな些細な事はどうでもいい。
それに、怪我の功名というのか知らないが、もしかすると『ケモミミ!』が俺の手元に戻ってくるかもしれないのだ。
不安と期待が交錯する、俺のデビュー作を左右する打ち合わせは、金曜日にマンタ氏がミイナ様を連れて来社するということで決まった。
しかし、その前に今回の改稿によるページずれを調整した改訂初校の上がる水曜日に、二編に厄介な来客が現れることになる。