第8話 メグさんはぶれない
雑誌はテーマに沿って特定の読者層に訴求するため、栄枯盛衰が分かり易く、資金と新たな読者層が入ってこなくなると、どのように雑誌が廃れていくのかが見て取れます。
かつて趣味の王様といえばアマチュア無線で、アマチュア無線愛好家向けの雑誌にCQhamRadio誌(CQ出版社)があります。
1946年に創刊され、80年代〜90年代の絶頂期には広告が半分を占める勢いの2センチ程度の厚みを誇った雑誌ですが、今では広告出稿量も減り本誌も驚くほど薄くなりました。携帯の普及とともに厚みを支えていた大衆層が抜けてそれをターゲットにした広告出稿元が抜け、新規読者流入が止まり、高齢化した固定読者層が力果てる衰退期に差し掛かったように見えます。
内容は技術理論記事、実践記事のいずれにおいても記事の質は高く、洗練され尽くした定番コンテンツは一般人の興味を容易に寄せ付けません。調べてみると2016年の公査発行部数は僅々16000部。歴史が長く愛読者も多いので、一時期のPC誌のように急激な部数減はなかったものの、老舗中の老舗雑誌の行く末が気にかかります。
さて、本日は3400字となりました。どうぞよろしくお願いします。
月島の駅のほど近く、奥に細長い喫茶店で川絵さんと、メグさんを待ち受ける。
この状況で待ち時間を長く感じないのは俺だけでは無いようで、川絵さんも指を組んだり外したりして忙しない。
いわく、ヒトが心理的に時間を長く感じるのは、アドレナリンの働きで代謝が高められているせいらしい。ソワソワするのもアドレナリンが脳内で出まくっているからなのか。
半時間ほど経った頃、入口の扉が開くと、メグさんが入ってくる。
「あっ、メグさん、メグさん、こっちです」
久しぶりに会った鶫野廻さん、ことメグさんは、店内で川絵さんの声を聞くと誠実さの現れなのか、小走り気味にやって来る。
「キューン、いいよ、いいよ、そんなの。それより久し振り、川絵さん」
「こっちこそ、急な呼び出しでスミマセン」
川絵さんは謝りながら俺の隣に席を移って、奥席にメグさんを誘導する。
最近、涼子さんとかミイナ様とか、アクの強い年上女性との絡みが多かったせいか、メグさんとの再会は、何というか一服の清涼剤のように感じられる。
「ぶたにん君も、お久しぶり。『ケモミミ!』はもうすぐ締切だけど大丈夫そう?」
「お久しぶりです……『ケモミミ!』はちょっと、はい」
何が、はい、なのかは説明しづらい。
微妙な空気がメグさんに伝わったのか、慌てて例の擬音が響き渡る。
「シュリーン! やっぱり、初めての作品って大変だよね。本当にごめんね、不躾に訊いてしまって」
「ええねん、メグさんにはキャラも借りたし、すっごいお世話になったし、ちょっと、迷惑もかけてしもたから……」
川絵さんの言葉に首肯く俺を見て、メグさんは俺に言う。
「うううん、でもね、手を掛ければ掛けるほど作品は良くなっていくし、ぶたにん君の財産になるから、征次編集長や川絵さんの言うことを聞きながら締切まで頑張ろうね」
メグさんからにこやかに声をかけられて、俺は「はい」と短く答える。
「あ、ぶたにん君って筆名はどうなったの? 書評用原稿が回ってきたら頑張って書くからね、帯書き推薦文……ギュルル、私なんかじゃ全然、力不足だろうけど」
「いえ、力不足じゃなくて光栄です。あと、筆名は……地鶏ヶ淵ミイナでお願いします」
「チドリガフチ、ミイナ、う、うん、可愛いね。あとで、メールで漢字を送って……でもミイナって名前、結構フェミニンかも。チドリガフチって名前は征次編集長お得意の地名姓だね。香川県出身の私の加川と同じ。ってことは、ひょっとして、ぶたにん君は千鳥ヶ淵の産まれかな?」
千鳥ヶ淵産まれって……俺、千鳥ヶ淵には公園と墓地のイメージしか無いんですけど。
突っ走るうどん県のラノベ編集作家、鶫野廻こと、メグさんを止めたのは川絵さんだった。
「違うんです。地鶏ヶ淵ミイナって言うのは、西木坂事務所のアイドルで、実は『ケモミミ!』はアイドルが書いたラノベということで、出版される段取りになりそうなんです」
メグさんが信じられないモノを見てしまったかのような顔つきになる。
「なんで、ぶたにん君の『ケモミミ!』をアイドルが書いたことに? 何がどうなって、そんなことになったのよ? 何かの聞き間違い? ミスヒアリング? ハウリング?」
いや、ミスっても、ハウってもいません。
取り乱したかのようなメグさんの態度に、慌てて、川絵さんがフォローを入れる。
「いや、でも『ケモミミ!』をアイドル名義で出す話は、まだ、決定やないですので」
川絵さんをもってしても、ゴースト話をご破産にしたくてメグさんに代原を頼みに来たのだとは、さすがに言えない。
俺も隣でひたすらメグさんを宥めるしかない。
「ガッチャー、そうだよ、ぶたにん君。作品って自分をさらけ出して産み出す我が子のようなものだよ。自分の分身なんだから『ケモミミ!』はぶたにんの分身。だから大切にしないと後悔するんだから」
その『ケモミミ!』を失いつつある俺は、改めてこれまでの軽率な振る舞いを猛省する。
「は、はいっ」
「こんなキディングな話、ぶたにん君の考えじゃないよね。川絵さん。ひょっとして、征次編集長の企み?」
こうしてメグさんに問い詰められる川絵さんは新鮮で、何となく愛おしく感じてしまうのは気のせいではあるまい。
「はい、編集長もノリノリなんですが、それより何より、うちの母も一枚噛んでるみたいで……」
「どうして、そんなことに? みんなで良質のラノベを作っていくのが二編なんじゃないの? わたし、編集作家としては書けても、下請けのライターで書くとか、名義もまったくの他人とかって信じられない。そんなの二編の、征次編集長の考えじゃない……と思いたい」
真剣な顔でぶちまけるメグさんの言葉尻が気になって、俺は訊く。
「編集作家とライターって違うんですか?」
かなりマヌケな問だったのだろうか、場が俄に弛緩する。
「……うーんとね、わたしの思い込みだけかもしれないけど、作家は作品に責任を持って書く。だから名作も駄作も批判は受ける。ライターは文章を書く人で、作品の文学性とかには関係のない人って感じ。そして、名義を変えて書くゴーストライターは文字を埋めるだけで、創作とか作品への責任とか関係ない次元の人って感じかな。まあ、作品は他人名義になっちゃうわけだから仕方ないんだけどね」
「作家は駄作でも責任を持つんですか」
「そう、勿論よ。編集であり作家でもある木盧加川は、よく思い込みでとんでもない駄作企画を出すんだよ。幸い、すぐに編集長にダメ出しされて救われるけどね」
そう言うとメグさんは屈託のない笑いを浮かべる。
思えば、やんごとなき流行ラノベ編集作家のメグさんとも随分、打ち解けたものだ。
しかし、メグさんですら、駄作と呼ばれるものを作るのかと複雑な思いでいると、川絵さんは俺にすら聞こえるかどうかという小さな声で呟いていた。
「ゴーストライターは無責任か……なるほど」
会話を途中で閉じて離脱しようとする川絵さんだったが、一方でメグさんは手持ちのノーパソを開いてどこかにメールを打っていたようだ。
「川絵さん、編集長には抗議のメールをしておいたから……」
川絵さんは少々、驚きながらも、改めてメグさんに詫びる。
「すんません。そもそも、うちの母がアイドルと組んだら売れるって征次編集長に吹き込んだんが悪いんですわ」
川絵さんは、メグさんにゴーストライター依頼をすることは、すっかり諦めてしまったのだろうか。
さすがに、俺でも、代原の件は口の端に掛けるのもおこがましいと感じている。
「川絵さん、征次編集長とは、後日、改めてお話をさせてもらうかも知れないけど、その折には同席をお願いします」
「は、はい。編集長も予想してたより大変やと思ってはると思いますから懲りてるんやないかと……」
「ノンノン、一事が万事とも言うし……編集長には、わたしはそんな依頼されても絶対ムリ。代筆なんて、みんな意欲がわかないし、質も落ちると思うから、二編のためにならない。そこは言っておかないと気が済まないし」
万事休す。
月島の女王は思いの外、まっとうであり、俺の都合のいい救世主にはなってくれない御様子だ。
「そうそう、ところで、今日の用件って『ケモミミ!』の帯の話だったっけ?」
「ええ、まあ、そんなとこです。メグさん、お忙しいのにすみません……」
間もなく、メグさんを送り出すと、川絵さんと同じ喫茶店で遅めのランチを注文する。
メニューを選んでいる間はカラ元気をフル回転させていた川絵さんも、注文のあとは思案顔で黙りがちだ。
「なんか、エエ手はないんかな。帰ったら征次編集長、激おこなんやろなあ。うぅぅん……」
俺も、糸を切られたカンダタよろしく茫然と過ごしてしまった。
沈黙を破るようにウェイトレスのお姉さんが言う。
「ご注文の海鮮ピラフとミックスサンドになります……ご注文は全ておそろいでしょうか」
俺がコクリと頷くと、勘定書を伏せ置いてお姉さんは言う。
「それではごゆっくりお召し上がり下さい」
その言葉を聞いて、俺は、出された海鮮ピラフを気もそぞろに口に運ぶ。
しばらくして、川絵さんが言葉少なに「そろそろ出よか」と言って席を立つ。
俺が帰り際に見ると、川絵さんのミックスサンドは、ほとんど手を付けられていなかった。